第5話 涙
今日のお客様は、亡くなった姉が時折作ってくれたクッキーの再現だ。お客様は八十を超えた男性で、沖縄の出身だという。
結斗さんに指示されて、ラードときび砂糖を計量する。いつも思うけれど、お菓子の砂糖の量って致死量だ。
「お菓子にラードを使うんですか?」
「まあ。沖縄のちんすこうだよね、要は」
「へえ。きび砂糖も?」
「うん。鈴ちゃん、ちんすこうは食べたことある?」
計量した材料をざっくり混ぜ合わせながら、結斗さんが私に笑いかけた。穏やかな月曜日、今日は高木さんは来るだろうか。ちんすこうの計量を終えて、卵焼き器の温めに取り掛かると、思い出されるのは昨日の結斗さんの言葉だった。私はアルバイトとはいえ、お客様と真摯に向き合う心構えがなかった。
「さ、余熱で温めたオーブンで焼くよ」
「形はちんすこうですね」
「そう。ちんすこうはラードと砂糖の量が重要。ザクザクになる。あと、今日のお客さんのは、隠し味に塩だね」
「あ、塩のちんすこう、私好きです」
オーブンに入れた生地が、じゅわじゅわと鳴いている。ラードが小麦粉に染み渡って、生地が固く焼けていく。
出来たてのちんすこうは、手で持てないくらいにホロホロなんだよ。結斗さんの口が弧を描いた。結斗さんは、料理をするとき一切の味見をしない。分かるのだ。結斗さんはお客様の後ろにいる、思い出の味の主――つまり、亡くなった人と話をして、その味を再現している。一度その人の味を再現すると、だいたいの人は成仏するらしい。
そんなわけだから、結斗さんが亡くなった人の思い出の味を再現できるのは、ひとえに結斗さんが神様で、死んだ人と会話ができるからだ。
「わぁ、いい匂い」
焼きあがったちんすこうを、結斗さんがひとつ、掴み取った。ふにゃふゃで、今にも崩れ落ちそうだった。クッキーとは程遠い柔らかさ。
「鈴ちゃん、あーん」
「や、結斗さん。さすがにそれは」
「ほら、崩れちゃう」
「わ、わ!」
結斗さんにほだされて、私は結斗さんの手からちんすこうを口に入れた。熱くてハフハフして、噛むとほどけて、甘くて、じゃりっとする。小麦粉の味もちゃんとする。
「焼きたてって、ケーキみたいですね」
「でしょ。味見は料理人の特権」
にぱっと笑って、結斗さんは自分もあつあつのちんすこうを口に入れた。「甘いね」
そうこうするうちに、お客様のおじいさんが店に入ってきて、結斗さんは猫かぶりモードに突入した。
「いらっしゃいませ。ご注文のものは出来ていますよ」
「ああ、ああ。この匂いでわかります」
カウンターにおじいさんを座らせて、結斗さんはおじいさんに焼きたてのちんすこうを出した。さく、と音がする。先程よりやや冷めたからか、だいぶクッキーらしい食感だった。
「美味しい、この味です」
「うん。お姉さん、ずっとアナタのこと守ってきてますよ」
「姉が?」
「うん。ちゃんと生き抜いて偉いねって」
おじいさんの目に涙が滲んだ。年齢的に、戦争を経験したギリギリの世代だ。おじいさんが昔話をする。結斗さんがお姉さんの言葉を代弁する。
「お姉さんも、これで安心していけるって笑ってますよ」
「店主さんは、姉とお話ができるのですか?」
「ん、まあ、そんなところです」
結斗さんがにこりと笑った。おじいさんが結斗さんにすがるように身を乗り出した。
「すまないと、伝えたくて」
「何故です」
「……わたしはまだ、幼くて……姉さんは、私のために食べ物を我慢させてしまって。このちんすこうだって、私が我儘を言って作ってもらった味で。私は、私のせいで姉は栄養失調で……」
大の大人がポロポロと泣き出して、私まで泣きそうになってくる。私は平和な時代に生きているから、戦争の辛さなんて理解できない。想像はできても。
「お姉さんも、同じこと思ってますよ」
「姉さんが?」
「我慢ばかりさせたって。自分のせいで、アナタが囚われて前に進めないんじゃないかって。お姉さんは、アナタのことを恨んだりしてませんよ」
私まで涙がこぼれ落ちた。おじいさんは、ありがとう、ありがとうと結斗さんの手を握って、結斗さんは心底嬉しそうにおじいさんを慰め続けた。紛れもなくそれは神様というには相応しくて、私は、結斗さんにも幸せになって欲しいと思うようになった。
そして私は、カノカさまの手がかりを掴むために、フリマアプリでカノカさまから占いの出品を購入するのだった。
神結びの喫茶店〜名もなき店主は亡き人を結ぶ〜 空岡 @sai_shikimiya
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