第5話
恋人というのは無理に近いが、とにかく【お友達から作戦】は実行しなければならないと、浅見は出来る限り手を回すことを考える。
このままでは一目惚れされた姫木家が、天王寺家に潰されかねないと。
一日も早く友人という関係に運ばなければ危険で、天王寺が叩かれたという事実を、一秒でも早く有耶無耶にしなければならないと、浅見は久しぶりに背中が冷えた。
「明日が、待ち遠しすぎる」
「過度な接触は控えてくれ」
「了解した。姫に嫌われたくはない」
「頼むぞ」
これ以上溝も、距離も作らないで欲しいと、浅見は心から願う。
話がひと段落して、二人が部屋から出れば、
「尚様」
可愛らしい声に呼び止められ、振り向けば小柄でクリっとした瞳の可愛らしい男の子が立っていた。それを確認し、浅見はあからさまに表情を曇らせ、嫌悪感を現したが、天王寺は優しく微笑んで見せた。
「
「尚様と一緒に帰ろうと思って、待ってたんです」
にっこりと笑って駆け寄ってきた玲央と呼ばれた男の子は、
高校時代に天王寺に出会い、優しくされたのがきっかけでそれ以降、追っかけみたいに天王寺の気を惹こうと頑張っている。
桜井は、桜井カンパニーの息子であり、天王寺と同じ御曹司で間違いない。天王寺家に比べたらその規模はまだまだ小さいが、それでも大企業と呼ばれるに相応しい会社だ。
天王寺のことが好きだと全身でアピールする姿は、可愛く、愛らしく、素直に見えるが、浅見は裏の顔を知っているから、どうあっても好きになれない。
目先の利益や損得で顔と態度を変える桜井。もちろん天王寺はそれを知らない。
まあ桜井には申し訳ないが、浅見は初めて会った時から、こいつとは合わないと直感するほど好いていない。
よって、言葉に棘を含む。
「こんな時間まで、ご苦労なことだ」
「冬至くんこそ、さっさと帰ればいいのに」
互いに苦手だからこそ、嫌味な口調になる。馬が合わないとはこういうことだ。
だが次の瞬間、桜井の表情が悲愴な顔色に変化した。
「どうしたんですか、その頬! 赤く腫れてるじゃないですかっ」
「大したことではない」
「尚様の顔に傷がつくなんて、許せない」
頬を赤くして、桜井は怒りの声をあげる。
「傷にはならぬ」
きちんと冷やせばすぐに治ると言うが、桜井は納得できず、地団駄を踏みながらもっと怒る。
「一体、誰につけられたんですか!」
自分が敵を討ちますと言わんばかりの怒りで、桜井は犯人を教えて欲しいと迫る。
すると天王寺は、柔らかな笑みさえ浮かべて信じられない言葉を発した。
「私がつけたのだ」
「尚様、が?」
「私の不注意でこうなったまでのこと、心配には及ばぬ」
自分で負った怪我ゆえに、桜井が怒る必要も、心を痛める必要もないと、さらりと口にして、浅見は少しだけ驚きを見せた。素直な天王寺なら姫木の名前を出すと思ったのだが、欠片も出さなかった。
それを聞き、桜井は悲愴な表情を浮かべて見せる。
「僕がついていたら、そんな怪我させなかったのに……」
姫木に負けず劣らずの大きな瞳を潤ませて、桜井は心配そうに天王寺を見上げる。見つめる瞳が、あの時の姫木の瞳に被る。そこで天王寺はとある実験を思いつく。
「……、尚様?」
ふわりと伸ばされた天王寺の手が、桜井の頬に触れる。大好きな天王寺から触れられ、桜井の鼓動は高まり、大きな目はさらに大きく見開かれ、もっともっと見つめてしまう。
その瞳に天王寺の顔が徐々に近づき、次の瞬間頬に柔らかい感触が触れた。そう、好きで好きで、大好きな天王寺からキスをされたのだ。
追っかけを始めてから、初めての出来事に、それは天にも昇る高揚感を味わい、焦点の合わなくなった瞳が揺れて、蕩けた表情で天王寺を見つめ返す。
「尚様、大好きです」
頬を赤く染めた桜井がテンションマックスで抱きつく。が、しかし、天王寺はなぜか上を見上げて考え事をしていた。
(やはり私に落ち度があったとは思えぬ。……では、なにゆえ私は叩かれたのか?)
桜井で試してみた結果に、天王寺は姫木に叩かれた理由が見つけられず、苦い表情を浮かべてしまう。出会い頭に唇を奪ってしまったことは、確かに無礼であったが、頬に口づけをする程度ならば、挨拶ではないか? いや、頬ではなく手の甲にすべきであったのか? 順序を間違えてしまったのであろうか?
「尚人?」
上を向いたまま固まってしまっている天王寺に、浅見が声を掛けたが反応はない。
数十秒も険しい表情をして停止していた天王寺だったが、ふと眉間の皺が緩み、ふわりと優しい笑みに変わる。
(公衆の面前ゆえに、照れておったのだな。……誠、愛らしい姫である)
自分の中で勝手に結論を出して、天王寺はそんなところも可愛いと、つい笑みが零れてしまった。
桜井に抱きつかれ笑みを浮かべた天王寺に、浅見は怪訝な表情を見せながらそっと耳打ちするように、再度名を呼ぶ。
「尚人」
「姫は、照れておったのだ」
なんとも嬉しそうにそう返され、浅見はようやくキスの意味を知る。姫木に叩かれたその理由を、天王寺なりに都合よく解釈したのだと。
桜井に好意を持ったわけではないと知り、浅見の心は鎮まる。だが、その危険な解釈は訂正するべきかと迷ったが、口を出すのを止める。
おそらく姫木は照れていたわけではなく、本気で嫌だったんだろうとは察するが、天王寺がとても嬉しそうなので、浅見はついそのまま放置することを決めた。
◆◆◆
「バカぁぁぁ!! 俺の大馬鹿!」
家に帰るなり、俺は部屋に駆け込んでベッドに潜り込んだ。
どうしよう、超金持ちのお坊ちゃんをひっぱたいてしまった……。しかも二度も。
頬にキスなんて、挨拶だろう。外国映画でよく観るだろう俺! なんで寄りにもよって思いっきり叩いたんだよぉ。
金持ちと庶民じゃ住む世界が違うんだ、きっとなんかいろいろすごい世界なんだってば。俺の知らない交流方法なんだろ、キスも。『姫』って呼ばれたのだって、誰かと間違えてるのかもしれないし、今頃、人違いだったってマジで怒ってるよな。
これって、社会問題とかになる? もしかしなくても暴行罪とかっていうんじゃ、……俺、裁判にかけられて、捕まんの?
お先真っ暗の未来が過り、全身から汗が噴き出る。
身長が低く、おまけに大きな目で幼いころから全然変わらない顔立ち、そのせいか、昔から男女問わず可愛いを連呼される。
スポーツが苦手なので、体力作りもしていない体は筋肉らしい筋肉もついておらず、小柄なままだ。幼い頃は誰構わず抱きつかれたり、頬ずりされたり、頬にチュウをされたり、随分可愛がられた記憶があるが、さすがに中学生あたりからそれも少なくなった。
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