第2話 諦めたようなもの

 枕元には昨日読んでいた昆虫図鑑がある。すっきりとした目覚めだった。

 昨日届いた昆虫図鑑を読み進めるかどうか悩んでいた。読んでも無駄な理想が思いついて気分が落ちてしまうかもしれない。

 でも、一度読み終えて頭に入っている本を読み返そうという気分にもならない。

 

「シア、おはよう。覚えてるかな?」水色の髪をした新しい担当者が部屋に入ってきた。

「スル、おはよう。覚えてる」シアはスルの名前を憶えていた。

「よかった~。今日の朝食だよ」

 スルが朝食をテーブルに置くと、ぞろぞろと清掃員が部屋に入ってきた。

「シアは部屋を掃除しながらでも普通にご飯食べれるんだね」

「うん、そのほうが効率いいから」シアは昆虫図鑑の続きを読みながら朝食を食べ進める。

「その昆虫図鑑、面白い?」

「まあまあかな」シアはスルの顔を見ずに感想を伝えた。

 

「ふーん、そうだ。蚊って知ってる?オスは花の蜜とかを吸うんだけど、メスは生き物の血を吸うんだよ」

「なんで?」シアはスルに聞いた。

「なんでだと思う?」

「必要だから?」

「そう、産卵するための栄養を摂取するために血を吸うんだ。しかも自分の体重の2倍以上も吸うんだよ」

「え」シアはスルの目を見た。

「驚いたようだね。体が重くなるから飛ぶ速度は落ちる。飛ぶ速度が落ちると他の生き物に狙われるリスクも大きくなる。でも子孫を残すためには血の栄養が必要なんだよ。生きるってことは危険が伴う。大変なんだよね」

 スルはさらさらと答える。

 シアは食べる手を止めた。

 メスの蚊はリスクを負ってでも血を吸うのにオスはのほほんと花の蜜吸って生きてるなんて、と思っていた。

「蚊やほかの生き物には生きる上で制限がある。僕ら人間もそう、メスの蚊のように体重の2倍血は吸えないし。でもね、人間には考える知能を持っているんだよ」

「考える…」

 シアは食べる手を止めた。

「ご飯食べる手は止めないで、ご飯食べ終えたら考えるといいよ。そのほうがいい」

「なんで?」シアはスルに聞いた。

「僕的にはそっちのほうが効率いいかなと思うよ。今は食べる、今は読む。物事をすることにメリハリをつけると質が上がると僕は思う」

「参考にする」シアはスルにお礼は言わなかった。


「そうだ、それ、おいしいの?」

 スルは紫色の〝毎日ジュース〟を指差した。

「おいしくない。まずいよ。甘いのに苦いし。でも飲まないといけない」シアは苦そうな顔をした。

「なんで?」

 スルはシアに聞いた。

「え?なんでって、毎日飲むものだから」シアは少し戸惑ったが今できる答えはこれくらいしか無かった。

「なんで毎日飲むか考えたことある?」

 シアは黙ってしまった。

「人間は考えることができる生き物だよ。考えることを諦めた人間は、人間を諦めたようなもの、だと僕は思うけど」スルは目を細め声のトーンを下げた。

「何が言いたい?」シアはスルを睨んだ。

「偉そうに睨み効かせちゃって」スルは煽るのが好きだ。

「恐れ入りますが、スル担当、干渉に該当します」清掃員のまとめ役であろう者がスルに小声で忠告した。

「ごめん。言い過ぎた」

 シアは気分が悪かった。〝毎日ジュース〟を飲み干しコップを力任せにテーブルに置いた。メルローもダルグも初対面はこんな奴のように不機嫌にしてくるような奴じゃなかった。担当を替えてほしいと誰に相談してみたらいいんだろう。清掃員は完全に分業してるから、言っても無駄だろう。本人に直接言ってやろうか。いや、正直話もしたくない。メルローやダルグに言おう。明日はダルグが担当の日だ。そうだ、ダルグに言おう。

「清掃、終わったみたいだけど」シアの心は閉ざしていた。最初から開いているわけではなかったが、嫌悪のまなざしは保っていた。

「そうみたいだ、気分悪くさせちゃってごめんね」スルと清掃員は部屋から去った。

 

 気分悪くさせちゃって…?俺があんな奴に気分悪くなったこと自体腹立たしい。

 ダルグに絶対言おう。あの水色髪のスルを担当から外してほしい。外さないと、ご飯食べないし筋トレしない。

 言う事聞かないってのはわがままかもしれない、でもそのぐらいする価値のある抵抗だ。

 しっかりと嫌悪の気持ちは育っているということをシアは実感した。

 今日はもう昆虫図鑑を見る気が起きない。シャワーを浴び歯を磨いてシアは寝床についた。

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