第6話 -魔王軍幹部の日常-
「それで、グロム。ヴァミリアの人間界での様子はどうだった? 奴はちゃんと1人で行動できていたか?」
そう尋ねたのは、この魔界を統べる魔王だ。魔王は威厳を漂わせながら、玉座に悠然と腰を下ろしている。
私は魔王の前で膝をつき、頭を垂れ、今回の人間界での出来事を報告した。
「少々イレギュラーな事態はありましたが、魔王様のご期待通り、ヴァミリア様は1人でも十分に対応できておりました」
「それは何よりだ。……しかし、あの国『レグニス』で王族が誘拐されるとはな」
魔王は腕を組みながら深くうなずき、その瞳は遠くを見据えているようだった。
「ところで、魔王様。1つお伺いしたいことがございます」
「良い。聞いてみろ」
「なぜ、今回ヴァミリア様を1人にさせるよう命じられたのですか? 魔王様のお考えがいまひとつ理解できず……」
私がヴァミリア様を人間界に連れて行ったのも、全て魔王様の命令だった。
そして、私の問いに、魔王は口元に薄い笑みを浮かべた。その笑みには確かな意図が込められている。
「それはだな……ヴァミリアには人間と深く関わってほしいと思っているのだ」
「人間と……ですか?」
魔王の言葉に耳を傾ける私を見据え、彼は続けた。
「現在の魔界と人間界の関係は最悪だ。それを少しでも改善するには、相互理解が不可欠。ヴァミリアにはその架け橋となってもらいたいのだよ。彼女が人間と深く関わることで、魔界と人間界が手を取り合える未来を築く。それが吾輩の思惑だ」
「なるほど、それは素晴らしいお考えですね」
私は敬意を込めてそう答えたが、一つ気になることがあった。
「ですが魔王様、人間界ではなぜか『勇者候補』が選抜されているとのことです」
その報告を受け、魔王の表情が険しくなった。
「勇者候補、だと?……その意図は吾輩にも分からぬが、人間界の王族たちが何かを企んでいる可能性は高いな」
魔王がそう呟いた矢先、玉座の間の扉が突然勢いよく開かれた。
「グロム! グロムはいるか!?」
扉の向こうから現れたのは、張り切った様子のヴァミリア様だった。
「グロム、話の続きはまた後だ。今はヴァミリアの相手をしてやれ」
魔王様の指示を受け、私は深々と頭を下げた。
「承知いたしました」
私はヴァミリア様に手を引かれ、そのまま部屋を後にした。
「一体、どうされたのですか?」
魔王城内を走るヴァミリア様に合わせながら尋ねると、彼女は振り返りもせず、嬉しそうな声で言った。
「良いから黙ってついてまいれ!」
しばらく走らされ、到着した先で目にしたものに、私は目を見張った。
「こ、これは……!」
そこには、私の似顔絵が描かれた絵が飾られていた。
「どうだ?! 上手く描けているだろう?」
得意げに胸を張るヴァミリア様に、私は戸惑いながら尋ねる。
「ど、どうして急に私の絵を……?」
「昨日、人間界に連れて行ってもらった礼だ! 色々あったが、楽しかったからな!」
その言葉に、私は思わず微笑んでしまった。
「昨日は確かに色々ありましたからね……ところで、ヴァミリア様。今日は何をされるおつもりですか?」
すると、彼女は既に決めているかのように胸を張って答えた。
「今日も吾輩を人間界に連れて行くのだ!」
その時、再び部屋の扉が開いた。
「ヴァミリアちゃーん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには笑顔を浮かべたヴァミリア様の母上、かつて最強の勇者と謳われたフェルト様の姿があった。
「ま、母上……!?」
ヴァミリア様は明らかに動揺し、私に助けを求める視線を送るが、私は冷静に状況を整理する。
「ヴァミリア様、昨日、私が許可したとはいえ、人間界でのトラブルは慎んでいただきたいものです」
「なっ……!? 裏切り者め!」
ヴァミリア様が驚愕する中、フェルト様は静かに歩み寄る。
「昨日も人間界に行っていたのね……私を誘わずに?」
「そ、それは……!」
怒りを秘めた笑顔で近づく母上に怯えるヴァミリア様だったが、私はすかさずフォローを入れた。
「フェルト様、昨日の件ですが、ヴァミリア様はむしろ巻き込まれた側です。さらに、彼女は人間界で『勇者候補』の命を救われました」
事情を説明すると、フェルト様の雰囲気が一変し、優しい笑みを浮かべた。
「まぁ! それは良いことをしたわね、ヴァミリアちゃん! ねぇ、詳しく聞かせてちょうだい?」
こうして、ヴァミリア様は母上に囲まれながら、自らの冒険譚を語り始めたのだった。
「友達、できて良かったわね!」
「友達……? 吾輩に……?」
「そうよ! 助けた相手は、もう他人じゃないもの!」
ヴァミリア様は少し考えた後、満面の笑みを浮かべた。
「吾輩に友達か……悪くないな!」
そして、その日は彼女は人間界に行くことはなく、ヴァミリア様は母上に冒険譚の話を深く話したのだった。
※
フィーナとの出会いが、吾輩の日常に少しだけ波紋を広げたあの日から数日。
吾輩は次に訪れる人間界の場所を考えながら魔王城を歩いていた。すると、ふと目の前に見覚えのある人物を見かける。
「あれは、もしや……?」
吾輩はとっさに柱の陰に隠れ、その人物の動向を伺った。目の前にいるのは、人間でありながら魔王軍幹部を務める、魔界随一の大魔法使い・レオナだ。彼女の銀髪が陽光を反射するかのように淡く輝き、瞳は冷たい月光を宿しているかのようだ。その美貌には、女である吾輩でさえ息を呑む
しかし、レオナはあまり感情を表に出さないと聞いている。吾輩も彼女とはほとんど会話したことがないから、こうして出会うのはかなりレアな機会だな!
物陰に隠れて彼女を見守りつつ、どう声をかけるべきかと考えていると、レオナは無表情のままどこかへ向かい始めた。吾輩はその動向が気になり、柱からこっそり抜け出して後を追う。
魔王城内をあちこち巡り、吾輩が少々息切れしてきた頃、レオナは人気のない場所にたどり着いた。
「さっきから私のあとをついてきているのは誰?」
——ギクッ! バレている!?
レオナが物陰に目を向ける。観念した吾輩は物陰から姿を現した。
「……貴方は……誰だっけ?」
困惑気味に首をかしげるレオナの言葉に、吾輩はつい呆れてよろけそうになった。
「レオナ、レオナ・クリス、それが貴様の名だな? 吾輩はヴァミリア! 魔王である父と、最強の勇者である母の——」
「あぁ、ヴァミリアちゃんね。やっと思い出した」
「最後まで吾輩の挨拶を聞け! 相変わらずポンコツな奴だな。ま、嫌いじゃないが……」
「それで、どうしたの? ヴァミリアちゃん。何か用?」
レオナが首を傾げて問いかけてくる。その無邪気な態度にペースを乱されながら、吾輩は返答に迷う。
「もしかして、迷子?」
「ち、違うわい! 吾輩は……そうだ、吾輩はお主がどこへ行くのか気になってついて来たのだ!」
正直に答えてしまった吾輩に、レオナはふっと微笑む。あまり感情を表に出さない彼女が、こんな穏やかな顔をするとは思わなかった。
「そうなのね。私はただ散歩をしていただけだよ。それと、道端に落ちている魔導書を探していたの」
「魔導書? 理由がさっぱりわからんが……ちょうど吾輩も暇していたところだ! 貴様の散歩に付き合ってやろう!」
吾輩が提案すると、レオナは優しく微笑みながら「うん、よろしくね」と頷いた。
レオナは元々人間界の出身だったらしい。ならば、人間界の面白い場所について何か知っているかもしれないな!
吾輩はレオナと手を繋ぎながら、魔王城や魔界の街を散歩した。話の合間にさりげなく人間界についての情報を引き出そうとする。
「レオナ、お主は元人間界の者だったそうだな?」
そう尋ねると、レオナの表情から少し笑みが消えたように見えた。
「……そうだけど、それがどうかしたの?」
レオナが答えようとしたその瞬間、ドドド! と地響きのような足音が聞こえてきた。吾輩とレオナが振り返ると、彼女は素早く吾輩を庇うように前に立つ。
「おー! レオナ殿とヴァミリア様ではないか!」
「——グリオン」
「ぐ、グリオン!?」
現れたのは、魔王軍幹部のひとり、種族イフリートのグリオンだった。燃え盛る炎を全身から発する彼は、土煙を撒き散らしながら吾輩たちの前で急停止する。
「グリオン、何をしているの?」
レオナが尋ねると、彼は満面の笑みで答えた。
「ランニングだ!」
相変わらずハイテンションな奴だな、と吾輩が呆れていると、グリオンが興味津々に尋ねてきた。
「レオナ殿とヴァミリア様が二人でいるのは珍しいな! 何をしているんだ?」
「散歩と、道端の魔導書探し」
「そうか! 楽しそうだな! じゃあ俺はあと2、3周してくる! またな!」
グリオンは猛スピードで走り去り、土煙を巻き上げる。
「ゲホッ、ゲホッ! 全くアイツは加減というものを知らん! レオナ、大丈夫か?」
吾輩が問うと、レオナは全身土だらけになりながらも淡々と答えた。
「うん、大丈夫」
「なわけあるか!」
そんな調子で魔界を歩き回り、気づけば空が暗くなり始めていた。
「そろそろ帰るか? レオナ」
吾輩が振り返ると、レオナは草むらの前にしゃがみ込んでいた。
「どうした?」
「魔導書……見つけた!」
瞳を輝かせながら彼女が差し出したのは、土にまみれた魔導書だった。その場に稀少な魔導書が落ちているなんて、驚きだ。
「満足できたか?」
「うん! 一緒に散歩してくれてありがとう、ヴァミリアちゃん。帰りにお菓子を買ってあげる!」
優しい笑みを浮かべたレオナに、吾輩はつい胸が高鳴り「ヤッター!」と声を上げてしまった。
そして、夕闇の中、吾輩とレオナの足音が魔界の街に消えていった。
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