第5話 -冒険譚の始まり(チュートリアル)④-

 誘拐してきた女を馬車に乗せ、俺は道を進む。この馬車には、金になる大物が乗っている。それを思うと、自然と口元が緩むのを抑えられなかった。


「これでようやく、俺たちの金も潤う。『レグニス』家の『次期勇者候補』だ、数億どころかもっと値がつくかもしれねぇな!」


 独り言が止まらない俺に、リーダーが苛立ち声を上げた。


「おい! ラルク! 黙れ、うるせぇ!」


「すまねぇ。でもよ、この大物を売ると思うと落ち着かねぇんだよ!」


 俺たちは魔法で国境の検問を掻い潜り、馬車を走らせる。ようやく山を越えたあたりで一度休憩を取ることにした。深夜の静寂が辺りを包み、眠気が俺の意識をぼやかせ始めた、その時だった。


「そこの盗賊ども、止まれ」


 突然、幼い声が響いた。馬車の前方に、小さなフードを被った子供が立っている。思わず手綱を引き、馬車を止めた。


「お嬢ちゃん、夜中にこんな場所で何してるんだ? 早くどいてくれないか?」


 穏やかに促す俺に、そいつは低い声で応えた。


「ほう……吾輩にどけと命令するとはな。退くのは貴様らの方だ、マヌケども」


 その瞬間、目の前の子供の瞳が赤く光り、得体の知れない圧力が俺を包み込んだ。胸の奥から溢れ出す「恐怖」。まるで心を直接握られているような感覚に、体が硬直した。

 

 ※

 

 ここのリーダーの俺は、異変を感じてラルクの様子を見に行った。近くの部下に捕らえた女を見張るよう命じ、ラルクのもとへ駆け寄る。


「おい! ラルク! なぜ止まっ——!」


 そこで目にしたのは、泡を吹いて気絶しているラルクの姿だった。顔は苦悶に歪み、全身が震えている。その異様な光景に、一瞬思考が止まる。


 そして、馬車の前に立つ謎の子供を見た瞬間、全てを理解した。


「てめぇ……何者だ?」


「吾輩が名乗る必要はない。貴様らはどうせあの世に堕ちるのだからな」


 赤い瞳がギラリと光る。魔界の者……いや、それ以上の何かだ。


 俺は腰の剣を抜き放ち、恐怖に震える体を無理やり動かして突進する。


「死ねぇッ!」


 だが、剣を振り下ろした瞬間、目の前の子供が言った。


「どこに剣を振っている? お前の剣は吾輩の隣にあるではないか」


 気がつけば、俺の剣は空を切り、全く違う場所に振り下ろされていた。


「な、なんでだ……俺は確かに……!」


 その時、全身を覆う「恐怖」が臨界点を超えた。次第に現実感を失い、俺は無意味に剣を振り回し始める。そして、次の瞬間、自分の首が切り落とされた感触に気づいた。


 視界が暗転し、意識が消える直前、俺の最後の思考は「こいつには勝てない」だった。

 

 ※

 

 吾輩は誘拐されたフィーナがいる馬車の中に入った。


 馬車の中には、誰もいない。手足を縛られ、涙を流しているフィーナだけがいた。


「フィーナ! 大丈夫か!」


 吾輩は全身に漂わせていた“何か”を抑え込み、フィーナの元へ駆け寄る。そして、彼女を縛っていた縄を急いで解いた。


 涙を流していたフィーナは、吾輩を見た途端、潤んだ瞳で飛びついてきた。


「フィーナ、もう安心するんだ。吾輩が来たからには何も心配いらん」


「あなた……もしかして、リアちゃん?」


 フィーナは震える声で涙を拭いながら問いかけてきた。その言葉に吾輩は少しだけ迷ったが、彼女を安心させるため、短く「そうだ」と答えた。


「フィーナ、もう少しでお前が言っていたメイドが来る。だから今はここで——」


「リアちゃん! 危ない!」


 突然、フィーナが叫んだ。反射的に振り向いた瞬間、吾輩は首を強く絞められ、宙へと持ち上げられた。


「クッ——!」


「テメェ! よくもリーダーをやりやがったな!? へっ、だがこうして捕まえたぜ!」


 そこには、どこかに潜んでいた残党の男がいた。さっきまでは気配すら感じなかった……透過魔法か! チッ、油断していた!

 

 ※

 

 リアちゃんが男に首を絞められている。その光景を目にしながら、私は何もできず震えていた。


 どうしよう、どうしよう。このままだとリアちゃんが——!


 焦る中、ふと自分の腰に小さな短剣があるのに気づいた。その瞬間、昨日の剣の稽古で兄から言われた言葉が脳裏に蘇る。


『まだまだ剣筋に力が入ってないぞ。その程度じゃ勇者になれるなんて程遠い。もっと剣をしっかり握れ』


『お前の剣は、誰かを殺すためじゃない。命を守るためにあるものだ。父と母がお前をどう思っているか知らんが、俺はずっとお前のことを想っているぞ』


 そうだ、私の剣は誰かを守るためにある……。リアちゃんを守るために!


 覚悟を決めたその瞬間、身体の奥底から力が湧いてきた。私は鞘から剣を抜かずに握りしめ、持ち前の足の速さで男の背後を取った。そして、渾身の力で、鞘のままの剣を男の後頭部目掛けて振り下ろした。


「——ッ!」


 鈍い音とともに、男はぐらりと体勢を崩し、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 ※

 

 誘拐されたフィーナを助ける数分前のことだ。

 

 グロムの背中に乗っていた吾輩は、ある地点で降ろされた。

 

「ヴァミリア様」


 グロムが指差した方向を見ると、人気のない路地裏に、一人の血だらけのメイドが倒れていた。その姿を目にした瞬間、吾輩の胸に嫌な予感が走る。


「もしや、こやつは!」


 思わず声を漏らす吾輩に、グロムが尋ねる。

 

「お知り合いですか?」


 吾輩はうなずきながら答えた。

 

「誘拐されたフィーナのメイドかもしれん!」


 グロムは事情を理解し、すぐにメイドの首に手をやり脈を確認する。


「治癒魔法を施しました。重症ですが気絶しているだけです。目覚めるのも時間の問題でしょう」

 

「そうか、ならば——」


 話を続けようとする吾輩を遮るように、グロムは毅然とした口調で言った。

 

「ヴァミリア様、ここから先は山のふもとへ向かっていただきます。おひとりで。あの山の方におそらく盗賊達がいます」


「え、吾輩だけで行くのか!? あの山を登るのか!? 力が使えればともかく、無しでは厳しいぞ!」


 吾輩の抗議に、グロムは深いため息をつきながら答える。

 

「人間界で貴方様の力を解放するのは、様々な影響が出るため控えるべきですが……仕方ありません、1%、1%だけなら許可します」


「さすがグロム、話が分かるではないか!」


 力の解放を許可された吾輩は、体内から1%の魔力を引き出し、超人的な速さで山のふもとへと駆け抜けた。

 

 ※

 

 吾輩が誘拐されていたフィーナを助けると、疲れ果てた彼女は、吾輩の膝を枕にして眠り込んでしまった。


「なぜ吾輩の膝で寝るのだ……まったく、勝手な小娘め」


 そう呟きながらも、フィーナの安らかな寝顔を見ていると、不思議と心が和む。


「……だが、やはり楽しいものだな、人間界というのは」


 頭上には星空が広がり、その輝きに見惚れているうちに、吾輩の瞼も重くなり、意識が遠のいていった。

 

 ※

 

 目を覚ますと、そこは魔界だった。

 

 グロムの背中におんぶされていることに気づき、吾輩は慌てて尋ねた。

 

「グロム! あれからどうなったのだ?」


 グロムは優しい顔で説明を始めた。

 

「ヴァミリア様がフィーナさんを助けた後、私が残した置き手紙を見たメイドが無事に彼女を迎えに来ました。そして、混乱が広がる前に、私が貴方様を回収し、ここに戻ってきた次第です」


「そうか……あの小娘が無事ならそれでよい」


 吾輩は満足げにうなずくと、時計を確認する。

 

「門限ギリギリだが、これなら間に合うな。さて、帰ったらこの冒険譚を誰に話そうか!」


 すると、グロムが慌てて言う。

 

「あ、あまりこのことを他言しないでくださいね、ヴァミリア様!」


 吾輩はニヤリと笑う。

 

「それはどうだろうな、グロム。あ、その前に一つ聞きたい。吾輩が迷子になったとき、お前はどこにいたのだ?」


 グロムはぎこちなく視線を逸らしながら答えた。

 

「そ、それは……珍しい魔導書が並ぶ場所を発見し、つい夢中になってしまい……貴方様を見失ってしまいました。申し訳ありません」


 吾輩は呆れつつも肩をすくめる。

 

「まったく、お前という奴は……よし、この件はお互い秘密にしておこうな!」


「そうですね、ヴァミリア様」


 二人は苦笑しながら魔王城へと帰路を急いだ——。

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