大和高田の寺や神社にまつわる物語

三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)

第1話 大和高田 弥勒寺(鐘に宿る祈り)

 1940年代、太平洋戦争が激化する中、弥勒寺みろくじにも金属供出の通達が届いた。国の命令は絶対であり、違反すれば寺や村の運命がどうなるか分からない時代だった。延享えんきょう元年(1744年)に鋳造された弥勒寺の梵鐘ぼんしょうも、国に差し出されることが決まった。


 住職の泰然たいぜんは、通達を前に深い葛藤かっとうおちいった。日々の祈りとともに鳴らされてきたこの鐘は、村人たちの祈りと安寧あんねいの象徴だった。その音色は、どんな困難にも耐えてきた村人たちの心を支え続けてきたのだ。鐘が失われれば、寺の魂も村人の心も損なわれるのではないかと恐れた。


 泰然は村人たちを集め、寺の庭で話し合いを始めた。年老いた女性、若者、農夫たち、村のさまざまな人々が集まり、それぞれの思いを口にした。


「鐘を差し出せば、この村が戦争から目をつけられずに済む。国に従うのが得策だろう」


「それでは、この鐘を守ってきた祖先の努力を無駄にしてしまう」


 年老いた女性が静かに立ち上がり、泰然に目を向けて言った。


「この鐘は、私たちの祖父母、さらにその先の代々が守り続けてきたもの。もし私たちが手放せば、先祖に顔向けできません」


 意見は分かれたが、泰然はその言葉に心を動かされた。そして、村人たちが考え抜いた末に出した答えは、「鐘を隠す」という決断だった。


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 深夜、村人たちは寺の境内けいだいに集まり、鐘を埋める作業を始めた。鐘楼しょうろうから慎重しんちょうに梵鐘を降ろし、大きな穴を掘って埋め、その上に草を植えた。鐘を隠し終えたとき、住職の泰然は鐘楼の下で一人座り込み、目を閉じた。


「これで本当に守れたのだろうか」


 彼の心には、まだ迷いが残っていた。


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 ある夜、泰然はついに決断を下した。鐘を埋めるだけではなく、再びその音を響かせる必要があると感じたのだ。誰もいない夜更け、村人たちとともに鐘を掘り起こし、鐘楼へ戻した。


 泰然は鐘楼に立ち、静かに鐘を鳴らした。その音は力強く澄み渡り、村全体に響き渡った。鐘の音は、まるで村人たちの祈りと覚悟を一つにするようだった。


 その音を聞きつけた役人が翌朝寺を訪れた。泰然は毅然きぜんとした態度で応じた。


「この鐘は、私たちの祈りそのものです。これを奪うことは、人々の魂を奪うことと同じです」


 奇跡的に、役人たちは鐘を供出の対象から外す決断を下した。鐘の音が彼らの心にも響いたのかもしれなかった。


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 戦争が終わり、弥勒寺の梵鐘は再び村人たちの日々に寄り添う音色を響かせるようになった。その音は戦争を乗り越えた村人たちの祈りと決意を象徴し、地域の象徴として語り継がれることになった。


 鐘の音が鳴り響く中、泰然は静かに目を閉じ、つぶやいた。


「この鐘は、ただの金属ではない。この音が響く限り、私たちの祈りもまた、生き続ける」


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▢▢▢ エピローグ ▢▢▢


 弥勒寺みろくじ梵鐘ぼんしょうは、今も村人たちの祈りを乗せて鳴り続けている。その鐘の音色には、戦争という過酷かこくな時代を生き抜いた村人たちの思いが刻まれている。


 物語の中で描かれた「鐘を隠す」や「役人たちの心を鐘の音で動かす」という出来事は、創作である。しかし、その背景にあるのは、実際に弥勒寺で梵鐘が金属供出を免れたという事実だ。


 延享えんきょう元年(1744年)に鋳造され、戦争の荒波を乗り越えた弥勒寺の梵鐘は、平成二十四年(2012年)には国の重要文化財に指定された。


 鐘は、ただの金属ではない。それを守ろうとする人々の思いと、響き続ける音色が、人の心に祈りを届け続けているのだ。


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2025年1月10日 07:00
2025年1月11日 21:00
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大和高田の寺や神社にまつわる物語 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou

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