ど住

左耳右耳

いつもの部屋

第1話 昆虫図鑑と毎日ジュース

 目が覚めた。いつもの朝だ。

 

 毎日この部屋で暮らしている。天井には、太陽に模した灯り、空に模したプロジェクションマッピングが映し出されている。壁は真っ白で窓は無い。

 窓が無いのかは不思議と思わなかった。なぜなら17年この部屋でずっと過ごしているから、そういうことなんだと納得している。


 幸いなことに、毎週読みたい本を注文することができる。中には注文通りの本が届かないこともあったが、その時は部屋の隅に積み上げられている〝モラル・マリー〟という著者の本が届けられる。微塵も興味が無かったので1ページも読んでいない。

 ただ、物を与えられることは幸福であるべきと感じていたので、必ず渡してくれる〝担当者〟にはお礼を伝えていた。


 扉からノック音が聞こえた。壁に飾られている時計は8時ちょうどを指している。

 

「シア、おはよう。今日の目覚めはどうかしら?」

「うん、いつも通り。おはよう、メルロー」

 

 俺はシア、と呼ばれている。

 メルローは、俺の〝担当者〟の1人だ。ほどよく巻いた長い髪と眼鏡が印象的だ。

 担当者は朝食と1週間に1回本を届けてくれる。

 担当者のほかにも、ベッドを替えたり、シャワー室や部屋の掃除をしてくれる〝清掃員〟が何人かいる。清掃員達の名前は知らないが、担当者は名前を教えてくれるから教えてくれた名前を言うようにしている。


「今日の朝ごはんよ、それと、頼まれていた本」

「メルロー、ありがとう」注文通りに届いた本でシアは嬉しく思った。

 本の題名は〝新改訂版・いきもの図鑑~昆虫~〟で、シアはこれまで生きてきて実際の昆虫を目で見たり触ったことが無いので、外の世界には虫が歩いていたり飛んでいるということを聞いたため気になり注文した。


「注文が通ってよかった」

「そうね。もし、思い通りの注文が届かなかった場合でも、素晴らしい〝モラル・マリー〟が執筆した本が届くから安心してね」

 メルローはモラル・マリーの崇拝しているレベルの大ファンだ。モラル・マリーの話を始めると長くなる。

 興味の無い長い話はシアには苦痛でしかない。

「あ、うん」

「またそっけない。一度読んだらその素晴らしさに気づくから。気が向いたら読んでみてね。強制はしてないから」

「わかった」

 シアは朝食に手を付けた。

 

 朝食が食べ終わるまでは担当者は部屋から離れず、この間に清掃員達が部屋に入ってきてあらゆる場所の掃除をしてくれる。ご飯を食べている時に掃除をされるのでホコリは舞っているがあまりシアは気にしていない。

 本来であれば、朝食を食べ終えた後、担当者と話をしている最中に清掃員達が掃除をして、掃除が完了したら担当者も部屋から出るのだが、シアが1人で本を読む時間を少しでも長くするためお願いをして、朝食の時間と清掃の時間を一緒にしてもらっている。

 

「そうだ。シアの担当者、私とダルグなんだけど、明日からもう1人増えます」

 メルローはご飯を食べているシアに教えた。

「そんなに担当者増やしてどうするの?」

「私にもよくわからないんだけど、読んだ本についての話ができればってことで、先んじて紹介するわね」

「シア、はじめまして。新しい担当者の1人、僕はスルっていうよ」

 スルは背丈はシアより低い、水色のショートヘアが印象的だ。

「あ、よろしく」シアは朝食を食べながら一瞥した。

「そっけないのは最初だけだから、慣れたらちゃんと話をしてくれる。気にしないで」メルローはスルを諭した。

「明日ちゃんと話をしよう、シア」スルは顔合わせ程度に挨拶をして部屋から去った。

「そうだ。来週の本、何にする?」メルローはシアに尋ねた。

「うーん、そうだなあ。そうだ。本棚を整理したいから、整理術の本がいいかな」

「本を整理するための本が欲しいの?不思議」メルローは首を傾げ笑っていた。

「どう整理するかわからないから、知りたいってだけ」シアは味噌汁を啜った。

「まだ読みたい本と、もう読まなくていい本を分けるだけじゃない」

 そう言われてシアは部屋の隅に積まれている本を見た。

「あ、モラル・マリーの本は捨てちゃだめよ。まだ読んでないじゃない」

「読んだ本の内容は頭に入ってるから、もう読まなくていい本ってなるとこの昆虫図鑑以外全部ってなっちゃうよ」

 シアは朝食を食べながら、渡された昆虫図鑑をすでに読み始めていた。今は芋虫が蛹になり蝶へと変態するパートを読んでいる。


「何かちょうどいい本が無いか、調べて注文してみるわね」

 シアが注文する本の内容が抽象的な場合、メルローはリクエストを考慮して最適な本を注文することが得意だった。

 メルローが担当者になった当初は意志疎通がうまくいかず、思うような本を頼むことができなかったが、現在はシアがピンポイントな本を注文してくるため、とてもありがたかった。


「さ、その毎日ジュースも残さず飲むのよ」

 紫色の透き通った、〝毎日ジュース〟を飲み干した。

 この甘い飲み物がシアは苦手だった。物心ついた時には欠かさず飲んでいるが一向に慣れない。

「うげ、今日もやっぱりまずい」シアは水で口をゆすいだ。

「そんなこと言わないの。大切な〝毎日ジュース〟なんだから。そうだ。スルが新しい担当者として加わるから、次の本が届くまでの1週間のスケジュールとして、ダルグの担当日のうち2日がスルになります」

「てことは、トレーニングの日が減るってこと?」

「いえ、ダルグからはこちらを預かっています。筋トレメニュー表よ。ダルグが担当じゃない日も筋トレをするべし、ってことね」

「わかったよ…」

 シアは苦手な筋トレをする日が無くなると期待したがすぐに諦めた。

「ごちそうさま。今日もご飯おいしかった」

「はい、残さず食べたわね。清掃もそろそろ終わりそうね」メルローは部屋を見渡した。

 天井にあるカメラの位置や向きは変わっていないことを確認した。朝食の食器は清掃員が片付けた。

 

「そういえば、メルローは実際に昆虫見たことある?」

「あるわよ。私は好きでも嫌いでもないかな。ただそこにいるってだけだし。それよりかもどこにいるかわからないモラル・マリーのほうが好きだし魅力的ね。だから私からのお願い、せめて1ページでもいいからモラル・マリーの本、読んでほしいの」

「気が向いたらね」シアはメルローをあしらった。

「また、読まないんだから」メルローは少し落ち込んでいるようだった。

「メルロー担当、清掃完了しました」清掃員の1人が担当者であるメルローに報告をした。

「はい、ではシア。また今度ね」メルローと清掃員は部屋からいなくなった。


 メルローらの退散後、即シャワーを浴びふかふかのベッドに入り昆虫図鑑の続きを読み進めた。

 

 蝶の羽の模様は種類によって異なること、蟻は8割は働き2割は怠ける習性があるということや女王蜂は巣には1匹しかいないということ、夏に地上から姿を表す蝉は約3週間生き、絶えるということ。

 虫は奥が深い。これはまた昆虫図鑑を頼みたくなってきた。

 シアの好奇心は簡単にくすぐられた。

 

 もし、この部屋から抜けることができれば、自分の目で虫を見て触れることができるだろう。

 理想を膨らまそうとしても無駄だ。俺はこの部屋から出ることができない。

 17年1度も外に出た事がなかったしまたお願いしても危険だからと言って駄目だろう。

 少しふてくされてしまったシアは昆虫図鑑を閉じ、眠りについた。

 シアが眠りにつくと、偽物の空は暗くなった。


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 目が覚めた。いつもの朝だ。

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