セレブの『元妻たち』が英国アフタヌーンティーの歴史を語る

日置 槐

セレブの『元妻たち』が英国アフタヌーンティーの歴史を語る

 毎年1回、家族経営だった元職場の上司と同僚、その知り合いで集まって、当時のことを懐かしむ。それが私たちの長年の楽しみ。もちろん、職場以外にも私たちには重要な共通点がある。セレブな元夫を持つ女たち。いわゆる「元妻」だ。

 

『アフタヌーンティー。ずっと気になってたんです。今まで機会がなくて』

 

 それは良かったわ。今年の幹事は私。今日はロンドンで評判のいいカフェを選んでみたの。薄ピンクの壁紙に花柄のカーテン。木製の家具や調度品が、いかにも古き良き時代の英国イメージでしょう?

 

『本当に素敵なカフェね。都会なのにとてもアンティークな雰囲気』

 

 チューダー様式の黒い柱や梁があったら、本当に最高だったんだけど。郊外とは言えロンドン市内じゃ「歴史ある家ピリオド・ハウス」は難しいわ。コッツウォルズの素敵なカフェには敵わない。

 

『お店の名前もシャレてるわぁ。さすがお従姉ねえ様! これが職場中を夢中にした「フランス仕込みの洗練されたセンス」ってやつ?』

 

 いいえ、フレンチ・ユーモアなんかじゃないわ。明らかにベタなイングリッシュ・ジョークよ。でも、このカフェを選んだのは、店と同じ名前のお菓子が目当てなの。後でその秘密を教えてあげるわ。

 

『これが、一般的に「アフタヌーンティー」って呼ばれるセットメニューですね?』

 

 お店によって呼び方が違うし、いろんな種類があるの。ほら、このセットなんて豪華シャンパン付き。でも、今夜は1年でも特に仕事が忙しい夜。昼間からアルコールは、やめておきましょう。


 さあ、みなさん。まずはお茶よ! メニューには「お好みの紅茶かフィルター・コーヒー」となっているけれど、ここはやはり英国紅茶がおすすめ。17世紀後半に英国貴族社会に紅茶を広めたのは、チャールズ2世の妃ポルトガルの王女よ。現国王は3世だから、約350年ぶりのチャールズね。

 

『ダージリン、セイロン、アッサム。産地の茶葉は分かるけど、このイングリッシュ・ブレックファースト・ブレンドっていうのは何?』

 

 朝一番に飲む紅茶よ。葉茶が細かく砕かれていて、カフェインが多く出るの。目覚めにいいでしょう。色が濃くて味も渋めになるから、ミルクをたっぷり入れても紅茶の風味をしっかり楽しめるわ。


『えー、それ、上手く騙されてない? ブレンドって、製造過程で粉々になった茶っぱの寄せ集めでしょ?』

 

 そんなこと言ったら、メーカーに怒られるわよ。戦時中ならいざ知らず、今は品質を保つために葉茶をブレンドするの。いつでも同じ味が楽しめるよう、混ぜることで調整してるのよ。

 

『このグレイ伯爵アールグレイってお茶、あの家に関係あるんでしょうか』

 

 9日間の女王ジェーン・グレイの家門のことね? あそこは伯爵アールじゃなく公爵ドゥークだったし、爵位剥奪後にお家は断絶したわ。だから、この紅茶には関係ないの。

 

『そうでしょうね。あの頃はまだ東インド会社もないし、薬用の中国茶さえ輸入されていなかったもの』

 

 アールグレイ茶の開発はもっとずっと後よ。19世紀前半のイギリス首相、第2代グレイ伯爵が関係しているらしいわ。諸説があって真実は不明だけれど、シチリア島産の香料ベルガモットで風味を付けたお茶よ。

 

『へえ、さすがお従姉ねえ様。物知りねぇ。じゃ、その子孫の現グレイ伯爵は、ご先祖さまの特許とか商標登録......だったっけ? 要するに泡銭でウハウハってことね』

 

 言い方に気を付けてね。いくらちゃんとした教育を受けていないからって、あなたがそんなだと従姉いとこの私が恥ずかしいの! ほら、私たちだけ職場を「クビになった組」だし。肩身が狭いわ。

 

『祖先に先見の明があると、子孫には思わぬ遺産になるんですね』

 

 残念なことに、祖先のグレイ伯爵は製法特許を取っていないし、商標登録もしてなかったんですって。「いくら売れても一銭も入ってこない」と、子孫の現グレイ伯爵が日本茶道家元のお茶会で、面白おかしくゲスト・スピーチしてたわ。

 

『さすが英国貴族ね。ウィットとユーモアに富んでるわ』

 

 本当ね。たとえ大富豪でなくても、教養深く誇り高く。それが貴族よ。私たちも、そうありたいものね。


 さあ、お茶が決まったら注文しましょう。本当はケーキも選べるんだけど、今日は私に任せてね。みなさんに、ぜひとも食べてほしいお菓子があるの。


『きゃあ!  この三段重ねのケーキスタンド、かわいい!』


 それはね、「スリーティアーズ」という三段の床置きの家具が元になっているの。一度に全部の食べ物を提供するために作られた棚。


『それを小さくして、テーブルの上に置けるようにしたんですね』


 ええ。「ティースタンド」とも呼ばれているわ。カフェやレストランでは、少人数で給仕するでしょう。これなら簡単だし、場所も取らない。見た目も綺麗よね。


『使用人からの付きっきりのサービスを受けられるわけじゃないもの。賢いやり方ね』


 19世紀中頃にベッドフォード公爵夫人がこのアフタヌーンティーを始めたときは、軽食はほんの1皿だけだったんですって。昼の空腹を満たす「寝室でのつまみ食い」だったの。ほら、朝晩2食だったから、お昼すぎにお腹が空くでしょ。


『やだー。お従姉ねえ様ったら! 夫がいない昼下がりにベッドでつまみ食い……なんて! でも、どの時代もやることは変わらないのね』


 あなたと一緒にしないでちょうだい。純粋な食欲の話よ。最初は一人でこっそり。それがとっても良かったので、友人を招いて一緒に楽しんだの。それでお皿の数が増えたのよ。


『一人で良かったから……、友人も一緒に?』


 変な想像しちゃダメよ。 社交の場なんだから、当然何人もの使用人が、付きっきりで一皿ずつ給仕していたの。19世紀後半には、それが中産階級にも広まったそうよ。今のこういう形になったのは、庶民でもホテルのラウンジやティールームで食べられるようになった20世紀に入ってからね。


『比較的新しいスタイルなのね。食べ方に決まりはあるの?』

 

 まずは一番下のお皿から。サンドイッチを食べるの。ここのは一口で食べられる食パン1/4サイズだから、もちろん手づかみでいいわ。でも、私たち淑女はナイフとフォークで取り皿に取り分けて、一口大に切って食べましょう。


 メニューには「伝統的なティーサンドイッチ5切れ」となっていたわね。具はイングリッシュ・チェダーチーズ、スモークサーモン、ローストハム、マヨネーズ和えのゆで卵、それから……

 

『ええっ! これ、具がきゅうりだけよ? 貧乏臭いわあ』


 それこそが、アフタヌーンティー定番サンドイッチ。「テーブルの上の貴婦人」と呼ばれていたんですって。これを用意できないと、料理人のクビが飛んだのよ。いつの時代も、主の横暴は同じね。


 ビクトリア朝では、きゅうりがとっても貴重だったの。季節を問わず収穫するために、庭の温室で栽培させてたそうよ。ステイタス・シンボルの贅沢品だったのね。


『EU離脱後は、欧州からの輸入野菜や果物が値上がりして。「5 a day」は贅沢になりましたわ』


 1日に野菜と果物から合わせて5品を摂取する。「5 a day」は国民の健康維持を目指す現政府のキャンペーン。ただでさえ、昨今の伝染病で予算が逼迫している国民医療制度NHSの負担を軽減するためにも、成人病の予防は重要ですものね。


『EU離脱なんて愚かだわ。政治家の考えることは本当に分からない』


 あれは国民投票の結果よ。とはいえ、言い出したのは政治家ですものね。若いイケメン首相だったけれど、人気取りの馬鹿な公約だったわ。


『あらぁ、そんなこと言っていいの? 彼女の最後の夫って、政治家じゃなかったっけ?』

 

 しっ! 彼女の四人目の夫は失脚したの。同じ政治家の実兄に足を引っ張られてね。だから、その話はタブーよ。本当に若い子は気が利かないったら。

 

『野菜不足、女性にはつらいですね』

 

 気が効く一人が話をそらした。さすが優しいだけが取り柄なだけあるわね。ナイスフォロー。そうそう。女性のお通じには、食物繊維が必要なの。

 

『ルバーブも今は外国産ばかり。田舎では手に入りにくくなったわ』

 

 ルバーブはタデ科の植物。蕗に似ているけれど、植物繊維の含有量は約2倍。酸味が強いので今は甘くして食すけれど、昔は便秘予防薬として重宝されていた。13世紀にイスラム圏からスペインに伝えられたという話。あの職場にルバーブ摂取を広めたのは、たぶんスペイン人の元上司だわ。


 このお茶会に元上司も誘ったけれど、今年もなんの音沙汰もない。私は彼女の夫を奪った泥棒猫。まだ嫌われているのね。

 

『とにかく、ジャムを食べてりゃいいのよ。あれは野菜代わりの保存食だもん』

 

 従妹が豪語する。お子様か。英国の子供が「果物だ」と言い張るのは、ジャファ・ケーキというお菓子。ジャムつきのふかふかクッキーを、チョコレートでコーティングしたものだ。ジャム部分は、たいていマーマレードゼリーでオレンジ風味。あくまで風味で果汁の有無は不明。

 

『ジャムならここにあるわよ。ちょうどいいわね』

 

 元政治家夫人が話を合わせる。さすがの内助の功。あの再々々婚相手も彼女をもっと大事にしていたら、いい目を見れたかもしれないのに。私の元夫なんて、死ぬまでこの人にメロメロだったわ。


 ストロベリージャムはスコーン用よ。サンドイッチの次に食べる真ん中のお皿ね。クロテッドクリームと一緒に、たっぷりつけて召し上がれ。

 

『美味しそう。でも、太っちゃうわ』

 

 しょうがないわ。美味は罪深いもの。まさに背徳の味よ。あなたの蜜なんて元夫には禁断の甘さだった。病みつきになってたでしょ?


 あ、ダメダメ。スコーンにはナイフを入れちゃいけないの。手でちぎって!

 

『えー? なんで?』

 

 スコーンはね、スコットランド王が戴冠式で座る「運命の石」をモチーフにしてるって話なの。ほら、13世紀末にイングランドがスコットランドから略奪して、ウェストミンスター寺院の椅子に付けてたじゃない?


『あの「エドワード王の椅子」ね。つい最近も、戴冠式でチャールズ3世が座ってたわ』


 それよ。今は石だけスコットランドに返還されたけど、私たちの元夫も座ってたでしょ? だからスコーンにナイフを入れるのは、王に刃向かう行為。つまり反逆罪なの。


『それは大変だわ。気をつけないといけませんね』


 大丈夫。今はそんなことでロンドン塔タワーに送られたりしないわ。好きに食べていいけれど、せっかくだからスコーンの腹割れ部分「狼の口」から、サクッと手で割ってみて。


『あら、簡単ね。凸凹した割れ目に、ジャムとクリームが乗せやすいわ』


 そうでしょう? このマナーも、実はスコーンを美味しく食べるための、英国人の知恵なのかもしれないわ。


 さあ、一番上が最後のお皿よ! みなさんご存じの元王室御用達のパイ「王妃メイズ・オブ・侍女オナー」。これがここの名物で、お店の名前にもなってるの。シャレてるでしょ?


『わ。これがダーリンが好きだったお菓子! 初めて見たわ』

 

 あら、あの職場で食べたことなかったの? そう言えば、従妹の上司はドイツ人だった。きっと、アーモンドの粉で作るマジパン入りのお菓子を食べていたのね。しかも、従妹はこれを食べる暇もなく、昇進してすぐに職場をクビになったしね。


『懐かしいわ。職場でこっそり食べたのが、まるで昨日のことのよう』

 

 本当に。スペイン人の元上司に隠れて、みんなでよく食べたわね。キッチンを借りてたくさん焼いて、銀のお皿に盛りつけて。元上司の悪口を言いながらこれを頬張っていたあの頃が、私にとって一番幸せな時だったのかもしれないわ。

 

『素敵な思い出ね。私も一緒に働きたかったわ。旦那様も「口の中でとろける」って言って、本当に美味しそうにこのお菓子を食べてたのよ』

 

 仕事をさぼっておしゃべりしているところを、うっかり職場の経営者だった元夫に見つかったのよね。てっきり怒られると思ったけれど、これをつまんだ彼は上機嫌だったわ。あれが私と元夫との馴れ初めだったのかしら。

 

『ダーリンったら、レシピを鉄製の箱に鍵をかけて保管したんでしょ? 好きなものに執着するタイプなのよ。私だって、最後は軟禁状態だったわ』

 

 あなたの場合は自業自得でしょ。でも、元夫は本当に独占欲の強い人だった。彼に「このお菓子を一生、僕のためだけに作ってくれ」なんて口説かれたら、フラッとするのはしょうがないと思うの。

 

『こんな美味しいお菓子、どうやって考え付いたんですか。やっぱりフランスで?』

 

 これは私が開発したことになっているのよね。今だから本当のことを言うけれど、実はこの「王妃メイズ・オブ・侍女オナー」のヒントをくれたお菓子があるの。だから、私の完全な創作じゃないのよ。

 スペイン人元上司。元夫の先妻にポルトガルの親戚から贈られた「パステル・デ・ナタ」。あれがそのお菓子よ。職場でおすそ分けしてもらったのを、ちょっと改良して再現してみたの。

 

『まあ。それを旦那様は?』

 

 もちろん、知らないわ。じゃなきゃ、先妻と離婚してくれなかったでしょう? 私の「手作りお菓子作戦」の勝ち。

 

『最高! やっぱり、お従姉ねえ様って腹黒い!』

 

 恋に狡くならない女なんていないわ。今も昔も、好きな男を手に入れるために頑張るのは、乙女の特権よ。

 

『あの方がくれたのは、カスタード・パイでしたね。見た目はこれによく似てましたわ』

 

 私は中身をカッテージ・チーズにしたの。このお店はそのオリジナル・レシピを使っているんですって。宮殿から流出したらしいけれど、きっと誰かが盗んだのね。

 

『もう時効ですわね。すべては過去の話』


 その通り。もう歴史になったずっと昔の過ちよ。


 みんなのにぎやかな笑い声がカフェに響く。実際、私がとやかく言われる筋合いはない。ここにいる四人のうち三人は、職場の上司の夫を寝取った女。


 これはセレブな元夫ヘンリーを共有した「元妻」たちの年1回の会合なのだ。

 

『あら、もうこんな時間? 私、そろそろ……』

 

 元夫の3番目の妻が、時計を見てつぶやいた。楽しい時間はあっという間に過ぎる。時刻はすでに午後3時になろうとしていた。

 

『ハンプトン・コートよね? 一緒に帰りましょ!』


 従妹が席を立つと、元夫の3番目の妻がそれを制する。


『ごめんなさい。今日はウィンザーに』

 

 ウィンザー城は王室の私的な居城。最終入場時刻は午後4時なので、今から帰ればギリギリ滑り込みセーフだろう。夏時間はすでに終了し、明日11月1日からは最終が午後3時になってしまう。お茶会が毎年この日なのは幸いだった。

 

『そっか。普段はあっちで寝てるんだったね』


『ええ。ハンプトン・コートには息子の誕生日に顔を出すだけで……』

 

 3番目の妻は相変わらず控えめで、毎年10月12日にだけそっと表舞台に姿をみせる。元夫が気の強い私を見限って、穏やかな彼女に心を移したのも頷ける。彼女の息子エドワードは、元夫の宝物だった。


 それに比べて、元夫の5番目の妻になった従妹は目立ちたがり。煌びやかな場所を好んで、そこを根城にフラフラして落ち着かない。結婚後も離別後も、遊び好きは変わらないのだ。


『じゃ、リッチモンド駅まで送ったげる。どうせハンプトン・コートとバスで同じ方向だもん』


 ねえ、夜遊びばっかりせずに、たまには自分の寝床ベッドで眠ったらどう?うちのお客様もセレブが多いほうが喜ぶし、あなたがクビになったとき、手厚くお世話してあげたでしょ。同居してる弟嫁のロッチフォード子爵夫人も『ずいぶん会っていない』と、とても寂しがっていたわよ。彼女は命がけであなたの禁断の恋、つまりは不倫の橋渡しをした大親友でしょ。ちょっと口が軽くて、虚言癖があるのが玉に瑕だけれど。

 

『お従姉ねえ様のお説教ウザぁ。今夜はイベント最終日よ。私が姿を見せないとみんなガッカリしちゃうもん』

 

 元夫の遺産になった建物でひたむきに廊下を走る。そんな従妹の芝居がかった姿は、お客様に人気があった。特に今夜の舞台では重要な役どころだろう。働かざる者食うべからず。しょうがないわね。


 丁寧な別れの挨拶を交わして二人が去った後、残った私たちも最短帰宅経路を調べる。

 

『この時間ならディストリクト・ラインだわ。今日はどこに戻るの? ケント州のご実家?』

 

 いいえ。ヒーバー城には子供時代を懐かしんで、たまに里帰りするだけ。たいていはロンドンに。私の永の住処だもの。

 

『じゃあ、タワー・ヒルね。路線が分かれるアールズ・コートまでご一緒できるかしら』

 

 パディントンまで送りますわ。実はお渡ししたいものがあるの。


 私たちは地下鉄パディントン駅で改札を出る。今は「乗っペイた分・アズだけ・ユー払う・ゴー」というシステムのおかげで、何度出入りしても一定以上の運賃はかからない。本当に便利な世の中だ。


 地上の国鉄改札口まで来たところで、私はこっそり用意していた白百合を彼女に手渡した。あのカフェの近くのキュー・ガーデンは王立植物園。懇意にしている庭師にお願いして、遅咲きを分けてもらっていたのだった。


 今、彼女の城で孫がお世話になっている。これはそのお礼。

 

『まあ、ありがとう。たいしたお構いもしていないのに』

 

 いいえ。娘にも本当に良くしてもらったし、これはほんの気持ちよ。


 元夫の最後の妻はお人好しで、彼の看取り役を引き受けた献身的な女性だ。継子となった私の娘エリザベスも、大事に養育してくれた。今回もコッツウォルズにある再嫁先スードリー城から、はるばるロンドンまで出てきてくれたのだった。

 

『なんて美しい白百合。いい香りだわ。向こうに戻ったら、お部屋に飾るわね』

 

 喜んでもらえて嬉しいわ。また来年お会いしましょう。次はカタリナ様とアンナ様も来てくださるといいのだけれど。「泥棒猫」と「面識のない元妻」の私では、うまくお誘いできなくて。

 

『欧州からの入国には、パスポートが必要になったわ。戦争のせいで航空券には燃料費も加算される。スペインとドイツからこの会に参加するのは、きっと難しいのよ』

 

 さすが才媛の誉高い最後の妻。機転を効かせた返答はお見事ね。


 実際、元夫の最初の妻と4番目の妻の噂は、ここ英国では聞かない。それぞれの国から風の便りもないということは、もっと遠いところに旅立ってしまったのだろう。

 

 ブリストル行きの電車を見送った後、私はサークル・ラインで帰路についた。地下鉄には仮装をした若者が大勢いて、今夜だけはこの中世のドレスも不思議がられない。いつもなら奇異の目で見られたり、怖がられたり、最悪の場合は泣き叫ばれたりするのに。


 隣に座るオレンジかぼちゃのドレスを着た女の子が、不思議そうな目で私を見ていた。さっきのカフェで買った弟嫁へのお土産「王妃メイズ・オブ・侍女オナー」の包みに気がついて、その子は納得したように頷いてから大きな声でこう叫ぶ。

 

「トリック・オア・トリート!」

 

 あら、それは私のセリフじゃない? でも、まあいいわ。美味しいパイをあげましょうね。どこからか悲鳴が聞こえた。大人のお楽しみはもっと後の予定だったのに、もう見つかっちゃったみたい。


 今夜はハロウィン。年に1回幽霊ゴーストが羽目を外せる日に、私たちは集まって昔を懐かしむ。今年も十分におしゃべりを楽しんだし、そろそろ仕事もしないとね。またクビを切られたら大変だもの。


 そして、毎年みんなが楽しみにする「恐怖のイベント」が、ここでも早々に始まったのだった。



   ◆◆◆◆◆ 参考 ◆◆◆◆◆



【ヘンリー8世の6人の妃(『元妻』)たち:婚姻順】


 ①カタリナ・デ・アラゴン(1487-1536)


 アラゴン(現スペイン)王女、アーサー王子妃、ヘンリー8世の最初の妃、メアリー1世の母。婚姻無効により離縁。失意のうちに病死(享年48)



 ②アン・ブーリン(1501-1536)


 フランス王太子妃の侍女、イングランド王妃カタリナの侍女、ヘンリー8世の2番目の妃、エリザベス1世の母。弟ジョージの妻ロッチフォード子爵夫人ジェーン・ブーリンの偽証により、姦通罪で弟と共に国家反逆者として断首刑。処刑場ロンドン塔内に埋葬 (享年35)


 ▶ロンドン塔や故郷ヒーバー城で、幽霊が頻繁に目撃されている。



 ③ジェーン・シーモア(1508-1537)


 アン・ブーリン、キャサリン・ハワードの再従妹はとこ、王妃カタリナの侍女、王妃アン・ブーリンの侍女、ヘンリー8世の3番目の妃、エドワード6世の母。産褥により死亡 (享年29)。ウィンザー城の王室霊廟に夫と並んで埋葬。


 ▶息子エドワードの誕生日(10月12日)に、ハンプトン・コート宮殿で幽霊が目撃されている。



 ④アンナ・フォン・クレーヴェ(1515-1557)


 神聖ローマ帝国ベルク公国(現ドイツ)公女、ヘンリー8世の4番目の妃、ヘンリー8世の猶妹婚姻無効により離縁。王妹として不自由ない暮らしの後に死去(享年42)



 ⑤キャサリン・ハワード(1521-1542)


 アン・ブーリンの従妹、王妃アンナの侍女、ヘンリー8世の5番目の妃。不倫の手引きをした侍女ロッチフォード子爵夫人ジェーン・ブーリンの証言により、姦通罪で国家反逆者として断首刑。処刑場のロンドン塔内に埋葬 (享年21)


 ▶ハンプトン・コート宮殿の廊下「ホーンテッド・ギャラリー」で、無実を訴えて王を探す幽霊が頻繁に目撃されている。



 ⑥キャサリン・パー (1512-1548)


 エドワード・ボロ夫人、ラティマー男爵ジョン・ネヴィル夫人、ヘンリー8世の最後の妃、スードリー男爵トマス・シーモア夫人、メアリー・シーモアの母再々婚したヘンリー8世と死別。王籍を捨ててトマス・シーモアと再々々婚。継子エリザベスと義姪ジェーン・グレイを引き取って養育。産褥により死亡。スードリー城内の教会に埋葬 (享年36)


 ▶スードリー城の子ども部屋で、幽霊が目撃されている。

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セレブの『元妻たち』が英国アフタヌーンティーの歴史を語る 日置 槐 @hioki-enju

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