第二幕 繋ぎ留めていたもの
翌日の夕方、シロクは朧介の部屋を訪れた。朧介が今のような状態になってから既に何度か顔を見に訪れてはいるが、彼の具合はどうも芳しくない。
いつも窓際に座って煙草を吹かしている彼は、この日も同じように窓際で煙草を吹かしていた。開いた窓の外で、赤く染まった夕日が沈んでいき、その上を濃紺の夜が広がりつつある。
シロクが襖をあけて部屋に入ろうが、朧介は何も言わなかった。ちらりと見ようともしない。ぼんやりと煙草を咥えたまま、ただただ、そこにある夜を眺めていた。
「体、冷えるぞ」後ろ手に襖を閉めながら言う。
「……ああ」朧介は、ため息を吐くように返事をした。
時期はもう真冬もいいところだ。もう少し日が経てば大晦日がやって来て、やがて新しい年を人々が祝い出す。北国ではない本所にもここ数日雪が降ることがあった。それくらい冷える夜だと言うのに、朧介はシャツ一枚に上着も羽織らず、ただずっと窓際に座っている。
「…………」
シロクは鼻から大きく息を吐くと、部屋の隅に無造作に置かれている薄手の毛布を掴み上げた。それを持って窓際の朧介に近づき、背中から体を覆うように乗せる。反動で少しだけ煙草の先から灰が畳に落ちた。
「吸い過ぎてるって、鏡雅が心配してたぞ」
近くにポツンと置かれた灰皿には、吸い殻が山のように積まれ、所々零れ落ちていた。
ゆっくりと口から紫煙が吐き出されると、左手で挟んだ煙草の先から立ち昇ったそれが、まるで一筋の蜘蛛の糸のようになって部屋に溶ける。
「紫煙は、幽世まで届くって……シヅルが言ってたんだ」
ポツリと、まるで静かな水面に一滴の雨粒が落ちたかのような声だった。
「妖怪にも幽世があるのなら、きっと彼女は天国にいるんだろう。シヅルの元まで……届けばいい」
存在を主張し始めた月の柔らかい光が、朧介の横顔を微かに照らす。両目の揺らぎがまるで夜の水面のように月の光を含んでいく。
「俺はきっと地獄行きだ。死んだとして……もう二度とシヅルには会えないな」
ため息のように吐き出された言葉に伴って、揺れた水面が決壊したかのように、瞳が溶けだして頬を伝う。一体どこにそんな水分が隠されていたのかと思ってしまうほどに、その涙は止まるところを知らず、次々に溢れ出て朧介の服を濡らした。彼は今日まで相当涙を流したはずだろうに、いまだその涙は枯れることはない。
「…………」
こんな調子で、この先この男は生きていくことが出来るのだろうか。いや、今のまま何も手に付かず、食事もまともにできず、ただ紫煙をたゆたわせるだけでは死んでいるのと変わらないのではないか。
……いつか本当に死んでしまうかもしれない。
それだけはあってはならないと、シロクは思わず唇を噛む。朧介の前に回り込んで、目線を合わせるようにその場に片膝をついてしゃがみ込んだ。
「……朧介、お前に……言っていなかったことがある」
真剣な声色に、朧介がピクリと反応して目だけでシロクを見た。
「あの日俺は……シヅルがお前に使ったのと同じ禁術を使った」
「……何を言っている」
抑揚のない声がシロクに降る。
だがシロクはそれを跳ね返すかのように、ハッキリと言い放つ。
「お前に幸せになってほしいというシヅルの願いを叶えるためには、お前の人生に……シヅルは必要だと思ったからだ」
「シロク……?」
言わんとすることがわからないと、朧介が困惑の顔を向ける。疲れ切ったようなその瞳に、希望の光を与えてやりたいと……シロクは立ち上がって朧介の肩を掴んだ。
「単刀直入に言う。シヅルは生きている。俺の魂を半分かけて……シヅルの魂を繋ぎ止めたからだ」
「………!」
オレンジ色に燻ぶる煙草の先から、ポロリと灰が零れ落ちた。
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