憧れの先輩からバトンタッチ

流星史

先輩たちのため、がんばるよ!

「本日で私達は卒業します。この三年間、大変なことはたくさんありましたが、幸せな思い出も星の数ほどもらいました」

 今日は卒業式。

 わたしたちが憧れる先輩の旅立ちを見守る日。

 体育館のステージに立つ先輩とのお別れに耐えられなくてすすり泣く女の子がたくさんいる。

 もちろん、わたしだってその一人だよ。

「大切な皆さんと一緒にいられたことは私の大切な思い出です!

 1年生の皆さん、次はあなたたちが先輩として頑張ってください!

 2年生の皆さんは、3年生になって学園を支えてください!

 あなたたちなら、なんでもできると信じています! 今まで、ありがとうございました!

 いつか、皆さんが作るおいしいごはんを、どこかで食べられると信じて……私たち三年生は卒業します!」

 その挨拶を最後に、ペコリとお辞儀をするさくら先輩。

 わたしたちはひとしきり拍手を送ったよ。

 おいしさ満点。食べれば誰でも100%元気になれるよう気合いを入れて作ってるから。

 わたしはぼたん。

 お料理が大好きな中学二年生。

 憧れのさくら先輩のため、スペシャルディナーをふるまうことになった。




 デリシャス学園の生徒会長と料理部の部長を兼ねたさくら先輩。

 運動神経抜群かつ成績は学園トップで、顔だってとてもキレイ。

 誰にでも優しい所はもちろん、サラサラのロングヘアーも女子生徒の憧れなんだ。

 当然、料理も上手だし……非の打ち所がないパーフェクトな人で、まさにスパハニだよ!

 もっと言えば、代々続いている名家の育ちでもあるから、とても礼儀正しい。

「さくら先輩! あと三分以内に焼き上がりますから、待っててくださいね!」

「えぇ、期待して待ってます」

 さくら先輩の笑顔と声に、わたしの胸が高鳴っちゃう。

「ヒャー! さくら先輩が私に笑ってくれた!」

「私、じゃない! わたくしたちに、ですわ! 勘違いしないでくださいまし!」

「ええ〜? そんなこと言って、本当は自分一人だけに向きますように、とか祈ってるくせに!」

「ぎ、ぎくっ!? そ、そんなこと……なくもありません、かも……」

「はいはい、抜け駆け合戦はそこまで! もう先輩じゃなくて、あたしたちの大切なゲストなんだから!」

 一方、先輩の権限で貸し切りにして貰った学園のキッチンはまさに戦場だった。

 わたしたち料理部のメンバーが勢揃いになって、スペシャルディナーを作ってる真っ最中。

 みんな料理が好きだよ。でも、同じくらいに先輩のことが好き。

 だから、先輩に対する好意をアピールしながらも、料理の手は一切止まらない。計量や盛り付けだって正確にできてる。

 あ、好きと言ってもLoveじゃなくてLikeって意味だからね。わたし含めて、憧れや尊敬の方向だから……きっと。

「さくら先輩に気持ちをアピールしたいなら、このコースを完成させること! いいね!」

「「「「もちろん!」」」」

 部員を強くまとめてくれるのはもみじちゃん。

 わたしの幼なじみで、料理部の次期副部長を任命された女の子だよ。

 頼れるお姉さんってタイプで、今までみんなのことをグイグイ引っ張ってくれたんだ。

 その姿勢にわたしも支えられてるし、今回だってパワーを貰ってる。

「ぼたん、あとはメインのステーキだけだよ!」

「うん、わたしに任せて!」

 今回だって、背中を押してくれるもみじちゃん。

 わたしの前には大きな牛肉が置かれてる。

 それもスーパーやデパ地下はもちろん、ネットで取り寄せられる最高級の牛肉よりも格が高い。

「ふっふっふ〜! ぼたんちゃんたちがついに伝説の包丁に手をつけるんやな」

 さくら先輩の隣で、ちょっと意地悪げに笑うもう一人の先輩。

 彼女はかしわ先輩。関西弁が特徴で、さくら先輩と一緒にこの料理部を盛り上げてくれた先代副部長だよ。

 さくら先輩ともみじ先輩の黄金コンビに鍛えられたおかげで、わたしたちは今年の料理コンクールで賞を取れた! だから、この先の人生で先輩たちにはずっと感謝すると思う。

「真の意味で部を背負って立つリーダーになれるって、さくらちゃんはずっと期待しとったやんな」

「はい、この日を楽しみに待ってました……あれを握り締めれば、真の意味でぼたんさんたちにバトンを渡せますからね」

 そう言いながらさくら先輩は笑顔を向けてくれる。

 でも、その目は鋭くなっていた。

 中途半端なことは許さない。

 跡を継ぎ、次期部長になるなら一切の妥協を捨てなさい。

 そのプレッシャーが改めてのしかかり、わたしは息を呑んだ。

(大丈夫。この日のため、いっぱい練習をしたんだ。絶対に失敗なんかしない!)

 憧れの先輩が笑顔で卒業できるように。

 料理部みんなで心を一つにして決めたから。

 わたしたちを待っているのは先輩じゃない。料理を楽しみにしてるゲストだった。

 どんな無理難題が来ても、満足させなきゃ!

「もみじちゃん、伝説の包丁をお願い!」

 そして、わたしたちにはもう一つだけ条件があった。

 この課題を受けるために必要不可欠なピース。これを握って、メインのステーキを完成させることを課せられた。

「ぼたん……頑張って!」

「頑張るよ、もみじちゃん!」

 もみじちゃんから包丁箱を受け取る。

 この中にはかしわ先輩も言っていた伝説の包丁が入っているよ。ヒノキの香りがして、滑らかな手ざわりは高級感がある。

 ふたを開けた瞬間ーーーー

『フハハハハハハハハッ!』

「えっ!?」

 ぶわっ、と箱からあふれる大嵐。

 頭の中に響く笑い声にわたしは驚いた。

『ほう? 次にわらわを握る小娘はそなたか……ふむ、軟弱な面構えだが、さくらの目は確かなようじゃ』

 聞こえてくる女の人の声。

 大河ドラマで偉人を演じる女優さんみたいに凄みがあって、わたしは手を止めちゃった。

『なぜ手を止めている、とうに聞いているのではないか? わらわも、さくらの試練を見守ると』

 他のみんなはこの声に気付いてない。

 激しい風が吹いても、部屋は荒れていなかった。

 でも、これは幻聴とかじゃなく、間違いなくわたしには声が聞こえる。ピリピリと突き刺さってくる痛みだって、肌を駆け巡っていた。

 何よりも、わたしの目の前には見慣れない女の人が立っている。オニキスみたいな目は凜として、あごの筋や唇はとても綺麗。サラサラする黒い髪は腰にまで届き、色鮮やかな花柄の和服を着こなしているよ。

 道を歩いていたら、100人が注目しそうな顔で、TVや舞台に出てきそうなオーラがあった。

 体が透けているけど、わたしの目にはハッキリと見える。もしかして、幽霊!?

「ね、ねえ……部屋が暑くなってない?」

「えっ、むしろ寒いけど!? 急に冷房でも入れた?」

「な、なんかガクガクしますわ……こ、これは武者震い……武者震い……! わたくしは、怖がってなんかないですわ!」

「暑くて頭がクラクラする……もしかして、カイエンヌ・ペッパーとハバネロをミックスさせた激辛オムライスを昨日食べたから?」

「は? この一大イベントの前に、なんでそんなのを食べたの!?」

「だって、あたしにとって激辛レベル更新はライフワークなんだよ! 超辛口料理店のオーナーを目指してるんだから!」

 ざわめく厨房。

 突然、部員みんなが不調を訴えた。幽霊が現れたせいなのかな。

 ふと、さくら先輩とかしわ先輩に視線を移す。二人は真剣な面持ちのまま、わたしたちをじっと見つめていた。

「始まりましたね」

「さくらちゃん、ほんまにええんか? あの包丁……いいや、彼女をぼたんちゃんたちに任せて」

「かしわ、既にぼたんさんともみじさんには全てを話しました。伝統ある学園で、部を背負うためには彼女の試練を乗り越えなければならないと。いざとなれば、私が彼女ーー賄(まかない)を止めます」

 この状況でも、先輩たちは動じていない。

 ただ真っ直ぐに、わたしたちに視線を向けている。

「ね、ねえ……ぼたんには、見えてるの? 今、あたしたちの前にいる、この女の人が」

 そんな中、もみじちゃんはわたしの耳元でささやいてくる。

「うん……もみじちゃんも、見えてる?」

「そりゃ、こんな派手な女の人がいたら、目を向けるでしょ……部員のみんなは、気付いてなさそうだけど」

 ヒソヒソ声で話すわたしたち。

『内緒話は感心せぬな。言いたいことがあれば、ハッキリと言わぬか』

 ふう、とため息をつきながら幽霊は指を鳴らす。

 すると、厨房が急に静かになった。まるで時間が止まったように、部員のみんなは動いていない。

 物音もなくなって、不思議な感覚に包まれる。

「……あれ? みんな、どうしたの? ねえ、ねえったら!」

「ダメ! いくら体を揺すっても、ちっとも反応しない!」

 必死に呼びかけたり、ほっぺをつついたりしたけど、部員のみんなは止まったまま。

 わたしともみじちゃん以外はお人形さんみたいになってる。

『ふむ、わらわの術を耐えたからには、やはり素質は本物のようだが……こうも慌てふためくとはなさけない』

 幽霊は呆れた目でわたしたちを見ている。

「じゅ、術って……これはあなたの仕業なの?」

『1000年以上の時を生きたわらわなら、この程度は造作もないぞ』

「せ、1000年!? いや、さっさと成仏して! あたしたちは……むぐぐ!」

「も、もみじちゃん! そんなこと言わない方がいいよ~!」

 わたしはもみじちゃんの口を慌ててふさいだ。

 昔からもみじちゃんは度胸がある。わたしが男子に意地悪されたときも、毅然とした態度でかばってくれた。

 その優しさと勇気は嬉しいし、今のわたしがいるのはもみじちゃんのおかげだって断言できる。

 ……でも、今回は相手が悪すぎた。

 いくらもみじちゃんでも、幽霊が相手じゃ何をされるかわからないよ。

『やれやれ。わらわは何もそなたらを取って食おうなどと考えておらん。ただ、見極めておるだけ』

「み、見極めるって……わたしたちのコース料理作りを、ですか?」

 思わず敬語が出た。

 ーーぼたんさん、もみじさん。あなたたちには、我が家に伝わる伝統の包丁を握ってほしいです。

 そして、数日前の出来事がわたしの中で再生される。




 そう。卒業祝いのため、コース料理を作ることになってから、わたしともみじちゃんはさくら先輩に呼び出された。

 ーーこの包丁は今より遙か昔……わたしのご先祖様の魂が宿っている代物。相応の素質を持たなければ、目にすることすら許されません。

 ーーそ、そんな貴重な包丁をわたしたちが使ってもいいんですか?

 ーーあなたたちだからこそ、です。ぼたんさんは伝説の包丁……賄を握るにふさわしいと、わたしは認めましたから。

 ーーわかりました! では、伝説の包丁で卒業祝いのコース料理を作りますね!

 この時、わたしは舞い上がっていた。

 さくら先輩から信頼されて、心と体がふわふわしていたよ。

 ーーそういえば、さくら先輩は言ってたよね。伝説の包丁には、ご先祖様の魂が宿ってるって。

 帰り道をもみじちゃんと歩いていたとき、わたしはさくら先輩の意味深な言葉が気になってた。

 ーーあれって、どういうことだろう。幽霊でも出るのかな? 

 ーーただの例え話でしょ? 大事なものだから、丁寧に使ってねってことじゃないの。

 ーーそうだよね! 先輩の期待を裏切らないよう、頑張らなきゃ!



 わたしともみじちゃんはただ料理のことだけを考えてた。本当に幽霊が現れるなんて思うわけがないし。

 脳天気さに後悔するけど、もうどうにもできない。

「えっと……幽霊さん、じゃなかった。賄さん、でしたよね。もし、あなたの期待に応えられなかったら、どうなるのですか?」

 恐る恐る、わたしは聞いてみる。

 いざとなったら止めるとさくら先輩は言ってた。それって、賄さんに何かされるってことだよね!?

『ふふ……そうじゃな。わらわはそなたらよりも、さくらに興味がある』

「さ、さくら先輩に何をするつもりなんですか!?」

『乗っ取る』

「「ええっ!?」」

 サラッと出てきたとんでもない発言にわたしたちは驚く。

『わかりやすく言えば転生だ。さくらの体で、わらわはこの世を生きる』

「何をわけわからないこと言ってるの!? そんなの、ダメに決まってるでしょ!」

「そうですよ! さくら先輩の体は、さくら先輩のです!」

『どう言おうが、そなたらに断る権利はない。さあ、さくらを待たせるな』

 パチンと鳴るのは賄さんの指。

 すると、スイッチが切り替わったみたいに周りのみんなが動き出した。

「み、みんな! 大丈夫!?」

「もみじ先輩? あら、急に暖かくなりましたわ」

「さっきまで暑かったのに、涼しくなった……」

 部員全員がざわついた。

 あの賄さんはもういない。周りを見渡しても、その姿はどこにもなかった。

 けど、わたしともみじちゃんが見ていたのは夢じゃない。だって、包丁箱を持つ手は今も震えているから。

「ぼ、ぼたん?」

「どうしよう。手が、動かない……こんなんじゃ、料理できないよ……!」

 わたしが失敗したらさくら先輩は体を奪われちゃう。

 さくら先輩の未来をわたしが台無しにするかもしれない。

 そうなったら、もみじ先輩は悲しんじゃう。これから一生、さくら先輩のいない世界を押しつけることになる。

 頭の中が散らかってまともに考えられない。

 あれだけ練習したのに、目の前が真っ白になる。

 プレッシャーで息が荒くなって、手から包丁箱がこぼれようとしたその途端。

「大丈夫だから、ぼたん」

 震えるわたしの背中に、もみじちゃんは手をあててくれた。

「ぼたんならできる。先輩二人に向けた最高のディナーだって作れるから」

「もみじちゃん……でも、わたしは…………」

「『でも』や『だって』は言わないで。先輩たちだけじゃない……ぼたんのことは、あたしだって期待してるんだから」

 炊きたてのごはんみたいに、もみじちゃんの言葉はほかほかしてる。

 とても暖かくて優しいその声を、わたしは子どもの頃からいっぱいもらった。

 何か不安を感じることがあっても、もみじちゃんはこうしてわたしに寄り添ってくれる。

「さくら先輩の期待に応えたい気持ちはウソじゃないよね」

「ウソじゃない! さくら先輩とかしわ先輩のために、最高のディナーを作りたいよ!」

「じゃあ、作ろう? ぼたんだけじゃない……あたしたちだって、気持ちは同じ。もし、誰かが文句を言ってきたら、あたしが力になるから」

 振り向くと、もみじちゃんはほほえんでいた。

 もみじちゃんだけじゃない。先輩のため、全力で料理してる部員のみんながいた。

 さっき、大変なことがあったばかりなのに、誰もが燃えている。

 厨房に広がるオーラは、賄さんの術を簡単に跳ね返した。

「1000年かどうかなんて関係ない。あたしたちで、幽霊女の鼻を明かしてやろう!」

「……そうだね。さくら先輩たちを待たせちゃいけなかった!」

 今、わたしたちが考えなきゃいけないのは、さくら先輩たちに向けたお祝いのこと。

 二人は料理を楽しみに待ってる。

 さくら先輩は、わたしに全てを託してくれた。

 いや、わたしだけじゃない。わたしたちみんなにだよ。

「二人はもうわたしたちの先輩じゃない。料理を楽しみに待ってる一人のお客様だから!」

 腹をくくって、伝説の包丁を握り締める。

 すると、頭の中でジリジリと音が鳴って、わたしの意識が歪んだ。

 目の前に見えるのは、ガッチリとした体格の男の人。

 赤く染まった鉄に向かって、ハンマーを振り下ろしている。たましいを込めるように、何度も繰り返して。

 前にTVで見た職人さんの包丁造りみたいだった。音が聞こえないまま、完成した包丁は綺麗な女の人に手渡される。

 ……そこにいるのは賄さんだ。

 賄さんは男の人と一緒に笑っていた。とても仲が良さそうで、わたしともみじちゃんみたい。

 それから、賄さんはいっぱい料理を作った。和食洋食中華問わず、調理の時は必ずその包丁を握ってた。

 時間が流れて賄さんと男の人は年を取ってから、包丁はたくさんの人に受け継がれていく。時には山や海を越えて、違う文化だって吸収した。

 一番新しく包丁を手にしたのは、さくら先輩だ。

 隣にはかしわ先輩もいて、さくら先輩と力を合わせて料理をしている。

 二人の次は、わたしがこの包丁を使って料理をしているんだ。

 わたしに渡された伝説の包丁は、長い年月をかけて繋がったバトンなんだね。

「……ぼたん! ぼたん!」

 頭の中で声が響いた途端、視界が一気に変わる。

 気がつくと、わたしのことを心配そうに見つめているもみじちゃんと目が合った。

「もみじちゃん?」

「ぼたん、大丈夫!? なんか、ボーっとしてたけど……」

「……わたし、見えたんだ。賄さんの記憶が」

「き、記憶?」

 ぽかん、と口をあけるもみじちゃん。

 ここで起きたことが信じられないから、わたしだってちゃんと説明できたとは思ってない。

「でも、わたしなら大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、もみじちゃん!」

「そっか……ぼたんが言うならあたしは信じるよ」

 わたしたちの満面の笑顔は誰にも負けない。

 料理の腕では及ばなくても、この包丁を握った人たちにだって並ぶ決意が固まった。

 何を言われようとも、食べてくれる人のことを考えて料理するだけ。

 もみじちゃんが言ったように、1000年前の人が相手になっても関係ないよ。

 覚悟を決めた途端、わたしの体は軽くなった。伝説の包丁はこの手になじんで、最高級のお肉が簡単に切れる。

 適切な角度にそって、大きさだって均等に切り分ける。お肉のやわらかさだって生かさないとね。

 次に切るのはステーキに添える野菜。にんじんやじゃがいもが軽やかに刻まれて、わたしの手とはとても思えない。

 食材を切り終わったら、盛り付けだって忘れないよ。綺麗に、バランスよく……先輩たちがおいしく食べれますように。

「お待たせしました、先輩!」

 最高の笑顔と共に、わたしたちの頑張りの結晶を届けたよ。



 緊張と不安、それ以上の大きな期待が混ざってた。

 わたしともみじちゃん、そして部員のみんなで力を合わせた一世一代のディナー。

 それを先輩たちがお箸でつまむだけで、わたしの胸がドキドキと鳴る。

「わあっ! こんなにおいしいステーキを食べたの、生まれて初めてかもしれへんなぁ! 100点満点中……200点や!」

 ぱあっと、満開の笑顔を見せてくれたのはかしわ先輩。

 お世辞なんかじゃない心からの本音に、部員のみんなは「やったぁ!」って喜んだ。

「味付けや焼き加減も完璧やし、見た目もほんまにキレイ! お金払いたいくらいや!」

「えぇ。箸でつまんだだけで、伝わりました。ぼたんさんたちが、この料理を作るためにどれだけの愛情を込めてきたのかを」

「それは、うちも同じや! あっ……さくらちゃん、彼女だったらどう評価するん?」

「きっと……いいえ、絶対に満足するでしょう。私が保証します。ぼたんさん、ありがとうございました!」

 それはたった四人にしかわからない勝利宣言。

 だけど、さくら先輩は賄さんに体を乗っ取られずに済むみたい。

「ぼたん、やったじゃん!」

「うん! 背中を押してくれたもみじちゃんや、部員みんなのおかげだよ! 本当にありがとう!」

 これはわたしだけじゃない。

 さくら先輩とかしわ先輩の期待をみんなで背負ったから、賄さんの試練を乗り越えられた。

 だから、みんなへの感謝の気持ちを、わたしは忘れちゃいけなかった。



 みんなの心をひとつにしたディナー料理は大成功。

 さくら先輩たちから合格のお墨付きをもらって、わたしたちはとても気分がいいよ。

 最高の幕引きとバトンタッチの後、わたしともみじちゃんだけが先輩たちに呼び出された。

「ぼたんさん、これからはあなたたちがみんなを引っ張っていく番です」

「せや! うちとさくらちゃんは、一足先に次のステージで頑張ってくるで!」

 ふたりの笑顔に、わたしともみじちゃんは「はい!」と元気よく応える。

『どうやら、ただ慌てふためくだけの小娘ではなかったようだ』

 そして、ここにはもう一人いる。

 伝説の包丁の化身で、わたしたちを見極めた三人目の審査員。そう、賄さんがいた。

『その味、包丁を構える姿勢……ふむ、さくらたちの目は確かだな。しかして、わらわを握るにはまだ足りぬ』

 体はぼんやりと透けて見えても、言葉はとても重い。

 わたしはまっすぐに受け止める。きちんと聞かないと、さくら先輩が乗っ取られちゃうかもしれないから。

『さくらは言ったはずだ。これは試練でもあると……それに挑む相応の気概を持っていたのか?』

「待ってください、賄。味などの課題については充分なはずです。それは、あなたも認めたでしょう」

「いいえ、先輩。賄さんの言う通りです……わたしは、今回の料理を甘く見ていました。こんなことじゃ、これからまた同じことを繰り返しちゃうと思うんです」

 幽霊が出るなんて思わなかった、なんて言い訳は通用しない。

 これから先、予想外のトラブルが起きることはいくらでもある。その度にパニックになって、料理が作れないのは嫌だよ。

 今回はもみじちゃんたちの助けで乗りこえたけど、何度も頼れるとは限らない。

「だから、わたしはもっともっと自分を磨いていきたいです」

『実に殊勝なこと。だが、具体的には何をするつもりだ』

「賄さん! わたしを、あなたの弟子にしてください!」

「えぇっ!?」

 何一つごまかさず、想いをぶつける。

 当然、もみじちゃんは驚きの声をあげた。さくら先輩とかしわ先輩も目を丸くしている。

『ほう』

 賄さんだけはわたしの言葉をまっすぐに受け止めてくれた。

 包丁のような目つきだけど、決してわたしを軽んじていないよ。

「わたし、伝説の包丁を握ってから見たんです。賄さんが、包丁の中でたくさんの料理人と出会って、数え切れないほどの料理を作っている所を。だから、賄さんが知ってる料理のことを……いっぱい教えてほしいです!」

『確かにわらわは幾千の時を経て、この世の料理について知見を深めた。そして、料理人が抱いた感情……情熱、愛、嫉妬、挫折、喜び、言い表せぬほどの想いにも触れている。その一つ一つが、星のごとく輝いたことをそなたも知っただろう』

 賄さんにとって気高く尊いものをわたしは見た。

 大切な宝物をやすやすと触れられるなんて、この人からしたら許せないはず。

『仮にわらわに教えを請うとしよう。ただで学べると思っているのか?』

「いいえ、そんなわけありません! もし、見込みがないと思ったら……わたしを、賄さんの転生先にしてください!」

「ーーだ、ダメ! そんなの、ダメ!」

 わたしたちの間にもみじちゃんが割りこんでくる。

「ぼたん、何言ってるの!? そんなことしたら……!」

「ごめんね、もみじちゃん。でも、わたしが今より成長するには、賄さんに弟子入りするのが1番の近道だと思うの。さくら先輩だって、そうでしたよね!」

 もみじちゃんの心配を押し切って、わたしはさくら先輩と向き合う。

「はい、その通り。わたしも、ぼたんさんと同じことを賄に頼みました」

 花のように優しい笑顔が答えだよ。

 伝説の包丁を手にしてから、さくら先輩の腕がめきめきと上達した光景を見た。

 賄さんがさくら先輩に手ほどきをしてくれた記憶も頭の中に流れてきた。

 それはとても厳しくて、くじけそうになった先輩のことも知った。

 先輩の苦痛と涙は見ているだけで悲しいし、過去をのぞき見して申し訳なくなる。

「先輩は楽しかったですよね」

「とても楽しかったですよ」

 だけど、辛いことだけじゃない。

 体を取られるプレッシャーを背負いながらも、おいしい料理をたくさん作れた。

 先輩を通じて、わたしたち料理部のみんなにも技術が受け継がれた。けれど、それはほんの一部で、先輩ですらも知らない秘密が包丁に隠れている。

 それをわたしは知りたいよ。

『ふふ……どうやら本気のようだな。ならばぼたんよ、わらわの弟子に……』

「待って! だったら、あたしもぼたんと一緒に弟子入りする!」

 わたしと並ぶように、もみじちゃんが一歩前に踏み出してくれた。

「もみじちゃん!? どうして……」

「ぼたんだけが背負うことなんてない! 理不尽なことを押しつけられるなら……あたしが一緒になって頑張る! あんたみたいな幽霊女にぼたんを渡さないし、いざとなったら包丁をたたき折ってやるわ!」

 すごく大きな態度で出てるよ!

 確かに幽霊だけど、教えてもらう相手に対する振る舞いじゃない。

 でも、賄さんは怒ってない。それどころか……

『ふっふふふ……はははははは! わらわを恐れぬどころか、よもや無礼を働くとはいっそすがすがしいぞ!』

 高らかに笑っている。

 なんだかもみじちゃんのことを認めているみたい。

『もみじとやら、ここでわらわに呪われるとは考えぬのか? もみじだけでなく、皆の心もわらわの機嫌一つでたやすく潰せるぞ』

「さっきからずっと幽霊女の悪口を言ってるつもりよ! けど、あんたは何もしてこない……それって、あたしの答えも待ってたことじゃないの?」

『脅しにも屈せぬか。虚栄を張ってるのではなく、相応の胆力もそなわっている……やはり、さくらとかしわが目を置くだけのことはあるな』

「当然! ぼたんと一緒に、先輩たちにいっぱい鍛えてもらったんだから!」

 へへん、ともみじちゃんは胸を張ってるよ。

 賄さんの力を目の当たりにしても物怖じせず、真っ向から反論する。危なっかしいけど、そのガッツにわたしは憧れてるんだ。

「もみじちゃん……これは、わたし自身が決めたことだよ。だから、もみじちゃんは無理しなくてもいいよ?」

「違うわ。ぼたんを守りたいだけじゃない……あなたが見た料理人のことにすっごく興味があるの! それに、頑張ればあたしたちだって伝説の一ページに名前を残せるってことよね!?」

「……そっか! 言われてみれば、そうかも!」

 わたしはようやく気付いた。

 伝説の包丁で見たのはみんなすごい料理人だった。賄さんに認められるほどの実力があって、独創的な料理と共に喜びを作っている。

 賄さんのことはまだ怖いよ。でも、まだ知らない料理に対する好奇心で胸が燃えていた。

 もしかしたら、わたしたちが作ったオリジナルの料理だって、未来の誰かに届けられるかも。

『ぼたん、もみじ。どうする?』

「はい! わたしはーー」

「あたしはーー」

 賄さんの問いかけにだって、わたしともみじちゃんは一緒に応える。

「「ーーあなたに弟子入りします!」」

 二人で、新しい一歩を踏み出した。



「ふう……もみじちゃんが賄に喧嘩を売ったときは、ほんまにヒヤヒヤしたわ~」

「おや、かしわも似たようなことを言いましたよ? 確か……『さくらちゃんを乗っ取るなら、うちが代わりになる!』って!」

「そ、そうやっけ? でも、もみじちゃんほど無鉄砲やあらへん!」

 話が終わった頃、先輩たちは苦笑いを浮かべていた。

 あれから、伝説の包丁は箱の中にしまったよ。その間、賄さんは眠っているみたい。

 だから、わたしたちの話は賄さんに聞かれないよ。

「ぼたんさん、もみじさん。お二人の心意気は立派ですが、いくらなんでも無謀すぎます」

「せや。一度契約した以上、賄は本気や。もしも、何か一つでも間違えたら、二人は本気で乗っ取られるんやで?」

 二人ともわたしたちのことを怒ってる。

 賄さんとの契約は取り消せない。あの人の気を損ねたら、わたしともみじちゃんは体を奪われちゃう。

 先輩たちも卒業する以上、誰も助けてくれないよ。

「先輩、わたしたちは覚悟してます」

 だけど、この選択に後悔はない。

 謝らないし、言い訳だってしないよ。

「だって、二人ともわたしたちの先輩だけじゃなく、賄さんの弟子としても努力しましたよね? 生徒会や勉強だって大変だったはずです」

 さくら先輩とかしわ先輩はすごい人だった。

 今回の卒業祝いで、二人の大きさをもっと知ったよ。

 料理の才能だけじゃない。勉強や生徒会など何一つ残さずやりとげるガッツだってある。

「だから、先輩たちのバトンを受け取って、みんなを引っ張るなら……同じくらいかそれ以上に、頑張らないといけないと思ったんです!」

「あの幽霊女……ううん、賄さんは怪しいけど、とんでもない人だってのはわかります。でも、あたしたちだったら負けません! 二人は何も心配しなくて大丈夫!」

「来年、わたしたちが卒業する頃になったら、また先輩たちの前で伝説の包丁を握って料理をします。その時に、どっちがバトンを受け継ぐのにふさわしいか、勝負しましょう!」

 先輩二人に挑戦状を叩きつけた。

 準備期間はわたしともみじちゃんの卒業式まで。この一年間で、賄さんから徹底的に鍛えてもらうつもりだよ。

 それから、先輩たちと同じステージで料理対決をするんだ。先輩と後輩じゃなく、対等な立場で。

 誰の体だって賄さんに渡したりしない。料理のことはいっぱい教えてもらうけど、それとこれとは話が別だから。

「お二人とも本気ですね。なら、受けて立ちますよ」

「ふっふっふ~! いつの間にか、うちらはとんでもないライバルに塩を送ったみたいやな」

 二人ともにっこりと微笑んでくれる。

 もう、彼女たちはわたしたちの先輩じゃない。負けられない相手になった。

 立ちはだかる壁の大きさをよく知っている。だからこそ、乗りこえる価値があるんだ。

「もちろん! 来年になったら、二人をあっと言わせてやりますから!」

「わたしともみじちゃんは、全力を出しますよ!」

 こうして、わたしたちの人生をかけた戦いがはじまったよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憧れの先輩からバトンタッチ 流星史 @neoZstargrace

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ