重ねあう口と口から溢れでる涎の雫、見逃さないで

闇鍋

 


彼女は不満に満ちていた。


宗教二世の家に育ち、幼い頃は親から「教育」と称して鞭で何度も尻をぶたれたという理不尽な目にたくさんあった。


ぶたれた尻は赤く腫れ上がり


「痛いなあ」


と思いながら、翌日学校に行ったことも今では遠い昔話だ。


彼女は大学に進学し、一人暮らしを始めた頃から自身の自由を獲得した。


はじめての一人暮らし。


はじめてのアルバイト。


はじめてのコンパ。


はじめての恋。


それまでの束縛されまくった生活からの反動だろう。


彼女は気軽に誰とでも寝るビッチになった。


少しでも興味を持てば、誰とでもホテルに行った。


そんなことも彼女にすれば、たいしたことではなかった。


幼い頃に受けた虐待に比べれば。




彼女はたくさんの恋をした。


そのなかのひとりと結婚をした。


子供はふたり出来た。


幸せであるように見えた。


しかし、彼女の内心は別のところにあった。


育って来た環境の影響だろう。


彼女は本当に思ったことを口にすることは滅多になかった。


彼女は壊れていた。


抑えていた欲望は、やがて不満へと変わり、爆発した。


最初、「鬱病」という形でそれは出た。


夫の勧めで心療内科を受診したところ、医師からそう告げられた。


やがて、その病名は「躁うつ病」に変わった。


現在では双極性障害と呼ぶらしい。


彼女は自分の病に大いに悩まされた。


躁うつ病とはその名の如く。


躁の状態。


自分は何でも出来ると思い込む万能感。


鬱の状態。


何も出来ずに部屋で閉じこもる日々。


それらのサイクルが不定期に襲って来て、自分でもコントロールすることは出来なかった。




家庭は崩壊した。


夫は彼女を支えようと懸命に努力を重ねた。


しかし彼女にとって、夫はいつしかストレスの原因となり、病気の治療のために専門の病院に入院したり、別居したりなど試してみたが、最終的に「離婚」することでしか、彼女の中の闇を消せない。という結論に至り。


彼女は子供を連れて、実家へと戻った。




とは言え、彼女は結婚してる時分から浮気もしていた。


出会いはたいていネットを介してのものだった。


そのなかの一人が妻子持ちの優男で、彼もまた彼女と同じように宗教二世の家で育ち。


言葉にせずともわかることだらけの二人は自然と惹かれあった。


ただ、二人は遠距離恋愛の関係にあった。


だから、会う機会は多くて月に一度。たいていは三ヶ月とか四ヶ月に一度会えるかどうかの関係だった。


その男も彼女と同じように妻と子供がいた。


彼もまた、彼女の離婚とタイミングを同じくして、離婚をした。


彼女の離婚はやがてその彼と結ばれるもの、と期待も含めた上での離婚でもあったが、彼の内心は別のところにあった。


「もう束縛されたくないんだ」


そう宣言し、理由は分からないが、彼は自分の住む土地に一軒家を購入した。


彼女はそのことに大いに憤慨したが、理由を聞くことは出来なかった。




今年の一月は、ひさびさに二人は会う約束をしていた。


彼女は、男と会える嬉しさ、結婚する気はないと言われたも同義の言葉に対する不満。


しかし他には代えられないその男の存在。複雑な感情を抱いたまま、落ち合った。


居酒屋へ行き、飯と酒を一緒に嗜み、好きな男の顔を見ながら


「やっぱりこの人しか居ないな」


と彼女は確信した。



当然のように二人はホテルへと向かった。


部屋に入るなり、ふたりは濃密な口づけを交わした。


重なる口と口から、よだれがこぼれ落ちた。


よだれの雫はシーツに大きな水溜まりを作り。それでも口づけは終わらないものだから、その水溜まりはますますその大きさを増した。


ふたりは夢中で行為に没頭した。


そして気付いてなかった。


よだれの水溜まりはやがて立体になり、見たこともない化け物へと変容した。


化け物は見るもおぞましい姿をしていて、身長2メートルほどであるのに対し、その口は1メートルはあろうかというほど大きく。その大きな口の中から、口には収まりきらないほどの、大きな牙が飛び出していた。


男が彼女を背後から愛撫する最中に、化け物は背後から忍び寄り、その男を食べた。


彼女は突然のことに驚いたが、いつものように押し黙っていた。


そして。


笑みを浮かべたような表情を浮かべ、ホテルを後にした。


化け物は彼女に残された後、そのホテルの部屋を住まいとし、来るカップルを背後から襲い続けた。


これが後に「道玄坂ラブホ街、謎の連続行方不明事件」として、テレビやYouTubeなどで取り上げられた。



彼女は地元で主婦友とお茶をしながら、その話題を聞かされた。


「へえ、そうなんだ。怖いね。」


そう言って、彼女は微笑んだ。



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重ねあう口と口から溢れでる涎の雫、見逃さないで 闇鍋 @yaminabe_ttt

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