生きゴミ

芦屋 圭

第1話


 朝、煙草が切れてしまったのでしょうがなくコンビニまで買いに行こうとアパートのドアを出ると、となりの部屋に住むおじさんがゴミ捨て場に座り込んでいた。なぜか大きな白い袋の中から頭だけを出した状態で。まるでゴミ捨て場に捨てられる沢山のゴミ袋のひとつのように。お酒好きな人だとは聞いたことがあったので、酔っ払って寝込んでしまったのかとでも思ったけれど、だとすると大きな白い袋に入っている説明がつかなかった。しかもおじさんは寝ているわけでもなければ、酒に酔っているわけでもなく、完全に素面しらふの状態でその白い大きな袋に入っていた。

「……何してるんですか」

 あまりにも不思議な光景をの当たりにしているものの、恐怖などは感じなく、むしろ純粋な疑問だけが残っていて、僕はおじさんに話しかけていた。でもおじさんは喋らなかった。何も喋らないのに、ただこちらをじっと見つめ続けてきた。その顔は酷く物憂げで、何かを訴えかけているようにしか見えなかったが、おじさんは誰かに決して喋ってはいけないと命令でもされているみたいに、頑として喋ることがなかった。

「……頭おかしくなったのかな」

 何も言わぬおじさんの前を通り過ぎたあとも後ろから見られているような視線を感じた。振り返るとおじさんは先程と同じ顔でやはり何も言わないまま、まだ僕のことをじっと見つめ続けていた。いよいよ気持ち悪くなってきて、僕は早足でそこから立ち去った。コンビニで煙草を買ったあともおじさんの不気味な顔つきが忘れられず気分が優れないままだった。僕は駅前の喫茶店まで歩き店内でアイスカフェオレを頼んだ。店員の女性が、「ただいま食欲の秋フェアをやっておりまして、安納芋のタルトを販売しております。ご一緒にいかがですか」と話しかけてきた。とてもじゃないがそんなものを食べられる状態ではない。素直に断っても店員の女性はニコニコと奇妙に笑いながら会計作業に入った。

 Lサイズのアイスカフェオレのグラスは思ったよりもでかく、片手で持つには持てるがすぐに手首がくたびれてきた。女性はいったいどうするのだろうと疑問に思い店内の様子を伺うと、女性たちは皆グラスをテーブルに置いたままストローを使って味わっていた。優雅に、上品に、一回に口に含む量は少なく、決して音は立てない。微笑みの裏にそのような行為を取り入れ、談笑する。僕はすぐにLサイズのアイスカフェオレを飲み干してしまった。それでもまだ喉が渇いていたのでレジへ行き、同じものをくださいと告げた。店員の女性はニコニコしたまま同じものと言いますと? とでも言いたげに小首を傾げるだけだった。僕は丁寧にLサイズのアイスカフェオレをくださいと注文を訂正した。かしこまりましたと店員の女性はニコニコしながら言った。正式名称を言わないと注文を受理しないという厄介なマニュアルが仕込まれているのかもしれない。

「ただいま食欲の秋フェアをやっておりまして、安納芋のタルトはご一緒にいかがでしょうか」と店員の女性が言った。ごめんなさい、結構ですともう一度断ると店員の女性は相変わらずニコニコと奇妙な笑顔を浮かべたまま会計作業に入った。何度断られてもとにかく安納芋のタルトをご一緒させる方向に持っていけ、もちろん笑顔を絶やさずに、というもはや洗脳に近いマニュアルが仕込まれているのかもしれない。

 一時間少々をアイスカフェオレ二杯で潰し喫茶店を後にする頃には、幾分例の気持ち悪さは軽減されていた。家へ戻り部屋の中に入るにはどうしてもゴミ捨て場の前を通らなくてはいけないことだけがネックだが仕方ない。そうしないことにはいつまで経っても自分の部屋に帰ることができない。

 おじさんはそこには居なかった。ほっと胸を撫で下ろし僕はすぐに部屋に入ることにした。どんな事情があったのかは知らないし、なんでわざわざゴミ捨て場に座り込んでいたのかも分からないが、さすがに色んな人に注意され撤収を余儀なくされたのかもしれない。悪ふざけにしては度が過ぎているし、真剣にやっているのだとしたら余計に大問題だ。

 部屋の中で煙草を吸いながらそんなことを考えていたが、吐き出した煙が何処かへ流れ去っていくように、やがてその考えも頭の中からすっと消えていった。

 

 翌日、執拗な玄関のチャイム音によって嫌な気分で目が覚めた僕は諦めの悪い訪問者に対して苛立ちを露わにして部屋のドアを開けた。訪問者はシワのないスーツを着た中年男性で、ポマードを付けすぎているのか、寸分のずれなくきっちりとまとめられた七三分けは日中の陽光をしっかり反射するほど光沢を放っていた。男性はこちらの苛立った様子など少しも気にするそぶりもなく嬉しそうに両方の口角をしっかりと上げたまま微笑んでいた。ビジネスの場ではあるが、ビジネスと相手に完全に悟られないための笑顔と銘打って教材として発売されていそうな笑顔だった。そして、「収集に参りました」といきなり告げた。

「は?」

「収集に参りました」

 寝起きで聞き間違えたのかと思い、聞き直してみたが、男性は浮かべた笑顔を一ミリも崩すことなくとても明瞭に同じ言葉を繰り返した。

「……あの、なんの収集ですか? ……宅配便、なわけないですよね、スーツだし。だとすると何か頼んだような覚えはないんですけど」

「違います、生きゴミの収集に参りました」少しだけ男性から発せられる言葉の情報量が増えたが、それでも一体なんのことを言っているのかさっぱり分からなかった。

「……こちらから通知書を送らせていただきましたが、ご覧になってませんか」

 男性はアパートの外にある郵便受けの方に一度視線を向け、またすぐにこちらへ戻した。いらないデリバリーのチラシが郵便受けの中の大半を占めているが、その中に国民健康保険やら国民年金やら市民税やら様々な税金の未納と催促の通知書が紛れている。それでも僕はそれらを纏めてゴミ箱に捨てていた。仕事もしていないので払うこともできない。日雇いを続けながらなんとか定職を探していると親を騙し、家賃と食費の援助を受け、のうのうと暮らしている。そのことに罪悪感を感じることもなく。

「もう一度ご説明致します」男性は微笑みながら言った。「あなたは現在、一年以上の収入実績がなく、国民として支払う義務のある国民健康保険、国民年金、市民税も一切納めておらず通知書に目も通していない。度重なる非人道的行為に対して然るべき行政機関はあなたを〝生きゴミ〟と断定することにし、社会から排除することを決定いたしました」

 言葉が出なかった。いったいこの男は何を言っているのだろう。生きゴミ? 社会から排除?

「これはすでに決定された事項であり、いかなる例外、懇願、猶予も一切与えられません。また、抵抗が見られた場合、生きゴミを完全な廃棄物スクラップとして処理する権利を我々は与えられています。悪いことは言いません。生きゴミとして素直に回収され、再利用リサイクルされた方がいい。あなたは今は生きるゴミでしかないが、再利用して真人間としてリッパに生まれ変われば素晴らしい人生が送れるんです」

 一体なんのことだと言葉を発しようとした時には既に遅かった。いつのまにかベランダからも似たようなスーツを着た男たちが室内に侵入しており、僕の首元に注射針を差し込んでいた。意識はあっという間に薄れていき、視界はぼやけ、やがて完全な暗闇へと包まれていった。その中で「おめでとう」という優しい声が何度か聞こえたが、すぐに聞こえなくなった。

 

 目の前を若い女性が通り過ぎていく。近所の公園でよく見かける高校中退で働きもせず遊び呆けていた女だ。汚い金髪にスウェット姿しか見たことがなかったが、今は髪の毛は黒く一つにきっちりと束ね、リクルートスーツを着ている。僕のことを見る目に憐みが混じっているのを感じる。もう誰も僕に声をかけるものはない。働かざる者は生きゴミとして回収されることを知らない人はいない。生きゴミは回収前に特殊な薬を注入され自ら動くことは出来ないし、喋ることも出来なくなる。そして用意された白い大きな袋に詰められゴミ捨て場で収集車がやってくるのを待つだけの身になる。世間に今までの生き恥を晒しながら。

 トラックがやってきて降りてきた若い男たちが僕の入った袋を担ぎあげ、乱暴に荷台に放り込んだ。ふつうのゴミ収集業者がゴミを回収していく時と何ら変わりのない動作で。

 投げられた先には同じように白い袋に詰められた様々な年代の男女が転がっていた。当然、皆喋ることは出来ない。だが、表情にどこか明るさを感じる。自分の置かれた状況に喜びを感じているような……。そうか、皆、再利用されることを待ち望んでいるんだ。どんなやり方か分からないが、まったく別の人間として生まれ変わることができる、というようなことを確か言っていた。そうだ、よく考えればこんなに喜ばしいことはない。生きた人間として二度目の人生を送ることができるのだ。いつのまにか僕も期待に胸を躍らせ、今か今かと到着を心待ちにしていた。車の走行音が止み、荷台の扉が開かれ、何もないだだっ広い空間が見えたと思っている矢先に、男たちが袋に入った人間たちを乱暴に地面に落としていったが袋の人間たちは誰一人苦痛の表情を浮かべていなかった。全員が降ろされたあと男の一人が何かの合図のように大きな声を上げた。どこか別の場所に移動をするのかと思っていた僕の頭上に大きな黒い影が現れ、袋の人間全員がそれを見上げた。降ろされた部屋と同サイズの分厚い鉄板がぶら下がっている。いつのまにかトラックの男たちは遠くに離れている。〝あ〟、これから何が行われるのか気付いたと同時に、鉄板は数秒後にはすぐ目の前に迫っており、ぐちゃりという音が自分の中から聞こえた。

 

 ——音はすぐに止まった。

  〈了〉

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