●第2章:『波動の協奏曲 -Resonance Waltz-』
真空の海を漂う二つの存在は、やがて不思議な現象に出会った。
それは、空間そのものが波打つような光景だった。量子の泡は、まるで意思を持つかのように渦を巻き、その中心では何かが生まれようとしていた。
「あれは……バーチャル粒子?」
ポジティアが指さす方向には、一瞬だけ現れては消える粒子の群れが浮かんでいた。それは真空の量子揺らぎが作り出す、幻のような存在だった。
「まるで、夢を見ているみたい」
イオンはその光景に魅了されていた。真空は決して「空」ではなかった。そこには無数の可能性が潜んでいて、時として奇跡的な現象を生み出すのだ。
「私たちも、最初はああいう揺らぎの一つだったのかもしれないわね」
「でも、私たちは消えなかった。なぜ?」
その問いに対する答えを、二人はまだ見つけられないでいた。しかし、それを考えることは、自分たちの存在の意味を探ることでもあった。
「ねえ、聞こえる?」
ポジティアが突然立ち止まった。真空の中に、かすかな振動が伝わってきていた。
「これは……波動?」
「ええ。でも、普通の量子の揺らぎとは違う。もっと……規則的な」
二人は手を繋いだまま、その波動の源へと近づいていった。すると、驚くべき光景が広がっていた。
無数の光の糸が、空間を縫うように走っている。それは、まるで巨大な織物のように見えた。
「ストリング……」
ポジティアが思わず呟いた。それは、彼女の中に眠っていた知識が目覚めたかのようだった。
「超弦理論で語られる、根源的な存在?」
「そう。全ての物質の根源とされる、振動する紐。私たちも、きっとその振動から生まれたの」
光の糸は、様々な周波数で振動していた。その一つ一つが、異なる粒子を生み出す可能性を秘めている。
「美しい……」
イオンは思わず手を伸ばした。すると、光の糸が反応するように揺れ動いた。
「気を付けて!」
ポジティアの警告の声が響く。しかし、すでに遅かった。イオンの波動が光の糸と共鳴し、予期せぬ現象が起きる。
空間が歪み、光の渦が二人を包み込んだ。
「イオン! 手を離さないで!」
ポジティアは必死でイオンの手を掴んでいた。しかし、渦の力は強く、二人の存在を引き離そうとする。
「離さない! 絶対に!」
イオンもまた、全力でポジティアの手を握り締めた。その時、二人の波動が完全に同期した。
するとどうだろう。
光の渦が、まるで生き物のように反応を示した。それは次第に穏やかになり、二人を包み込むようになる。
「これは……私たちの共鳴?」
「ええ。二つの波動が重なり合って、新しい何かを生み出しているの」
光の渦は、二人の周りで美しい螺旋を描いていた。それは、電子と陽電子という対極の存在が紡ぎ出す、前例のない現象だった。
「私たちには、特別な力があるのね」
「そうみたい。でも、それは同時に??」
ポジティアは言葉を途切れさせた。イオンには、その意味がわかっていた。
二人の力が強まれば強まるほど、対消滅の可能性も高まっていく。それは、避けられない事実だった。
「怖くないの?」
イオンの問いかけに、ポジティアは静かに首を振った。
「怖いわ。でも、それ以上に??あなたと一緒にいることが嬉しい」
その言葉に、イオンの中で何かが震えた。それは、恐れでも不安でもない。純粋な、温かな感情だった。
「私も同じ」
光の渦は、次第に穏やかな波動へと変化していった。それは、まるで二人の気持ちを映し出すかのようだった。
「見て、イオン。私たちの波動が、新しい模様を描いているわ」
確かに、二人の周りには今まで見たことのない光の模様が広がっていた。それは幾何学的でありながら、有機的な美しさを持っていた。
「まるで、花びらのよう」
「そうね。量子の花……」
その光景は、真空の中でしか見ることのできない特別な現象だった。二つの存在が織りなす、一瞬の芸術。
「私たちが描く軌跡は、きっと誰も見たことのないものだわ」
「ええ。だから、もっともっと、素敵な模様を描きましょう」
二人は再び手を取り合い、真空の海を進んでいく。その後ろには、光の花びらが静かに舞い落ちていった。
しかし、その美しい光景の中にも、やがて訪れる運命の影が潜んでいた。二人の波動が重なれば重なるほど、対消滅の可能性は高まっていく。
それは、甘美な悲劇の序曲だった。
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