●第3章:『量子の輪舞曲 -Entangled Hearts-』

 時の概念すら曖昧な真空の中で、イオンとポジティアの旅は続いていた。

 二人の存在は、次第に不可分なまでに結びついていった。それは物理学でいう「量子もつれ」の状態に近いものだった。


「気付いた? 私たちの波動が、完全に同期しているの」


 ポジティアの言葉通り、二人から放たれる波は、まるで鏡像のように呼応していた。


「ええ。まるで、一つの存在のように」


 その状態は、美しくもあり、危険でもあった。なぜなら、それは対消滅への一歩を意味していたから。


 そんなある時、二人は特異な空間に迷い込んだ。


「ここは……」


 周囲には、無数の光の断片が漂っていた。それは、かつて存在した粒子たちの記憶の欠片のようだった。


「これは……消滅した粒子たちの痕跡?」


 イオンの問いかけに、ポジティアは静かに頷いた。


「ええ。対消滅を迎えた存在たちが残した、最後の光」


 その光景は、二人にとって特別な意味を持っていた。それは、自分たちの未来を映し出す鏡のようでもあった。


「彼らは、どんな気持ちだったのかしら」


「きっと、私たちと同じ」


 ポジティアは、ふわりと宙に浮かぶ光の欠片に触れた。すると、その欠片が音を奏でるように震えた。


「聞こえる? これは、彼らの歌」


 確かに、光の震えは美しい振動となって空間に広がっていった。それは、哀しみの歌でもなく、喜びの歌でもなかった。ただ、存在そのものを祝福するような響きだった。


「まるで、ダンスを誘われているみたい」


 イオンがそう言うと、ポジティアは柔らかな微笑みを浮かべた。


「そう、私たちもダンスしましょう。この空間で、この瞬間に」


 二人は手を取り合い、光の欠片たちの間を舞い始めた。その動きに呼応するように、光の欠片たちも踊り始める。


「見て! 私たちの動きに反応してる!」


 それは、まさに量子もつれの舞踏だった。イオンとポジティアの存在が作り出す波動が、過去の粒子たちの記憶と共鳴し、前例のない光景を生み出していく。


 光の欠片たちは、まるでオーケストラの楽器のように、それぞれ異なる音色を奏でていた。それは、かつて存在した粒子たちの個性であり、物語だった。


「私たちも、いつかはこうなるのね」


 踊りの途中、イオンがふと呟いた。その声には、恐れというよりも、何か諦めにも似た受容があった。


「ええ。でも――」


 ポジティアは踊りの動きを止めることなく、イオンの手を強く握った。


「でも、それまでの時間は、私たちのもの。誰にも奪えないわ」


 その言葉に、イオンは深く頷いた。二人の踊りは、さらに美しい軌跡を描いていく。


 光の欠片たちは、まるで二人の感情に共鳴するかのように、より鮮やかな輝きを放っていた。それは単なる物理現象を超えた、魂の共鳴とでも呼ぶべきものだった。


「ねえ、私たちが消えた後も、こんな風に光は残るのかしら」


「きっと。そして、その光は次の誰かの物語の始まりになるわ」


 ポジティアの言葉には、不思議な確信が込められていた。

 それは、この真空の空間で繰り返されてきた永遠の輪廻なのかもしれない。終わりは新しい始まりとなり、物語は途切れることなく紡がれていく。


「私たちの光も、きっと誰かの道標になるわね」


「ええ。だから――」


 ポジティアは、踊りの最中にイオンを優しく抱きしめた。


「だから、最後まで美しく在りましょう」


 その瞬間、二人の波動が完全に同期した。光の欠片たちは、まるで祝福するかのように、より一層明るく輝きを増した。


 それは、儚くも永遠に続く愛の形だった。

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