第3話 2歳秋・重賞初挑戦(G3 札幌2歳ステークス)
新馬戦を圧勝してから、わずか半月ほど。
札幌競馬場の一室では、馬主の藤堂俊和と調教師の吉田猛が向かい合っていた。
窓の外には北海道の短い夏が終わりかけた気配が漂い、涼やかな風がカーテンを揺らしている。
「先生、さっそくですが“札幌2歳ステークス”への出走を検討していただきたいのです」
藤堂が切り出すと、吉田は少し渋い表情を浮かべた。
「確かに、G3の重賞とはいえ、2歳の中では大きな舞台です。新馬戦を勝ったからこそ挑戦権があるのは間違いない」
「なら――」
「ですが、ローテーションが詰まっているのは事実です。新馬戦から中2週しか空いていませんし、馬への負担も無視できない」
札幌2歳ステークスとは、9月初旬に札幌競馬場で行われるG3の重賞レース。
G3は国内G1、G2に続く格付けであり、そのレベルの高い戦いを勝ち抜けば、将来のクラシック候補として大きく注目される。
2歳戦のG3は比較的手薄とはいえ、まだ馬の体が十分に出来上がっていない時期にハイレベルなメンバーとぶつかることになるため、リスクも高い。
吉田が慎重になるのは、ハードな間隔での連戦が若駒の成長に悪影響を及ぼす可能性を懸念しているからだ。
しかし、馬主としては早めに“格”を手に入れ、将来的な価値を高めたい思惑もある。
「ま、先生の言い分もわかります。けど、グランアブソリュートは新馬戦であれだけの走りを見せましたよ? 今が勢いじゃないですか」
藤堂は熱っぽい口調で続ける。
「ファンやメディアからも“怪物2歳馬”“来年のクラシック候補”なんて声が上がっている。ここでさらに重賞を勝てば注目度は一気に跳ね上がるんですよ。スポンサーも大喜びだ」
「……馬とビジネス、それぞれに利点があるとは思います。わかりました。厩舎としては最善を尽くしましょう。出走させると決めた以上は、可能な限り万全の調整をします」
こうしてグランアブソリュートの重賞初挑戦が正式に決まり、厩舎内はにわかに慌ただしさを増すことになった。
新馬戦で豪快に突き抜けたグランアブソリュートへの注目は、ファンの間でも急激に高まっている。
「次走は札幌2歳ステークスらしいぞ。2歳重賞の登竜門だな!」
「アブソリュートなら楽勝だろう……いや、でも相手関係がどうなるか」
SNSや競馬ファンの掲示板では、早くも予想合戦が加熱していた。
中には「次も爆勝だ」「無敗でクラシック行くんじゃないか」と気の早い声も混じる。
しかし、厩務員の宮下久美はその大騒ぎを横目に、馬房でグランアブソリュートの様子をしっかりとチェックしていた。
前回の新馬戦後、ほんの少しだけ脚元を気にしていたような仕草が頭から離れないのだ。
「どうだ、久美? アブソリュートの状態は」
吉田が声をかける。
「獣医師さんに診てもらって大きな異常はないと出ましたし、いまは普通にトレーニングできています。ただ……」
「うん?」
「レース後はちょっと、脚をかばう動きがあったんですよね。最近は見られないけど、再発するようなら心配で……」
吉田は真面目な表情で聞き、「小さな変化も見逃さないでくれ」と伝え、宮下も「わかりました」と力強く頷いた。
いよいよ9月初旬、札幌2歳ステークス当日。
札幌競馬場は秋の気配が漂い始めたが、まだ爽やかな青空が広がり、多くの競馬ファンで賑わっている。
G3の重賞ということもあり、キラリと光る才能を持つ2歳馬が集結した。
中でも話題の中心はグランアブソリュート。
新馬戦のインパクトを受けて、当日オッズでも抜けた1番人気に推されていた。
パドックに現れたグランアブソリュートを見たファンは、一段とその馬体に目を奪われる。
新馬戦からさらに研ぎ澄まされた印象で、落ち着きの中に闘志が漲っているようだ。
「すごいオーラだな……2歳馬とは思えない」
「こりゃあ今日も勝つかもね。ライバルはどの馬だろう?」
そんなざわめきを耳にしながら、調教師の吉田は最終確認を行う。
鞍上は引き続き伊藤誠が務める。
「先生、馬は悪くないですよ。トモの筋肉もしっかりしてます。ローテは確かに詰まってるけど、これならいける」
伊藤が自信たっぷりに声をかけると、吉田もうなずいた。
「わかった。あとはレースで最善を尽くしてくれ。頼んだぞ」
ゲート入りが完了し、澄んだ空気を切り裂くようにスタートの合図が響く。
前走と同じく、グランアブソリュートはまず中団あたりに位置し、道中はリラックスした走りで折り合いをつける。
そして迎えた最後の直線。
ライバル馬たちが熾烈な先頭争いを繰り広げているところ、外へ持ち出されたグランアブソリュートが一気に加速する。
「うわ……来たぞ! 外からグランアブソリュート一気だ!」
スタンドのファンが息を呑む中、豪快に伸び続けてゴール前で前を捕らえ、そのまま半馬身差ほど突き放して先頭でゴール板を駆け抜けた。
2着争いがもつれる中、圧倒的1番人気の馬がきっちりと結果を出したのだ。
「やった……! 重賞初挑戦で勝利だ!」
藤堂が両拳を突き上げて喜ぶ横で、吉田は安堵の息をつきながら大きく拍手した。伊藤がウイニングランで戻ってくると、場内からは大きな歓声が上がる。
「完璧なレースでしたよ、先生! やっぱりこの馬は並じゃない!」
と伊藤は興奮気味に言うが、吉田は浮かれすぎないよう、やや抑えた笑みを返す。
「よくやったな、伊藤。グランアブソリュートも本当によく頑張った」
表彰式の後には記者から取材が殺到し、「新馬戦から重賞まで連勝」「来年のクラシックへの最有力候補」などの見出しが飛び交う。
馬主の藤堂はインタビューで満面の笑みを浮かべて語る。
「この馬にはまだまだ先があると思います。ファンの皆様の期待に応えられるよう、陣営一同全力で頑張りますよ」
ただ、戻ったグランアブソリュートの様子を注意深く見る宮下は、またしても小さな“違和感”を見逃さなかった。
脚元に目立った異常は見当たらないが、レース直後にほんの一瞬、鼻を荒く鳴らして疲労のサインを見せたように思えた。
獣医師も軽い疲れ程度と診断したので大事にはならないようだが……。
「2歳のうちからこれだけ強い競馬をするということは、それだけ体への負担も大きいはず……」
宮下は内心でそう呟くが、目の前の祝福ムードのなかでは言い出せず、浮かない顔でグランアブソリュートの首元をそっと撫でるだけだった。
こうして、2歳秋にして早くも重賞制覇を成し遂げたグランアブソリュート。
メディアは連日「怪物2歳馬」「来年の皐月賞、ダービー最有力馬」と騒ぎ立て、ファンの熱気もどんどん高まっていく。
「早い段階から大舞台を狙える素材だ」という評価がますます固まり、馬主の藤堂やスポンサーからの要望もさらに強気になり始める。
調教師の吉田も、この馬に無限の可能性を感じながら、同時に「こんなに早く結果を出しすぎるのも怖いところはある」と内心の葛藤を抱え始めていた。
果たしてこの圧倒的な才能が、順風満帆にさらなる頂点へと駆け上がるのか。
それとも、目に見えない何かが歪みを生み出すのか――。
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