第4話 真心

 結斗さんのコーヒーは、美味しい。淹れ方にコツがあるんだよと見せてもらって以来、コーヒーは私の役割になった。私は一度見た、かいだ、食べたものは忘れない。だから、ここにアルバイトに入っても、あまり失敗をしたことがなかった。それこそが私の傲りで、私はきっと、料理を舐めていたに違いない。


「鈴ちゃん、今日の卵焼き、手を抜いたよね」

「え? いつも通りにしましたよ。味も同じでしょう?」


 今日のお客様は常連で、特に結斗さんのだし巻き玉子が好きだった。結斗さんのだし巻き玉子は出汁から取って、醤油も砂糖もみりんも、ちゃんといつも通り分量を測った。変えたことといえば、銅の卵焼き器の温めを、弱火ではなく中火でしたこと。銅のフライパンに油を引いて、キッチンペーパーで撫でるように油を馴染ませる。その作業が一時間。弱火で一時間温めると、鍋に卵は一切くっつかない。けれど手間だ。弱火で一時間温めるのなら、火を強くして半分の時間で済ませたい。それに、油を一時間も馴染ませる必要性を感じなかった。三十分でも十分だと、開店までの時間が差し迫った今日は、銅鍋の温めをはしょったのだった。


「高木さんが来るって知ってて、あの処理をしたの?」

「でも、味は変わりませんよね」

「本当にそう思うの?」


 高木さんは、いつも通り美味しい、美味しいとだし巻き玉子を食べてくれた。高木さんは元々、この店にお母さんの味を求めてやってきた。喫茶店なのに本格的な料理を出すのも変だし、下準備にかける時間だって、短い方がいいはずだ。

 結斗さんが怒りながら、だし巻き玉子を乗せた皿を私に渡した。私は昼休みで、奥の座敷の部屋で休憩をしていたところを呼び止められて、不機嫌にだし巻き玉子を口に入れた。


「違う……え、いつもの味じゃない」

「当たり前だよ。卵ってね、少しの温度差で出来上がりが違ってくるんだよ。卵料理が基礎にして一番難しいとされてる理由。料理人の腕もそうだけど、使う器具はもっと大事」


 あーもう、と結斗さんが腰巻エプロンを畳に投げた。猫かぶりで、私の前以外では真摯なのに、私の前ではいつもこんなだ。


「結斗さん、すみません」

「いいよ、僕もちゃんと、説明すべきだった。でもね、鈴ちゃん」


 結斗さんは神様だからか、人間が大好きで、人間に甘い。私以外の人間に限るけれど。


「料理は真心なの。人はいつの時代も神様にお供えをするでしょう? あれらの手を抜く人なんていないように、僕ら料理人は、ひとつひとつの料理に真摯に向き合わなきゃならない」

「ご、ごめんなさい」


 しゅんと項垂れると、結斗さんは私の頭をひとなでして、「わかったならよろしい」と優しく笑った。

 結斗さんは、ものを生み出す神様だからか、料理もいつだって真剣だった。食べることは生きること。でも、ただ生きていくだけならば、食べ物ならばなんでもいいはずだ。だけど人間は、より美味しいものを求めずにはいられない。そしてこの喫茶店は、亡くなったひととの思い出の料理を再現する。今日、私は、高木さんの思い出をけがしてしまった。思い出のだし巻き玉子を。今度高木さんに会ったら謝ろうと思った。

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