沢渡和史は熊切明美と同じ中学校に通っていた男子生徒だった。いつもオドオドしたような目をした青白い顔の生徒で、いじめというほどではないがクラスメートの男子からプロレスごっこをさせられたり、椅子に画鋲を置かれたり、背中に卑猥な言葉を書いた紙を貼られたりしていた。

 中学三年の時に中内頼子と同じクラスにいた少年だった。別のクラスの生徒だった熊切明美が休憩時間に頼子とお喋りをするため彼女のクラスに行くと、「四の字固め」をかけられて悲鳴を上げている沢渡和史の無様な姿をよく見かけた。

 そんな冴えない少年のくせに、大胆にも頼子の顔に呆けたように見とれていることが頻繁にあった。

「気持ち悪〜い。授業中だろうと休み時間だろうとおかまいなしなの」

 明美の前で愚痴っぽい言い方をしながら頼子はまんざらでもなさそうだった。その沢渡という少年に対して明美は警戒心を覚えた。

 必要があると感じた明美は仲間の女子たちを呼んだ。そのなかにとても不良少女には見えず、絵に描いた優等生のような外見の女子がいた。中内頼子が話したいことがあるから体育倉庫の前で待っていると言ってる、とその女子は沢渡少年に伝えた。そして尻込みする沢渡少年の手を引いて体育倉庫に彼を案内した。

 体育倉庫の戸が開け放され、倉庫の中に熊切明美がいた。跳び箱の一番上の段を床に置き、そこへ足を組んで腰掛けていた。長いスカートのせいで足首どころか履いている靴さえ見えない。

 学校内で知らない者はいないほどで有名な少女がその場にいるのを見て、沢渡少年の顔は強張った。とっさに逃げようとしたが周囲を明美の仲間の少女が取り囲んだ。

「なんで呼ばれたか、わかるやろ?」

 女性教師を精神科に通わせ、男性教師の腕の骨を折った少女がのんびりと言った。

「ええかげんにしとかんと玉、失くなるで」

 そのセリフを聞いて顔をひきつらせながらブルブルと両足を震わせた沢渡少年に対してなのか、それともそのセリフに対してなのか、あるいはその両方なのか、明美の仲間の少女たちはクスクスと無邪気に笑い始めた。

 もう少し脅してやるつもりだったが沢渡少年の情けない姿を見てバカバカしくなった。これなら頼子がちょっと睨み返すだけで、事足りただろう。自分がわざわざ出張る必要など無かったのだ。

「もう行ってええで。そのかわり二度とあの子を困らせんといてや」

 沢渡少年はキツツキのように何度も首を縦に振ると、恐怖のせいで目眩でも起こしているのかジグザグに歩きながら体育倉庫の前から立ち去った。

 今さらではあるが、あれはやり過ぎだったかもしれないと思った。しかし昨今よく見聞きするストーカーによる女性の被害者の悲惨さを思うと、あながちやり過ぎとも思えないような気がした。四十年以上前のことで、ストーカーなどというワードが世の中のどこを探しても見つからなかったような時代だったが、ああいう一見、気の弱そうな男がストーカーになりやすいものだということを聞いたことがある。釘を刺しておいたのは正解だっただろう。

 あの男は今ごろどうしているのだろう。案外、どこかの大会社の社長の椅子に納まっているかもしれない。それとも今もやっぱりオドオドしたような目でどこかの会社の平社員のまま定年を迎えようとしているのだろうか。あるいは情けない自分自身の姿にうんざりして自ら命を絶ってしまっただろうか。

 ひょっとすると中内頼子の店に来たのはあの男の亡霊だったのかもしれない。無関係の人間の体を借りて中内頼子に恨み言でも言いに来たとか。

 亡霊ならかまわない。だが現実に存在する生身の人間だったら―― 

 明日は東京へ出張だった。帰ってくるのは明後日、ちょうどクリスマスイブだった。せいぜいたった二日間だが、そのあいだ頼子とは会えなくなる。

 明美は起き上がり、バスルームへ行くとその戸を開けた。 

 シャワーを浴びていた中内頼子に後ろから抱きつくと小さな洋梨のような胸の先端にある敏感な乳首を指先で転がした。バスルームの中で二人の中年女性の喘ぎ声が反響し始めた。





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