第5話 再び『帰る』

 翌日の電車の中。


 帰る・・・


 いつもの文言だが・・・今日は入力するときに手が震えた。思い切って、『送信』をクリックする。あの黒い箱のスイッチは富樫が入れてくれているはずだ。これで、本当に私は元の『Aの世界』に戻れるのだろうか?


 いつものように・・・眼を閉じて、座席に深々と身体を預ける。背中から電車の振動が伝わって来た。振動が子守唄のように心地よい。


 瞼が次第に重たくなってくる・・・


========


 眼が覚めると、電車は最寄り駅のホームに止まっていた。発車のベルが鳴っている。私はあわててホームに飛び降りた。


 駅から、いつもの夜道を20分ほど登ると、私たちのマンションが見えてきた。マンションの入り口を入って、エレベーターで5階に上がる。私は505号室の前に立った。


 玄関のチャイムを鳴らすと、少ししてドアが開いた。


 美咲が立っていた。


 私は眼を見張った。


 あの髪型、あのセーター・・・私がよく知っている美咲だ。


 やった! 私は元の世界に帰って来た!


 私が声を上げる前に、美咲が先に言った。


 「あなた・・・あなたが、今まで美咲という別の女のところに行っていたのは分かっているわ」


 「えっ?」


 美咲の手にナイフが光った。


 次の瞬間、美咲のナイフが深々と私の胸を貫いた。


 私は美咲の足元に音もなく崩れ落ちた。倒れた私の眼に・・・美咲の足元に、あの黒い箱が置かれているのが映った。


 そ、そうか・・・あの『Bの世界』の私も・・・こうして、美咲に殺されたんだ!


 朦朧となる私の意識の片隅で疑問が湧いて来た。


 美咲が、多元宇宙などという理論物理の学説を知っていたのだろうか?


 あの富樫の顔が浮かんだ・・・


 そ、そうか! これって・・・


 それ以上は考えられなかった。私の意識が薄くなった。


       了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

輪廻 永嶋良一 @azuki-takuan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画