第3話
ビルを出ると雨は本格的に降り出していた。俺はとうとう出番が来たと、リュックから再び折り畳み傘を出した。今度は父さんに止められなかった。二人で傘を差し、「ゲーセン行こうよ」「おう」と話しながらびちゃびちゃに濡れた歩道を歩き始めた。
すると、俺たちの前に一人の女性が立ちはだかった。邪魔だなぁ、でもこちらを見ているから何か用なのかな、などと考えていた俺の隣で、父さんが「……マリ?」と低い声で言った。
「おまえ、今日はテーマパークに行くって」
「今日は雨が降るから別の日に延期するって言ったでしょ」
マリと呼ばれた高校生くらいの人は、淡い黄色の傘を持ちながら背筋を伸ばし、すらすらときれいな声で言った。まるで台本のセリフを読んでいるように。
見上げると父さんの顔が強張っていた。まるで怖いものでも見てしまったかのように。俺は、シリアスなドラマみたいだなと呑気に考えていた。
「何よ、その偽物」
彼女は、俺を顎で指して言った。俺を、偽物と。
「……何だ、その言い方は。謝りなさい」
「謝るのはそっちじゃない。ママがかわいそうだとは思わないの? ……ねえ、あんた何歳?」
あんた、というのが自分を指しているということはわかった。俺は「十歳」と弱々しく答えたんだ。すると「ふざけないで!」と金切り声が降ってきて、びくっと肩が跳ねた。
「ほ……、ほんと、に、じゅっさ……」
「はぁ? セイイチと同じじゃない! 何月生まれよ!」
「な、なんがつ、えっと……」
「誠司、答えなくていい」
「セイジ? あんたセイジっていうの? ほんっとうにふざけてる! ってことは四月生まれのセイイチよりあとに生まれたのね!」
そのときの俺には全くわけがわからなかった。『偽物』とはどういうことなのか、彼女が何に怒っているのか、セイイチというのが誰なのか、俺のほうが少しあとに生まれたからといって何だというのか。もし演技の練習だと言われたら、納得していたと思う。それくらい現実味がなかった。
「マリ、よしなさい、こんなところで。今日は帰るから……あとでゆっくり話そう」
「ふぅん、『今日は帰る』、ね。これまでそう言われて、何度裏切られたことか。とにかくあたしの学費は出してよね」
「そういうことも、家で話せばいいだろう。もうやめなさい」
しかし俺は二人のこの会話を聞き、これは現実だと悟った。父さんが『帰る』のは、俺の家ではなく別の家。体が震え始めた。信じられなかった。信じたくなかった。
「と、父さん、家で、って……」
だから確認しようと口を開いた瞬間、傘を持つ手をバシッと叩かれた。「パパのこと父さんなんて気安く呼ばないで!」という鋭い声とともに。
「マリ!」
父さんが彼女を
「誠司!」
背中にかけられた声を無視してとにかく走った。汗なのか雨なのかわからない水が顔に張り付いて気持ち悪かった。それでも、あの歩道からできるだけ離れたくて、無我夢中で走った。駅の改札前でやっと止まった俺は、リュックにぶら下げていたICカードでさっと改札を通り抜けてホームへの階段を駆け上がった。
『今日は帰る』
『家で話せばいい』
二つの言葉は、電車に乗り込んだ俺の頭の中でいつまでもぐるぐると回っていた。
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