第2話


 ラファエル・イーシャの補佐官であるアルシャンドレ・ルゴーは時間に正確な人物であった。仕える上官が時間に全然正確な人物でなかったので、彼が側で重宝されたと言われても過言ではない。彼は他人に自分のペースを狂わされるということがあまりない。一番ペースを狂わせて来るのが仕えるべき上官だったので、彼の手強さに比べれば他の人間など、ルゴーにとって取るに足らない存在だった。

 他の人間といる時は、ルゴーの正確さに他が釣られたり、影響を受けたりするのだが、ラファエルだけはルゴーと一緒にいても全く日常の、のんびり感が変わらない。変わらないどころか、変わらないと思わせておいて女性が関わると、知らない間にフランス縦断して会いに行ってたりする、油断ならない男なのである。

 その日も朝十時、ラファエルの私邸を訪れた時、丁度、同じように屋敷の庭へと馬を乗り入れる姿をたまたま目撃した。接点がなかったのでまさかと思ったが、やはりそうだ。

 広い庭に馬を乗り入れ、下馬し、屋敷の扉を叩きに行ったその背に声を掛ける。


「もしや、神聖ローマ帝国軍のフェルディナント将軍では?」


 彼は振り返った。

「そうだが……」

 ルゴーも下馬し、大人しい馬を放っておいて、歩いて行った。

「やはりそうでしたか。その軍服と、天青石のような瞳を持つ青年将校だと窺っていたので。思わず話しかけたりして、失礼いたしました。

 私はヴェネトに駐留中のフランス艦隊総司令ラファエル・イーシャの副官、フランス海軍のアルシャンドレ・ルゴー少佐です」

 フランス軍の敬礼を受け、フェルディナントも神聖ローマ帝国軍の敬礼を行った。

「神聖ローマ帝国軍、北方方面軍将軍フェルディナント・アークだ」

「こんなところで貴殿に会うとは思ってもみませんでした。今日はラファエル様になにか御用でしょうか?」

「いや。用と言うほどのことではないんだが」

「約束をしておられたのですか?」

「いや。約束はしていない。少し思い立って」

「では世間話ですか?」

 やけに聞いて来るな、と思いつつフェルディナントは首を振った。

「いや。世間話というわけではないが」

「そうですか。では、正式な約束もしておられないのにも関わらず思い立って早朝の十時にこの私邸を訪問されたと」

 フェルディナントは総括されて、瞬きをした。

「……。いや、すまない……。私は夜勤明けでこれから駐屯地に戻る所だったから、朝十時がそんなに早朝という認識がなく……」

「神聖ローマ帝国はどうだか存じませんが、フランスというか、ラファエル様にとって十時は早朝です。次から思い立った時は昼下がりに訪問していただけますか」

 昼下がりに起きていたら、ごはんをもらえなくて竜が拗ねるんだが……とフェルディナントは思ったが、他国は他国だ。自分の生活リズムを押し付けてはいけない。

「大変失礼した。大した用ではないので、今日は失礼する」

「お待ちください。よろしければ、ラファエル様にお取次ぎいたしますよ。起きてるかもしれないし」

 立ち去ろうと馬に近づきかけたフェルディナントが振り返る。

「ただ、用向きを確認させていただいてよろしいですか?」

「用向き、というほどのことではないのだが、王宮に関わる彼に、少し確認したいことが」

「詳しいことは話せない?」

「話せないというわけじゃないが、話せば色々と長く」

「神聖ローマ帝国は我がフランス軍に良い心証を持っておられないのでは? 貴方とラファエル様の組み合わせなど、私には血の匂いがするんですが、武勲名高きフェルディナント将軍がよもや我が上官の寝込みを襲って殺そうとしてませんよね?」

 随分口の悪い副官だな、とフェルディナントは思った。

「……寝込みを襲うという発想を持ったことがないが」

「そうでしょうとも。貴方に比べればラファエル様など、剣を右に下げるか左に下げるか、その日のファッションでお決めになるほど剣の初心者です。そこへ来ていくらフランスが貴方がたにとって邪魔でも、貴方が不意打ちを食らわせて襲い掛かるなんて実力差ありすぎて可哀想ですから、そんなことを考えてここに来られたなら考え直して二度とここには来ないでいただけますか?」

「随分無礼なことを言ってる自覚はあるのか? 君のそういう言動を、ラファエル殿は注意なされないのか」

 フェルディナントが腕を組む。

 ルゴーは頷いた。

「勿論。注意なさったりしませんよ。ラファエル様はどなたともすぐお友達になってしまう方なので、側に私くらい無礼な人間がいたほうがいいんです。私が無礼じゃない方がラファエル様は『なんか悪いものでも食べたの?』と心配なさるくらいです」

「……。」

「貴方がこんな時間にここを訪ねるなんて、ものすごい怪しいって言ってるんですよ」

 今度は余程、はっきりと疑いの眼差しと共にルゴーが言った。

「一体何の用ですか。その腰の剣をラファエル様に対して抜くおつもりなのでしたら、その前にこの私と遣り合ってもらいますよ。貴方に勝てるほどの腕が自分にあるとは驕っていませんが、さすがに庭先でカンカンカンカン剣を突き合わせて騒いでいたら、どんなに寝坊しておられても目を覚ましていただけるでしょう。時間くらいは私は根性で稼いでみせますよ。

 では別に国で武勲名高き騎士に師事したわけでもなく、特に伝説的な騎士に弟子入りしたわけでもなく、真面目だけが取り柄で生き延びてきた我が一族のじーちゃんから習った私の剣技を本気で披露しましょうか?」

 何故殺しに来たとこいつは思い込んでいるのだろう、とフェルディナントは反論するのも面倒になって来て口を閉ざした。


 ――と、その時である。


「……君たち、人の家の庭でさっきから何をしてるの?」

 頭上から声がして、冬の花が飾られた二階のテラスから、ラファエル・イーシャがのんびりと朝の紅茶を頂きながら、呆れた顔で庭先の男二人を見下ろしている。

「お目覚めでしたか。総司令官」

 ルゴーが敬礼をする。

「うん。今日はね」

「そうですか。こやつが正面から堂々と、貴方の私邸に殴り込もうとしていたので私が発見して尋問していました」

 ラファエルが笑っている。

「殴り込もうとしてたの?」

「……庭先に馬を止め、玄関を叩こうとしたところを呼び止められて、お前の殺害容疑を執拗に掛けられてただけだ」

「だって明らかにおかしいでしょ。友達でもない神聖ローマ帝国の将軍が殺害目的以外で朝十時に何のためにラファエル様の私邸を訪れるんですか」

「うちの副官が迷惑かけちゃってごめんね。その子この世界で多分三本指に入るくらい用心深い子なのよ。可愛いでしょ。特に僕の家を女性以外が訪れたら殺害目的だと思ってるから。フランスではもうちょっとお手柔らかだったんだけど、ヴェネトに来てもう少しの敵も僕に近づけちゃいけないと思って神経過敏になってんのよ」

「お言葉ですがラファエル様、私がこれくらい小うるさくしないと、貴方の屋敷にドンドンドンドン暗殺者や間者が押し寄せますよ。それこそ波のように入れ替わり立ち替わり」

「なんか用だった?」

「いえ。午後の予定確認に一度寄っただけです。起きておられるかと」

「二時から城で茶会だったね」

「はい」

「ちゃんと覚えてるよ。三十分前に迎えに来て」

「分かりました」

「うん。じゃあその人入れてあげてよ。軽くお茶でも飲もう」

「いいんですか……? 言っておきますけど、フェルディナント将軍の剣には貴方絶対敵いませんからね。自分はやれば出来る子だとか言ってそんな余裕な発言されてるなら、絶対後悔しますよ」

「平気じゃないかなあ。だってアデライードがいるのに、神聖ローマ帝国軍の将軍ってのは、若い令嬢の前でも蛮刀振り回すような危険人物なわけ?」

「当たり前じゃないですか。令嬢の前で剣を振るうのが恥ずかしいなんて可愛いことを思う人間が、空から降って来て竜で家をぶち壊したりしますか?」

「もうそろそろ俺は怒っても許されると思うんだが」

「あっ! ラファエル様! こやつ今、剣を抜こうとしましたよ! 殺気を感じました! やっぱり暗殺を企んでるに違いありません! 貴方に何かあればフランス王に私は首を差し出さなければならなくなるんですよ!

 ダメです! 屋敷で寝ててください! 私がこやつを一歩もここから前に進めませんので!」

 フェルディナントは深い溜息をついた。上を見上げて、こちらの悶着を完全に面白がって見ているラファエルと視線を合わせた。


「……ネーリのことで、お前に話したいことがある」


 ラファエルは案の定、青い瞳を瞬かせる。

「ルゴー君。今すぐそいつ屋敷に入れて。じゃないと君を小舟にしばりつけてフランス本国まで送り返すよ?」

 それだけ簡潔に言うと、ラファエルは建物の中に入って行った。

「ネーリって……今度はまたどこのお嬢さんと仲良くなったんですか……知りませんよそんなドンドンドン友達作ってそのうち気持ち良くばっさり暗殺されたりしても……」

 半眼になって呟いているルゴーを放って、フェルディナントはさっさと自分で扉を開き、屋敷の中に入った。


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