都心の駅の構内で倉田翔矢はメッセージアプリを使って母親に連絡を入れた。医療機器を扱っている中堅企業のグループ面接を受けた帰りだった。本来は他にも2つの会社を回って面接を受ける予定だったが適当な理由を付けてキャンセルした。

 つくづく自分はコミュ障だと思った。ろくに自己紹介もできず、他の学生たちのように面接官の質問に対して的確な受け答えがスマートにできない。迷子の小学生よりも要領を得ない話し方だった。その場に居合わせた面接官や他の学生たちがよく失笑しなかったものだと思った。

 激しいストレスで全身汗まみれになっていた。着慣れないスーツの下のカッターシャツが下着を通して滲み出る汗でじんわりと濡れて気持ち悪い。もう今日はだ。所詮自分には就職は愚か就職活動さえ向いていない。

 キャンセルせず予定どおりに面接を受けていれば、それらの会社の所在地が遠方にあるため帰宅するのは夜の10時すぎになる。そのため夕食は外で食べることにしていると母親に伝えていたが、面接のキャンセルをしたのでその必要がなくなり、自宅で夕食を食べることを母親に連絡したのだった。母親からは理由を尋ねる返信や面接の様子を問いただすメッセージが届いたが、翔矢は無視した。

 来年の3月に大学を卒業する予定だったが、卒業に必要な単位がギリギリの数で微妙だった。最大の問題は卒論で、大抵は卒論で単位を落とすことは無いらしいのだが、大学での3年半をろくに勉強せずに過ごしてきた翔矢にとっては専攻する機械工学の初歩的な知識さえ怪しい状態であり、合格点をもらえるような卒論が書けるかどうか甚だ心もとない。仮に就職活動で内定をもらっても留年して内定が取り消されることになるかもしれないのだ。

 しかも翔矢が就職活動を始めたのは10月からだった。それも4回生になってからの話である。常識からすれば遅すぎるようなタイミングだった。仮に卒業できても就職が決まらずに就職浪人もしくは無職になってしまう可能性が大きかった。

 いずれにせよ、。ただでさえ自己肯定感の低い翔矢の自意識は、今まで世間の波風にさらされること無く過ごしていた境遇から一気に厳しい現実に直面することになり、ズタボロにされてしまった。就職活動を始めてから会社訪問の数も受けた面接の回数も両手の指で足りるほどだったが、すでに彼は絶望的な気持ちに陥っていた。

 元々、大学も親に勧められてなんとなく進学したようなものだった。大学生となって自分が象牙の塔にいる気分を味わうことはできたが、本気で勉強することもなく、かといって真剣に遊び呆ける無鉄砲さもなく、大学の授業料を親のスネをかじることによって賄い、ただダラダラと毎日を流していただけだった。

 そのツケが回ってきたのだ――翔矢は焦りと不安の中でそう思っていた。だが今日はあまりにも心身ともに疲れ果てていた。とりあえず帰宅して休まなければならない。

 電車に乗ろうと改札口に向かったとき、翔矢は人混みの中に思いもかけない人間の姿を見て立ち止まった。

 黒いレザーのジャケットとスカートの女性が同じく黒いレザーのジャケットとズボンを着た男と連れ立って歩いている。二人はカップルのようだがさほどじゃれ合うわけでもなく、どちらかと言えばお互いに素っ気ない感じがするのだが、それが却って二人の仲が昨日今日のものではないということを物語っているようだった。

 女性の方に見覚えがあった。妹の美咲だ。





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