紫煙で繋がる運命

たれねこ

紫煙で繋がる運命

 神様がいるなんて嘘だ。

 そう思わずにはいられないのは、運命の人に出会ったのが俺が事故で死んだ日だったからだ――。


「あっ、お兄さん。ここで煙草たばこ吸ったらダメなんだよ」


 公園の東屋あずまやで制服姿の女子高生に声を掛けられた。


「いいんだよ。吸わないとやってられないんだ」

「やさぐれてるねえ。何か嫌なことでもあったの?」

「ついさっき死んだんだよ」

「死んだ? 笑えない冗談を言うね、お兄さん」

「ほんとだって。近くで事故にって、それに巻き込まれたの」


 ついさっき見た光景を思い出しながらそう答えた。

 信号無視をした車が別の車にぶつかり、運悪く歩道を歩いていた俺に突っ込んできた。

 車と建物に挟まれ、潰された体から血が流れ出るのも、救急隊員の手によって救出され、死亡確認のためだけに病院に搬送されるのも、すぐそばで俺は誰にも気付かれることなくただ眺めていた。

 家を出る直前まで充電していたスマホは電源が入らないし、とりあえず帰ってみた家も鍵は刺さっても回ることはなかった。

 そういうひとつひとつに幽霊になったのだと嫌でも実感させられた。

 残る持ち物は残りが四本になっていた煙草と、事故に遭う直前にコンビニで買った封を切っていない煙草が一箱とライターくらいだった。

 今の俺にできることは煙草を吸うくらいで、家の近所の公園にある東屋で人の目に映らない俺は禁煙と知りながら堂々と一服していたわけだった。


「さっきサイレンの音がすごかったのは、その事故のせいかな」

「そうなんじゃないか。それで君はどうしてここに?」

「真っ直ぐに家に帰りたくなくて、いつも時間潰してるんだよ。だから、暇なら話相手になってよ」

「幽霊が話相手でいいならな」

「ありがとう。幽霊のお兄さん」


 彼女はどこかぎこちない笑みを浮かべ、隣に腰かけた。


「重い話でも幽霊が相手なら、話してもいいよね」

「幽霊だから、聞いたことを誰かに話すこともないし、いつ消えるかも分からないんだ。好きに話せよ」

「ありがとう。私ね――」


 彼女は自分のことを話してくれた。

 家庭内暴力を受けていて、服の下の見えないところはあざだらけで、その痣も彼女がよく転んだりぶつけたりするからということになっているそうだ。

 そんな嘘が信じられるのも、親が外面も職業もしっかりしていて信頼できる人間として認識されているからだった。

 だから、彼女に手を差し伸べる人はいない。

 仮に声を上げても、表向きは妄言として処理され、裏で厳しい罰を受けるだけ。

 一度だけ学校の先生に相談したこともあったが、親身に話を聞いてくれていると思ったが薄皮の一枚下は下心に満ちていて、助ける条件に肉体関係を迫られた。それを断ると悪い噂を流され、学校で問題児として腫物はれもの扱いをされるようになった。

 そのせいでさらに親からひどい扱いを受けることになった。

 彼女には友達も信頼できる人もいない。

 家にも学校にも居場所がなかった。


「だからかな、自由な姿の幽霊のお兄さんがやらやましく見えたんだ」

「俺も似たようなもんだよ」


 そう溢しながら、新しい煙草に火をつけた。


「どういうこと?」

「俺は母親しか知らない。けど、その母親に捨てられたんだよ」


 不幸な話は連鎖しやすい。

 不幸を自慢し、比べて、お互いの傷をめ合うことでしか慰めることができない。

 だから、俺は誰にも打ち明けない自分の過去を話した。


 シングルマザーの母親に育てられ、苦労をかけたと思っている。

 しかし、実態は放置子で幼い頃から買い置きの食べ物や渡された僅かなお金で空腹を誤魔化す日々だった。

 母親は家にいることは少なく、恋人や友達と遊び歩き、家に帰らない日も珍しくなかった。

 我儘わがままを言わず、手のかからない子供でいることでしか、生きるすべはなかった。

 中学校で進路を決める頃に高校に行かせるお金はないと言われ、進学を諦めた。

 中学を卒業して、バイトを始めると母親は付き合っていた男と結婚を見据えて同棲するからと、家を引き払い、俺を捨てた。

 それからはバイトをしながらなんとか生活をし、成人してから働ける職種も給料もよくなり、フリーターだけど自由気ままな日々を手に入れたところだった。


「そっか。私たちどこか似ているのかもね」

「そうかもな」

「じゃあ、ここで会ったのも何かの運命なのかな?」

「運命なら死ぬ前に出会いたかったよ」

「私も。ねえ、また話聞いてくれる?」


 彼女の目が俺を真っ直ぐに射抜く。

 寂しさを押し殺した曇った瞳。


「ああ。まあ、いつ消えるか分からないけどな」

「ありがとう。じゃあ、そろそろ帰るね。帰りが遅くなっても怒られるから」


 彼女は小さく手を振りながら、名残惜しそうに東屋を出ていった。

 今の俺には帰る場所もなければ、幽霊になってまで成し遂げたい未練すらない。

 生きているときから、いつ消えてもいいと思っていた。

 それなのにここにいる理由ができてしまった。

 くわえた煙草から立ち昇る煙が、消える先をぼんやりと見つめた。


 翌日も彼女は東屋にやって来た。

 しかし、俺のことは見えていないようで、俺から声をかけても気付かれなかった。

 そのことに落胆しつつ、煙草に火をつけると、


「あっ、お兄さんいたんだ。いなくなったのかと思って、焦ったよ」


 そうホッとした表情で声を掛けられ、昨日と同じように隣に座った。


「俺はずっとここにいたって。今の俺は君にしか見えてないみたいだし、君と話す以外にすることもないんでね」

「お兄さんには私しかいないんだね」


 彼女は嬉しそうな表情を浮かべた。

 今日もまた彼女と煙草を吸う短い時間だけ会話を重ねた。


 俺が彼女に認識されるのは煙草を吸っている間だけのようだった。

 彼女と煙草二本分の時間を共有する日々を送った。

 煙草の本数と共に彼女といられる時間も減っていく。


「ねえ、お兄さん。なにか隠してない?」

「なんのこと?」

「最近なんか様子が変だよね?」


 彼女はそう詰め寄りながら、俺の手に自然と自分の手を重ねてくる。彼女の手は俺に触れることなく東屋の木製のベンチまで辿り着く。

 その当たり前のことに彼女はショックを受け、悲しそうな表情を浮かべた。

 彼女の顔を見て、これ以上ここに引き止めてはいけないと思った。

 死んだ人に関わるよりも、生きるために必要な何かを探すために時間を使ってほしいと思った。


「もうここに来るのはやめるんだ」

「なんでそんなこと言うの?」

「俺と君ではいる世界が違う。俺は死んでいて、君は生きている。話すことはできても触れ合うことはできないんだ」


 彼女を突き放すようなことを言うのは、彼女だけでなく俺の心にも傷をつける。

 それでも絞り出すように口にした。


「それに俺にはもう時間がない。この煙草がなくなれば君は俺を見つけられなくなるんだ」


 そう言いながら、煙草の残りを確認する。

 あと、三本――。


「それなら私が煙草を買って来るよ」

「君は未成年だ。それに買えたとしても、俺はそれを受け取ることができないだろうね。君に触れられないのと同じようにね」


 今度は俺が彼女の手に自分の手を重ねる。しかし、無情にもすり抜けていく。


「嫌だよ……私にはここしかない。お兄さんしかいないの」

「俺を見つけてくれるのは君しかいないけど、君を見つけられるのは俺以外にもいるだろ?」


 彼女は涙を溢しながら首を何度も横に振った。

 彼女の育ってきた環境も取り巻く世界も、彼女に優しくなかった。

 それでも生きていれば、まだ希望はある。

 俺が恵まれなくても生きて、自由を手に入れることができたように。


「我儘言うなよ」

「……言わせてよ」

「…………分かった」


 きっと今の彼女が我儘を言えるのは俺だけで、本音も本当の自分をさらすことができるのも俺の前だけなのだろう。


「私……お兄さんが好きなの。初めてお兄さんを見た瞬間ときから、この人しかいないと思えたの。話してみて、初めて心が通じ合える人に出会えたと思ったの」


 俺も同じようなことを感じていた。

 鏡写しのように同じ目をしていて、生きているのに死んでいるような空気を漂わせているところまで俺と似ていた。

 だから放っておけなくて、だからこそ俺が生きている間に知ることができなかった幸せという感情を、生きている間に感じてほしいと思った。


「ありがとう。誰かに愛されたという事実だけで俺は幸せだ。だけど、俺は死んでいるから想いを返すことはできないんだ。本当に生きている時に出会いたかったよ」

「私もそう思うよ……」


 彼女は寂しそうに俺の顔を見つめていた。

 翌日から煙草一本分の時間を惜しむように、いつくしむように二人で過ごした。

 そして、最後の一本もフィルター近くまで灰になった。


「そろそろお別れだ」

「……うん。ありがとう、お兄さん」

「ああ、君の幸せを願っているよ」


 俺の言葉を最後に煙草の火はフィルターを焦がし始め、俺は彼女の世界から姿を消した。

 泣きたい俺とは正反対に、彼女の目は真っ直ぐ前を向いていた。


「ありがとう、お兄さん。じゃあ、またね――」


 彼女は別れの言葉を残して、去って行った。

 翌日から彼女はここに来ることはなかった――。




 俺は成仏することも煙草を吸うこともできず、ただぼんやりと東屋に座っていた。

 話相手もいないし、俺に気付く存在もいない。


「相変わらず、お兄さんは冴えない表情をしてるね」


 もう聞くことはないと、もう一度聞きたいと思った声が聞こえた。

 声がする方に目を向けると、彼女はどこか申し訳なさそうに、はにかんでいた。

 そして、彼女が別れた日と同じ服装で現れたことで、全てを察した。

 俺が彼女に死後に出会ったことにも、惹かれあったことにも理由はあった。

 もし神様がいるのなら、彼女は救われて幸せな未来に辿り着くはずだ。

 それななのに彼女の死ぬ理由になるために、俺は幽霊になってここで彼女と出会った。

 だから、神様がいるなんて嘘だ――。



「お兄さん、死ぬほど大好きです――――」

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