第3話

 カフェの入り口から、俺の禁句を呼んだやつがいたらだ。こんな苗字だから、昔から『姫』だけ協調されて、『姫ちゃん』とか『姫くん』とかやたら茶化され続けてきた。

 当然そのたびに大喧嘩。小学生の頃なんか取っ組み合いになって、毎度散々な目にあっていたが、中学、高校へと進むに連れ、さすがにそれはイジメへと繋がっていって、徐々に茶化す奴は減っていった。それなのに、大学生でまさかその名をまた呼ばれる日がくるなんて思いもせず、俺は怒り心頭で振り向くと、


「俺を、姫って呼ぶなッ!!」


 と、大声で叫んだ。

 そして、見事に固まった。

 そう、そこにいたのはこれから謝罪に行こうとしていた、天王寺様が立っていたからだ。見惚れるほどの美形に、目を引く金の髪。おまけに180センチ以上はあるだろう高身長で、足が長い。一方、俺はと言えば、身長165センチの小さな体で、髪だって艶なんかない、唯一の取り柄と言えば、大きな瞳くらいだ。

 明らかに負けを認めざる得ないこの差に、俺は泣きたくなる。


「姫っ」


 視線が合えば、天王寺はズカズカと凄まじい勢いで迫ってくる。同時に、俺のムカムカも湧き上がってくる。こいつが俺にキスしやがったんだと。

 が、次の瞬間、俺も秋元の双子も、カフェにいたすべての人が目を点にした。


昨日さくじつは名も名乗らず、姫に無礼なことをした。私はこの学校で委員長を務める天王寺尚人、空から降る姫のあまりの愛らしさに我を忘れてしまったようだ」


 呼ぶなと言ったのに、こいつは『姫』を連呼しながら、片膝を床について俺の手をとる。

 その姿はまるで異国の王子様。そのうえ、一般人の俺にゆっくりと頭まで下げた。


「姫、私の無礼を許していただきたい」

「……」


 何が……、起こった? いや起こってる?

 まさか天王寺が床に膝をついて謝罪をするなんて、誰もが驚きとパニックで時が止められる。超金持ちだし、超イケメンだし、御曹司だろう、そんな奴が俺に頭を下げている……。えっと、これって昨日のキスに対しての謝罪なんだよな。

 もう何が何だか情報が追いつかなくて、俺の頭は真っ白。


「姫?」


 完全に固まってしまった俺に、天王寺が不思議そうに立ち上がった。それに釣られるように、俺は天王寺を視線で追いながら、大きな瞳をさらに大きく見開く。

 互いの視線が絡み合い、俺は無意識に天王寺の琥珀色の瞳に釘付けになっていた。


「……姫」


 絶対呼ばれたく名で呼ばれても反応できずに、本当に思考回路が停止してしまった俺に、天王寺がそっと手を伸ばす。

 伸ばされた手は頬に当てられ、包み込むように触れられ、そのまま綺麗な顔が徐々に近づいて、頬に口づけをされた。



 ―― バシッ ――



 時が止まっていたカフェに、乾いた音がやけに大きく響き渡った。時が動き出す。

 気が付けば、俺の右手は痺れるような痛みを伴っていた。そして、そのまま俺は盛大な叫び声をあげて、カフェエリアから走り去った。


「姫って呼ぶんじゃねえっ!! お前なんか大嫌いだッ!」






 ◆◆◆

 2度目のビンタを食らった天王寺は、またまた特別学友室で、浅見から貰った冷えたタオルで頬を冷やしていた。


「大丈夫か?」

「大丈夫ではない」

「医者を呼ぶか?」


 浅見は頬が痛いなら、今すぐ専属の医者を呼ぶと提案するが、どうやら診てもらうべき箇所は別の場所だと、頭痛まで伴う。


「吸い込まれてしまうかと思ったのだぞ」


 冷やしたタオルを頬に当てたまま、天王寺は、あれは不可抗力だと息を吐き出す。


「忠告はしておくが、ここは日本だ」

「そのようなこと分かっておる。だがしかし、零れそうなほどの大きな瞳で見つめられたら、口づけをしたくなるであろう」


 むしろ、強請られてると勘違いして当たり前だと、なぜか開き直る始末。

 どうやら今回はなぜ叩かれたのか、しっかりと自覚はしているようだが、反省はしていないご様子。浅見はどうして天王寺ともあろう者が、男の子に興味を持ったのか、そこのところを詳しく知りたいのだが、天王寺が次に口にした台詞に、浅見は思わず眼鏡がズレた。


「本日は口ではなく、頬に止めたと言うに、私はなにゆえ姫に叩かれたのだ?」


 本人は自覚していないどころか、キスしたことに対して微塵も罪を感じていなかった。

 頭脳明晰、礼儀正しく、控えめな性格。それが天王寺尚人という人物。


「再度確認するが、性別は男か?」

「何度も言わせるでない。私にとってはどちらでも構わぬことだ」

「しかしだな」

「姫は、私だけの姫。誰にも譲らぬ」


 もう何を言っても通じないのか、天王寺は『姫』と何度も呼びながら、うっとりとしながら頬を冷やす。

 情報が取集できず、仕方なく浅見はPCを開く。一体天王寺はなぜ男の子を『姫』と連呼するのか、それほどまでに入れ込むのか?

 その答えは数分後に分かる。


「なるほど、そういうことか……」


 在学中の生徒のデーターベースより、昨日起こった事件から逆検索して、姫木陸のデータを探し出し、顎に手を添えて妙な納得をさせられた。

『姫』は苗字からで、吸い込まれそうだと言ったのは、その大きな瞳だ。身長は低め、体格は小柄、顔も幼く可愛いと言うに値するだろうと、浅見なりの見解を見出す。

 だが、確かに男の子で間違いはない。天王寺がキスをしたくなるほどの者かどうかは、不明だ。


「尚人、本気なのか?」

「姫は私と巡り逢うために、降ってきたのだ。運命である」

「頬を引っぱたかれたのにか?」


 大袈裟なんかじゃない、これは一大事で、事件として取り扱われても相手は文句ひとつ言えない立場だ。高額な慰謝料を請求されるだけじゃなく、家庭が崩壊してもおかしくない出来事なのだ。それほどまでに天王寺グループは強大な会社と地位を確立している。


「私に落ち度があった、ゆえに私は罰を受けたのだ」


 ああ~、もう駄目だ。浅見は、コレは一目惚れだと直感した。

 天王寺が恋? それこそ信じられないが、目の前の出来事も現実。こうなったら、初恋を応援してやるのも親友の務め。浅見は一肌脱ぐことを決めて、天王寺に助言する。


「まずは友達から始めたらどうだ」

「恋人からではないのか?」

「初対面なら、友人になるのが先決だな」


 そもそも相手は男だ。普通に考えて、恋人という発想は飛び過ぎていた。徐々に距離を詰めて、それから恋人になれと浅見は告げる。

 一時の迷いということもあると、浅見は友達になれるように手を貸すと言った。


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