【1】

 夕刻の道路の上は車のライトで埋まっていた。その光の並びの奥がうねるように動き出す。中から赤い光源が点滅しながらこちらに移動してきた。

 赤色灯を回しながら渋滞の中を走る黒いセダンは、ブレーキ音を鳴らして急停止しては拡声器から声を飛ばしていた。

「緊急車両が通ります。道を開けてください。ご協力お願いします。緊急車両が通ります。道を開けて……どけと言ってんだろうが! そこの軽ワゴン! 邪魔なんだよ! 警察が緊急だって言ってんだバカ……」

 助手席でマイクを口に近付けて怒鳴っていた中年男のその手を運転席の若い男が掴んで下ろした。

「――ヤロウ……んだ、邪魔すんな」

 若い男の手を振り払った中年の男はそう言うと、前を睨みながら続けた。

「橋本は運転に集中しろ。ほら、その交差点を右だ」

 若い男はハンドルを切りながら言う。

「分かってますって。主任、ヤバいっすよ。市民にバカヤロウは駄目ですからね」

「うるせえな。対向車に気を付けろよ。――おい、コラッ、トラック! 右折するぞ、止まれバカヤロウ!」

「あーあ、言っちゃった」

「いいんだよ。とにかく急げ! ああ、バスだ、バス! 近くに自転車がいるからな、気を付けろよ!」

「分かってますって!」

 橋本誠也巡査は素早く顔を振ってサイドミラーと周囲の車両を確認すると、大きくハンドルを回しながらアクセルを踏み込んだ。彼の上司である桐山浩一郎巡査部長は顎を引いてアシストグリップを握りしめる。横の車窓に映る景色が猛烈な速さで流れた。その覆面パトカーは停留所で停止していたバスを急蛇行して追い越すと、再び速度を上げて進んでいく。

「橋本さん、飛ばし過ぎです! スピードを落として!」

 後部座席で上のアシストグリップと前の助手席シートの角を握って体勢を保っていた紺のスーツ姿の若い女が運転席に向かってそう叫んだ。

「よし、あとは直進だ。少しスピードを落とせ」

「了解です」

 桐山に言われて橋本はアクセルから少し足を浮かせた。

 乗っている車が速度を落としたことに安堵の息を漏らした若い女は、強くしかめて前の二人に言った。

「いつもこんな運転をしているのですか。規則違反ですよね」

 桐山は前を向いたまま答える。

「いつもじゃねえよ。そういう事態だってことは、おまえも分かっているだろうが。三人も殺されているんだぞ。四人目が出たらどうすんだ!」

 桐山の怒声に女は思わず首をすくめる。

 バックミラーを一瞥して、橋本が言う。

「主任、中村さんはこの手の現場が初めてなんですよ。怒鳴ったらかわいそうでしょ」

「なんだ、おまえ。庇うのか。コイツが鑑識結果をこっちに回していれば、こんな事にはならなかったんだぞ」

「……」

 後部座席の中村綾乃巡査は黙って下を向いていた。

 運転席の橋本が助手席の桐山を一睨みしてから言う。

「違うでしょ。中村さんの鑑識結果への意見書を、当時の上司が握りつぶしていたから、こっちに回って来なかっただけじゃないですか。中村さんが悪いわけじゃないですよ」

 桐山は身をよじって振り返り、中村に尋ねた。

「じゃ、なんで俺たちに付いてきたんだ」

 中村巡査は顔を上げて答える。

「それは、私も警察官ですから、少しでもお役に立とうと……」

「役に立とうだと? おまえ、鑑識から総務に異動してどれくらいなんだ」

「四年です。もう少しで五年ですが……」

「この橋本でさえ捜一の強行に来て七年になるんだぞ。現場から離れて刑事総務課で事務作業をしてきたおまえが現場でいったい何の役に立つんだ!」

 桐山は強く中村を指差す。中村はまた肩をあげて下を向いていた。橋本が口を挿んだ。

「だから、主任。中村さんを責めても仕方ないじゃないですか。それ、パワハラになりますよ。彼女だって、彼女なりに責任を感じているから、こうして僕たちの車に同乗してきたんですよ。そんなに責任を感じる必要もないのに。当時は末端で処理作業をしていただけでしょうし。ねえ、中村さん」

 橋本が問い掛けても中村は黙っていた。

 桐山が俯いたままの中村と橋本に交互に顔を向けながら困惑顔で言う。

「別に責めてないだろうが。俺はただ……」

「忘れられないんです」

 言い合いそうになった橋本と桐山を黙らせたのは中村綾乃の震えた声だった。

「玲奈ちゃんの遺体はかなり損傷が激しい状態でした。とてもご遺族に見せられる状態ではありませんでした。でも、見せろと言われたら断ることができなくて……」

「それを上手く断るのが対応を任された人間の仕事だろうが」

「主任。五年前は、彼女はまだ新人だったんです。無理ですよ。ていうか、そんな遺族対応を新人の彼女に押し突けた当時の上司を非難するべきでしょ」

 中村は下を向いたまま続けた。

「遺体安置室に響いた玲奈ちゃんのお父さんの声が今も耳に残っていて……だから……」

 中村綾乃は顔を上げた。その目はしっかりと桐山の目を捉えていた。

「だから、もう二度とあんな慟哭は聞きたくないんです。止めたいんです。この連続殺人を。どうか、私も捜査に加えてください!」

 深く頭を下げた中村を見て、桐山は溜め息を吐いてから前を向いた。そして額を掻きながら言う。

「工藤玲奈は十歳になったばかりだったな。かわいい盛りだ。そんな子の、重機を積んだ大型トラックにひかれて体のほとんどが潰れた状態になった遺体を見せられたら、親なら気が狂うほどに泣き叫ぶさ。それを直に聞いたおまえの気持ちも分からんではない……」

「主任……」

 橋本に促されて、桐山浩一郎は言った。

「わかった。とにかく、おまえは課が違うんだ。どうしても同行するというのなら、邪魔はするな。私情も挿むな。俺たちの目的はあくまで連続殺人犯の逮捕だ。そう割り切れるのなら、同行を許可する」

 桐山の横顔を凝視しながら一瞬考えていた中村は、再びすぐに頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 黒いセダンはサイレンを大きく鳴らしながら、道路をまっすぐに進んでいった。

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