第3話 解放

◆解放


「おいっ、俺の切手帳はどうした!」

 ある日、俺は狂ったように妻に叫んだ。

 会社から帰って来ると、切手帳がないのだ。

「切手帳って?」

 名称が「切手帳」と書いている訳ではない。無題のアルバムのようなものだ。

「ノートサイズのアルバムみたいなやつだ」

 そう説明すると妻は、「あれって切手帳だったの?」と言って、

「銀行の通帳がどこか、あなたの机の引き出しを探していたのよ」そう説明した。

 だが、それがどうして切手帳と関係があるのだ、と問うと、

「何か匂うアルバムみたいのがあったから、ゴミ袋に入れて出しておいたの」

 最低最悪の妻だ。

 切手帳はブックバンドで留めていたはずだ。中を見なかったのか。

「あれってゴミでしょ」

 妻はゴミだと言い張った。無理もない。小学校時代から持っていた切手帳だ。もうボロボロだったのだ。だが、それを愛おしい人のように大事にしていた。俺にとっては、替えの効かない宝物なのだ。


「匂うだけで、捨てたのか?」

「だってすごい匂いよ。まるで人間の死体みたいな匂い」

 妻はそう言った。妻は元看護師だ。そういった匂いには敏感なのかもしれない。

「ゴミ袋はどこだ。もう出したのか!」

 混乱した頭で訊ねた。

 すると、まだゴミの日ではないので、庭の隅にまとめて置いてあるということだった。

 助かった・・まだ家の敷地内にあるのだ。

 ホッと胸を撫で下ろして、庭の隅に目をやると、

 あり得ない光景が目に飛び込んだ。

 あろうことか、娘がゴミ袋を乱暴に開けていたのだ。

 娘はまだ幼い。ようやく庭をよろよろと歩けるようになった程度だ。

 その娘がゴミ袋を開けた。よりによって俺のコレクションが入っている切手帳を手にしている。

「おいっ、それに触るな!」咄嗟に怒鳴ったが、娘は聞いてはいない。

 娘は切手帳に鼻を当てると、

「くちゃい!」

 そう言った。

 母娘揃って、俺の大事なコレクションを臭いと言いやがって。

 俺は怒鳴りそうになるのを懸命に抑えて、

「そのアルバムはお父さんの大事なものなんだ。こっちに寄越しなさい!」と、娘に言い聞かせるように言った。

 そこまでの言葉は娘は分からない。俺は娘から切手帳を奪い取ろうと、庭に出た。

 だが間に合わなかった。

 娘はアルバムをブックバンドを解き、バラッと開け、寄りによって逆さまになった状態で、ぶんぶんと楽しそうに振ったのだ。

 髪を入れてあるのは、切手サイズのシートだ。下は空いていないが、上は切手が取り出せるように開いている。つまり、アルバムを逆さまにすれば中の髪は落ちてしまうのだ。

「やめろおっ!」

 相手がまだ幼い自分の娘であるにも関わらず、俺は怒号を浴びせた。

 娘は泣き出したが、それよりも髪の方が大事だった。

「あなたっ、娘になんてことを!」妻が叫ぼうが俺は髪の方が気になっていた。

 だが、泣き出した娘は更にアルバムを大きく振り出した。同時に、中の髪がハラハラと地面に落ちた。

 ああっ!

 俺の人生の全てが、庭の上に・・落ちていく。

 その時、またあの声が聞こえた。

「いたいっ」・・それは女が髪を引き抜かれる時の声だ。


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