火傷に触れる

@manerunuko

第1話 火傷

 みんなが春を迎えた頃、私の春は死んだ。


 舞い散る桜が、校門に飾られた『中学校卒業式』の看板が、目の前にいる彼が、揺れている。

 いや、多分私が揺れているんだ。ぽっかりと口を開け、血の気の失せた私が。


「いまなんて……、なんて言ったの……?」


 耳を疑って私は、学生服の第二ボタンが無い彼にもう一度聞いた。


「いや何って、別れよ? 俺ら」


 何かの間違いであってほしかった。夢であってほしかった。でも、この喪失感が、ひどく冷たい風に首筋を撫でられたかのような感覚が、『夢じゃないぞ』と語りかけてくる。


「……同じ高校に受かったのに、ずっと一緒にいようって言ってたのに、……どうして? そんな急に、やだよ……」

「茅野、お前なぁ――」


 低く長い彼のため息に、私の心臓は締め上げられていく。

 あぁ、きっと私が疑問形みたいに言ってしまったから回答で来る。質問じゃないのに。ただ嫌だって伝えたかったのに。

 苦しい。

 視界がより歪んで、頬に熱い何かが伝って落ちていった。

 うるさく鳴り響く私の鼓動をかき消すように、彼はピシャリと言い放つ。

 短く端的で一瞬の発言のはずなのに、一文字一文字が私の全身をゆっくりと突き刺していく。


「――重いし怖いんだよ」

「……え?」

「最初は茅野のこと好きだったよ。でも重いんだよ。自分だけ見てほしいとか、もっと愛してほしいとか。メンヘラでしかないじゃん。俺は俺で、お前の親でも兄でもないから。あと――」


 彼がキッと私を睨んだ。鋭く、剣と嫌を帯びたそれに、私は目を逸す。

 すると、濡れた何かを弾くような音が聞こえてきた。舌打ちだ。

 恐る恐る視線を上げると、彼は空かさず語りかけてきた。


「――何回か家に来たことあったよな?」

「それが、どうしたの……?」

「その時たまたま見ちゃったんだよ、お前のそれ」


 思わず息を呑む。

 知られたくなかった私のコンプレックス。


「道理でプールの授業に出ないわけだ。道理でお前の家に入らせてくれないわけだ。俺、面倒事は嫌なんだよ」


 違う。そんなのじゃない。私は虐待なんかされてない。それに、これは言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。

 そう言葉にしたかったが、固まりきった喉からは声の一つも出てこない。ただ息をするだけで精一杯で、暖かいはずなのに寒くて、明るいはずなのに世界が暗い。


「そんなわけだから、もう関わんないでよ。じゃあね」


 そう言って彼は私に背を向けて歩き出した。丸まることなく、真っすぐで広いそれはみるみる小さくなっていって、道の角でふっと消えた。

 もうそこから先は覚えていない。

 気がついたら、私は誰もいないリビングで一人、膝を抱えて泣いていた。

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