ダイニングキッチンに入ってきたのは制服を着た女子高生らしき少女だった。

 あらかじめ翔矢の影の中を覗いて妹の美咲がどういう顔貌をしているか知っていた沢渡はうろたえることもなく平然と食事を続けた。

 翔矢はにわか仕込の格闘技を身に付けようとその方面の動画を漁って閲覧を繰り返していたが、やがて疲れを覚えてくると同時に空腹を感じ始めた。そしてパソコンをスリープにすると食事のために階下へと降りていった。ちょうど沢渡も空腹を感じていたので彼といっしょに階下のダイニングルームへ入って行った。

 沢渡は倉田優子が炊いた米を勝手によそい、カレーの入った鍋からお玉を使ってカレーをかけて食べ始めた。『消し染め』という技術を使って自分自身の存在を優子と翔矢の意識から消し去っていたため、すぐそばで沢渡がカレーライスを食っているにもかかわらず二人は何の違和感も感じないまま食事や会話を続けていた。

 だが沢渡は美咲に対してはまだ『消し染め』を使っていなかった。そのため彼女は帰宅したら見知らぬ男が兄と同じテーブルでカレーを食っていることに戸惑いながらも、男は母か兄の知り合いだと思い込んで挨拶し、あえて騒ごうとはしなかった。

 そのことを悟った沢渡は悠々と食事を続けていた。仮に騒ぎ出したとしても、美咲にも『消し染め』を使うまでのことだ。

 そんなことなどつゆとも知らず、優子は美咲を詰問した。

「何なの? ちゃんと言いなさい!」

 ピシャリと優子が言うのと2階にある自分の部屋に入った翔矢がドアを閉める音がするのとほぼ同時だった。

 一瞬、美咲の目に刺々しいものが光ったが、沢渡のことが気になったせいかすぐにそれは色を失い、彼女は神妙な口ぶりで弁解した。

「ごめんなさい。部活が終わって帰ろうとしたら友達がクラウドバーガーのバイトの面接に行くから一緒に受けてみないかって誘われちゃって」

 有名なファストフード店の名前を出して言い訳をする少女に対して、嘘を付けと沢渡はカレーライスを咀嚼しながら腹の底で笑った。だいたい部活後の面接となると時刻は夕方頃になる。そんな忙しい時間帯にファストフード店がバイトの面接をおこなうはずがない。

 しかし優子は血相を変え、そこではない別の点で美咲を叱りつけた。

「あなた、何考えてるのよ!? 毎月のお小遣いはちゃんと渡してるでしょ。だいたい何なの? そんなところでアルバイトするなんて。正気なの?」

 ファストフード店は風俗店でもないし、よほどの店でない限り3K職場でもない。だがお嬢様育ちで専業主婦の優子にはまだ未成年の娘が飲食店で働くということに強い拒絶反応があった。

「何かお小遣いで足りないことがあるのなら、相談して頂戴」

 ひとしきりきつい物言いをしたあと、優子は口調を和らげて諭すように言った。すると美咲は伏し目勝ちになりながら言葉を選ぶようにして弁解した。

「だって…おとうさんの勤めてる会社……今、なんでしょ? 高校の授業料ぐらいあたしで何とかしようかなと思って…」

 役者やのぉ〜と沢渡は思った。嘘の言い訳も然ることながら、その場に赤の他人らしき人物が居ることを利用し、人様に知られたくない家庭の事情をさらけ出すことで母親の追及を強制終了させようとしているのが見え見えだった。

 だが優子の意識には沢渡は存在していないのだ。美咲の計算は狂い、せっかく収まりかけていた優子の怒りが再燃した。

「子どもは余計な心配をしなくていいのよ! いいわね、今度こんなことがあったらお父さんに言いつけてきつく叱ってもらうわよ!」

 再び美咲の目に刺々しいものが宿った。そのまま無言で自分の部屋に向かって階段を上がっていく。

「待ちなさい! 話は終わってないわよ!」

 鋭く娘を叱りつけた優子だったが、追いかけようとはしなかった。ため息をつくと両手で頬を押さえ、顔をしかめながら椅子に腰掛ける。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る