『ただの書道家であって、決して魔王じゃないんです』平和に書きたいだけなのに、双子の弟を探す間におかしな事になっているので助けてください
雪乃叶羽
第1話 「兄バカ」に与えられた苦境
「……これで完成、かな?」
薄暗い空の下。一人の少女が、巨大な魔法陣の前に立っていた。表情は見えない。
長い棒を用いて魔法陣に最後の文字を書き入れると、手にしていた棒をカラン、と落とす。
天を仰ぐ。長い睫毛の下で、少女の大きな紅色の瞳が灰色の空を映す。澄んだ瞳で、少女は囁いた。
「もうすぐだよ。もうすぐだから……待っててね。……『お姉ちゃん』」
◇ ◇ ◇
白夜伊墨(びゃくや いずみ)は目覚ましの音で目を覚ます。
冬の朝は寒い。それは当然だが……特に、築三十年の格安ボロアパートの和室に至っては尚更だ。一年を通して、すきま風と仲良くしている始末だ。そろそろ親友になれるかもしれない。
いつまでも毛布にくるまっていたい気持ちを抑え、冷たい空気の中腕を伸ばし、『日課』を行う。
伸ばした右手は、所々、『真っ黒な何か』で黒ずんでいる。
昨日、眠さに耐えかねて、よく手を洗わずに眠ってしまったせいだ。
起きてすぐにスマホのメッセージを確認するのは癖になっていた。もちろん、恋人……などではない。
「今日も連絡なし、か」
ふう、と肩をすくめて天井を仰ぐ。
「幻弥(きょうや)のやつ、いつまで怒ってるんだ?」
まだ窓の外は薄暗い。
伊墨の朝は早かった。大きなあくびをしながら目をこする。身体中の疲れがまだ取り切れておらず、腰まで痛む始末だ。伸びをした伊墨は「いてて」と腰をおさえた。
――十八歳にして腰痛持ちとは。じいちゃんが生きてたら呆れちゃうよな。
今は亡き祖父の呆れ顔を想像し、思わず笑みが浮かぶ。そうしてもう一度スマホに目をやった。
連絡を待つ相手。
それは春から大学生になった双子の弟、白夜幻弥だ。
祖父に次いで、両親を亡くして以来。おれと弟はお互いにとって、この世でたった一人の肉親となった。
両親の突然の死を乗り越えられたのも弟が居たからであり、互いに支え合っていたはずだった。
――昔は仲が良かった、はずなんだけども。
いつからだったか。
この春から大学の寮に住んでいる幻弥からは……そう、彼が大学に入った頃から、連絡を延々と無視され続けている。
――『幻弥。今日から晴れて医大生だな。頑張れよ!』
――『勉強、大変だろ? 無理するなよ』
――『元気にやってるか? ちゃんと食べてる?』
――『久しぶりに休みが取れたから、今度そっちに行っていいか?』
――『幻弥、ごめん。おれがいけなかったんだと思う。けど、そろそろ話してくれないか』
すべてに既読はつく癖に、恐ろしいほど華麗に無視され続けているのだ。
そのメッセージのすべてが僕の方から一方的に送ったものであり、幻弥からの返信は一切ない。既読スルーに次ぐ既読スルー。はじめは大して気にしていなかったものの、もうすぐ一年になる。
……ここまで来ると、いくら兄弟とはいえさすがに傷つく。
「昔は可愛かった奴が……」
と、お前は親かと言われそうなことを口走ってしまう程度には。
しかし考えてみても、弟の幻弥が何に対して怒っているのか全くわからないのだ。それを尋ねても無視され続けている。
原因が判ればいいのだが、わからないために余計に気にかかる。
あいつがこんな態度になったのは、いつからだったか。
高校一年の春。
大好きだった祖父を亡くし、落ち込んでいたおれを幻弥は励ましてくれた。
ほぼ同じ顔の双子であるにも関わらず、雰囲気は全く違うと言われる弟。
友人の哲留(てつる)が言うには、「幻弥は芸能人顔負けの長身クールイケメン、伊墨はヘラヘラ笑っている人畜無害なアホ。違うのは身長くらいでほぼ同じ顔なのに、なぜか幻弥の方がイケメンに感じる」のだそうだ。
まったく失礼な話だが……たぶん事実だ。
祖父の葬儀が終わった後。
火葬場の煙を遠目に眺めながら、人目を避けて一人涙を拭っていた。するといつの間にか幻弥が隣にいた。驚いて思わず「一人にしてくれ」と言ったとき。
口数も多くない不器用な奴が、珍しく、おれの目を見てはっきりと言った。
「……大丈夫。兄さん、僕がいる。じいちゃんとの約束、果たそう。僕も果たすから」
そう言って幻弥は、一本の筆ペンをくれた。
おれが祖父に教わった書道ばかりしていて、しょっちゅう筆を持ち歩こうとしていたからだろう。当時の小遣いでは、けっこうな出費だったはずだ。
――あの時はまだ、仲が良かったはずなんだけど。
確か、幻弥が僕に何かしらのプレゼントをくれたのはあれが人生初だ。
そして、このまま行くと、最初で最後になりそうだ。
……うん、「兄バカ」または「保護者か」と言われるほどに弟を溺愛してきた兄としては、非常に悲しい。
これは何とかして関係修復を図るべきだと思うんだ。
ただ。
――あんなことを言われると、いくら「兄バカ」でも躊躇うんだよなあ。
一人で思い悩むのは不器用な弟の専売特許であり、おれはそれほど悩む方じゃなかったはずなんだが。
「何かちょっとした事件でも起きて、あいつと話すきっかけが出来ればいいんだけど」
思わずそんなことを口走る。
そんなことを口走ったのがいけなかったのだろうか。
まさかもうすぐ人生が変わってしまうだなんて、思わないじゃないか。
けれどもおれが望んだのは、ほんの小さな、きっかけだ。
決して、身に迫るような流血沙汰でもなければ、「異世界」なんて大袈裟なものでは断じてない。
おれはただ、好きな書道を思い切りやりたくて、弟とも仲直りしたい。ただそれだけだったのだ。
――『人生、何か成し遂げようと思えば、多少の犠牲はつきものじゃ。ほっほっほ。一本の線を書いた途端に、その『白』の余白はなくなってしまう。それと同じじゃ』
じいちゃんは白い半紙に一本の線を引きながら、事も無げにそう言っていた。
ああ……じいちゃんの教えは、その通りだったみたいだ。
ただ一つの問題点は。
それが『多少』ではなかった、ということだけで。
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