第2話
姫木の茶色の大きな瞳が開き、視線が合った瞬間だった、なんて可愛らしい、抱きしめたい、キスしたい、瞬時にそんなことが頭を駆け巡ったのは事実。そして、考えるよりも行動にでてしまった結果がこれだ。
例えるなら、お店で可愛いものを見つけ、これ欲しい! と迷わず買ってしまう女の子の気持ちと似ていたかもしれない。
だが、浅見にとっても学校にとってもこれは大事件。
「いいのか尚人、お前を叩いた奴を放っておいて」
世界の天王寺グループの息子を平手打ち、ただの喧嘩で済まされる訳が無い。状況を重く見た浅見が声をかけるが、肝心の天王寺は上の空で、頭の中ではまだキスの余韻を味わっている始末。
「舌を入れたのが、まずかったのだろうか?」
自分の落ち度をボソリと口にした天王寺に、浅見は眼鏡を落としそうになってしまった。
「尚人、まさかキスしたのか?」
「何を申しておる、あのように愛らしい者をみて、触れるだけで済むはずがなかろう」
「初対面だろう」
「ようやく巡り逢うことができた」
相手の平手打ちも大問題だが、天王寺のキスもどうなのかと、浅見は頭痛を覚え、頭を抱えて見せた。天王寺が何かに興味を持った? それも男の子? そんなことがありえるのか? 一体全体、何が起こったんだと、浅見は天王寺をじっと見つめたが、当の本人は、本当に頬を叩かれた意味を理解していないようで、あれこれと憶測をし始めていた。
「確認だが、相手は男で間違いないんだな」
浅見は、もしかしたらそこが記憶違いなんじゃないかと、最終確認をとるが、天王寺は真剣な眼差しを向けながら、
「性別など問題ではない。あの者は確かに私の姫だったのだ」
文句は言わせないと、強い光を宿した瞳で射抜いてきた。
あの時、天王寺の傍にはいたが、それほど距離が近かったわけではなく、受け止めた白い塊がなんであるか、浅見でさえ目を細めたのは覚えている。
生徒の悲鳴が聞こえ、気が付けば天王寺の頭上に白い大きな塊が降ってきていた。咄嗟に天王寺を守るために足を踏み込んだが、間に合わず、天王寺はそれを両腕にしっかりと抱え込んだ。
白い布から足が見えたので、それが人だと認識したところで、浅見は二つのことに安堵した。まずは天王寺が無事だったこと、それと落下してきた人物が無事だったこと。
運がいいといえばそれまでだが、もしも天王寺が受け止めていなかったら、あの者は、おそらくただでは済まなかっただろうと。
が、だ。次の瞬間、天王寺がいきなりその人物を抱きしめたのだ。そして盛大にビンタを食らわせて、助けた人物はカーテンを纏ったまま、物凄い勢いで走り去った。
つまり、浅見はその人物が男女どちらだったのか不明だったのだが、天王寺が男性だったと呟いたことから、それを信じたが、確認は取れていないのが現状。
「忠告しておくが、罪は免れないぞ」
「姫に口づけをしたことが罪と言うなれば、私は喜んでその咎を受けよう」
「お前ではなく、相手だ」
「ああ、愛しの姫。そなたはどこへ消えてしまったのだ」
罰を受けるのは天王寺ではなく、間違いなく相手だと告げるが、天王寺の耳にはもう浅見の声は届いておらず、頬を冷やしながらうっとりと天を見上げていた。
「……重症だな」
一人の世界へと旅立ってしまった天王寺に、半ば呆れるように自席についた浅見は、眼鏡の位置を正しながら、天王寺が叩かれた事実を有耶無耶にすべく、画策を始める。
あれはすべて演出であると拡散し、これが事件にならないようにと。
そんな浅見の苦労の隣では、
「可愛い姫よ、今すぐにでも会いたい」
叩かれたことなどまるで気にしていない天王寺が、うっとりとキスの余韻を味わっていた。
―――――――――――大重症だ。
◆◆◆
「陸、さすがにそれはマズイぞ」
「どうしよう、陸くんが捕まっちゃう……」
翌日、校内のカフェの隅っこで幼馴染の
もちろん顔面蒼白なのは俺も同じで。
「知らなかったんだって」
「知らないじゃ済まされないぞ、陸」
助けてくれた人物が、まさか学校の創設者のお孫さんだったなんて、本当に知らなかったのだと姫木は文句を言うが、世の中には知らないですまされないことがある。
けれど、先に手を出してきたのはあっちで……。
「言っておくが、俺は被害者だぞ」
いきなり男からキスされるなんて、犯罪だろうと姫木は火月に食って掛かるが、冷たい視線を向けられる。
「一般人ってのは、権力者には勝てないんだよ」
「……分かってるよ、そんなこと」
それが暗黙の掟。所詮上層階にいるような人には勝てない。そんなことは言われなくても分かってて、ちゃんと反省もしている。思いっきりひっぱたいてしまったのは自分で、傷や痣ができていたら、取り返しがつかないことだって。
「……陸くん」
黙り込んでしまった姫木に、水月が心配そうに声を掛けるが、良策など見つからない。
3人はそのまましばしの沈黙を作った。
「俺、どうなるのかな?」
不意に真っ暗な闇が広がって、姫木は俯いたまま小さく声を吐き出した。
「退学どころじゃないかもな」
「火月ちゃん!」
「天王寺グループのご子息だぞ、お咎めなしなわけないだろう」
「そ、それは……」
現実をしっかりと見た火月は水月に、退学は免れず、おそらく他にも罪に問われる可能性があると告げる。助けてあげたいのは山々だが、どうあっても救う手立てが見当たらないのだと、火月は奥歯を噛み締める。
一般に言えば、正当防衛で間違いないが、この場合、叩いた姫木が全面的に加害者になるだろうと、3人はますます肩を落とした。
「陸くん、謝罪しようよ」
「水月……」
「僕も一緒に行ってあげるから」
とにかく早く謝ったほうがいいと、水月が対策を持ち掛け姫木はようやく顔をあげた。
「よし! 俺も付き合うぜ」
二人で謝罪に行こうと誘われ、火月もそれに便乗する。ダメもとで謝罪しに行こうと。手を出したのは間違いなく姫木なのだから、そこはきちんと謝罪すべきだと、火月と水月は笑顔を作って一緒に謝ってくれると姫木の手をとる。
昔から優しい二人の手をとって、姫木は
「二人とも、ありがとう」
と、泣きそうな声をだして立ち上がった。
確かに手を出してしまったのは自分で、自分が悪いと、姫木は精一杯謝罪すると心に決めた。
許してもらえるかなんて分からない、けど、俺に出来ることはこれしかないと思ったから。
「大丈夫だよ、僕も謝ってあげるから」
「元気出せよ、俺たちは陸の友達だろ」
火月と水月に肩を叩かれ、姫木は決意を胸に天王寺の元へ向かおうと踏み出して、その足を止める羽目になった。
「姫はおるか?」
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