第2話
父さんが連れていってくれた店のオムライスは卵がふわふわでおいしかった。中のチキンライスを少なめにしてもお腹がふくれた。
デザートは、大人のふりをしたくて選んだものだった。目の前の上品な皿の上には四角く切り取られたティラミスとバニラアイス。無造作にかけられている焦茶色のココアパウダーにスプーンを刺すと、柔らかかった。
「マスカルポーネチーズで作るんだ」
「ます、か、ぽー?」
「長い名前だよな」
ははっ、と父さんはまた笑う。
「父さん作ったことあるの?」
「いや、俺はないよ。作るのはよく見る……いや、一般常識だから」
「ふぅん」と小さく言い、ティラミスを口に入れた。少しだけ酸味のある白い部分とココアパウダーが混ざり合って、嗅いだことのない甘い香りがした。コーヒーの苦みはあまり感じなかった。
「おいしいね」
「誠司もこのおいしさがわかるようになったか」
「うん」
大人に近付いていると言われているようでうれしくなった俺は、父さんに「また来ようよ」とねだった。
「もちろん。また来よう」
「今度は母さんも一緒だといいな」
このときの俺の言葉に、父さんがどんな表情をしていたかはわからない。俺は皿のアイスをスプーンですくっていたから。ただ、「そうだな」という返答は平坦に聞こえた。
「父さん、母さんと知り合ったときの話、して」
「えっ、この間話しただろ?」
「また聞きたいから」
「また? しょうがないな。ええと……うちの会社の社員食堂で、母さんが働き始めたんだ。厨房に若い人が入ったのは知っていたんだが、まさか叱られるとは思っていなかった。『食器は分けて返却してください! 書いてあるの読めないんですか!』って」
あはは、と俺は笑った。この話は何度聞いてもおもしろかった。母さんが本当に言いそうだから。
「それで、『すみません』なんて平謝りして、スプーンと皿と……って分けてシューターに入れたんだよ。いやー、怖かったな、あのときの母さん」
父さんはニヤニヤ笑いを浮かべて目を伏せた。きっと昔を思い出していたのだろう。
「それで?」
「それで、何度か顔を合わせているうちに『ちゃんと分けて入れられるようになりましたね』って褒めてくれたんだ。それから仲良くなってデートもするようになって……。でもある日、目が合った途端『申し訳ありませんでした!』って謝られちゃった。誰かに、あの人副社長だよ、なんて言われたらしくてね」
「寂しかったんだ、それが」と、父さんは続けた。本当に寂しそうな顔をしていた。
「でもさぁ、怒られるよりいいじゃん」
ふっ、と父さんがまた目を伏せた。「そうだな」と平坦に言って。
「当時の母さんは苦学生で……ああ、苦学生というのは生活費なんかを自分で稼ぎながら勉強しないといけない学生のことで、バイトを掛け持ちして栄養士の資格を取るために勉強していると言っていたな。それで持っている音楽CDはクラシックのものばかり、安く買えるから、なんて言って……」
「うん」
「俺は母さんの気を引きたくて、自分のクラシックのCDをあげたりしていた。でも、申し訳ないからって三回に一回くらいしか受け取ってくれなかったんだ。母さんのそういうところを、俺は好きになったんだけど」
「うん」
「さて、そろそろ出ようか」
「……ん」
本当は続きを聞きたかったけれど、前回と同じようにこの日も話はここで終わった。
「ああ、悪い、電話だ」
父さんはスマートフォンを持つと店の外に出た。俺はその間にビルのトイレに行っておこうと席を立ち、壁に向かって話している父さんのそばを通った。すると「今日は帰るから」という言葉が聞こえた。
父さんが発した『帰る』という言葉に、俺は心の中で喜んだ。仕事が忙しくてなかなか帰って来られない父さんが今日は家に帰るんだ、電話はきっと母さんからに違いない、と。
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