第3話 冒険譚の始まり(チュートリアル)②
とある人間界の王国、昼下がりの城内——。
二人の兵士が廊下を巡回しながら、ひそひそと話していた。
「なぁ、聞いたか? あの噂……」
「もちろんさ。この国で、あの子が次期勇者候補に選ばれるなんてな」
「いや、驚きだよな。けど、どうして今さら勇者なんかが必要なんだ? 今の世界は平和そのものだろ?」
「……まさか、魔界で何か起きているんじゃないのか?」
一人が不安げに呟きかけた瞬間、バタンッ! と扉が勢いよく閉まる音が響き、二人の兵士は驚いて動きを止めた。
※
「ふふ、みんなみんな私のお話をしてる!」
そう心の中で喜びながら、私は城の長い廊下を駆け抜ける。掃除中のメイドさんや巡回中の兵隊さんから上手く隠れながら、私のお気に入りの場所を目指した。
到着したのは、王国全体を一望できるお城の屋根の上。広がる青い空、遠くの山々、街を流れる川のきらめき——いつ見ても飽きないこの景色を、私は目をキラキラ輝かせて眺めていた。
「あ、見つかった」
お掃除中のメイドさんと目が合った。彼女は慌てた様子で何か叫んでいる。そろそろここから離れようかな。私はゆっくり立ち上がり、屋根の端まで助走をつけて——思いっきりジャンプした!
「あははは! やっぱり楽しい!」
でも、このままだとちょっと危ないかも。仕方ない、呼ぼう!
「助けて、リーリヤ!」
呼び声に応じるように、疾風の如く現れたのは、私専属のメイド、リーリヤ。落下地点を正確に見極め、空高く飛び上がると、彼女は私をお姫様抱っこでキャッチしてくれた。
「ここにおられたのですね、フィーナ様」
「今日も私の居場所、バッチリ分かっちゃったのね! 私、そんなリーリヤが大好きよ!」
「……それは光栄です。ただし、こんなことばかりしていると、お父様やお母様にまた叱られますよ」
「はーい、分かってますよーだ!」
「それと次期勇者候補として、もっと品位を持って行動してください」
「もう、うるさいなぁ」
ふてくされた態度を取った私に、メイドのリーリヤはため息をついた。
※
その後、身なりを整えた私は、執事に連れられて家族の待つ食事の場へ向かう。長いテーブルを挟んで座るのは、厳格な父、気品ある母、そして騎士団長の兄だ。
「ごきげんよう、お父様、お母様、お兄様」
私が形式的な挨拶をすると、家族たちはそれを無視して食事を始めた。
……相変わらずね。
ため息交じりにそう思ったのも束の間、父が重々しい声を発した。
「フィーナ、また屋根の上を走り回っていたそうだな。何度言えば分かる?」
「もっと品位を持ちなさい。それに……もし『レグニス』の名を汚すような真似をすれば、地下牢送りにしますからね」
母の冷たい視線と言葉が私を突き刺す。そして、おざなりな笑みを浮かべながら答えた。
「分かりました。次から気をつけます」
そのやり取りを黙って見ていた兄が、ナイフとフォークを置き、低い声で命じた。
「フィーナ、食事が済んだら稽古場へ来い。勇者候補としての実力を見させてもらう」
兄の鋭い目に射抜かれ、私は内心ため息をつくしかなかった。
※
「おっほー! 人間界だァ! なぁなぁ、グロム!」
数日ぶりに人間界へ足を踏み入れたが、やっぱり魔界とは違う。空気の匂いも、雰囲気も、すべてが新鮮だ! いやぁ、やっぱり吾輩にとって人間界というのは切っても切れない場所だな!
「ヴァミリア様、なるべく私から離れないで行動してください、あとこの人間界ではヴァミリア様の力は使わないでください」
無邪気にはしゃぐ吾輩を見て、グロムが微笑みながらそう言う。そんな彼に向かって、吾輩は胸を張って「分かっておる!」と答えた。
「で、グロム。この国のどこが楽しいのだ? 一見、なんの変哲もない普通の国に見えるが」
吾輩が問いかけると、グロムは不敵な笑みを浮かべ、含みのある声で答えた。
「それはですね、ヴァミリア様。ついてきてください」
「う、うむ! でも、少し怖いぞ?」
グロムの不気味な笑みに一抹の不安を感じつつも、吾輩は彼の後をついていく。そして、さっきまで賑わっていた場所を離れた途端、荒廃した街並みに足を踏み入れていた。
「この国はですね、貴族や地位の高い者たちが住む地域は栄えていますが、そこから離れるとこういった荒れ果てた区域が現れるのです。いわば、低俗の中の低俗、人間以下の者たちが住む場所です」
グロムが眼鏡を光らせながら説明していると、建物の影から何やら野蛮そうな人間が武器を振りかざしてこちらへ向かってくるではないか!
「ちょ、ちょっとグロム! 吾輩たち襲われておるぞ!」
吾輩が慌てて叫ぶが、グロムは冷静そのもの。不敵な笑みを浮かべたまま、杖を取り出し、低く呪文を唱える。
次の瞬間——
ゴォッ! と爆音とともに、襲いかかってきた男は跡形もなく消し飛んだ。
「ヴァミリア様、ここは貴方にとっての“楽しい国”ではありません。これは私にとって、日頃の鬱憤を晴らす“楽しい国”なのです」
グロムが楽しそうに語るや否や、今度は男の仲間らしき者たちが次々と現れる。
「ヴァミリア様、どうぞ好きな場所でご覧になっていてください。貴方様には指一本触れさせませんので」
「いやいや! お守りっていうか! 吾輩たちがここに来たからこんなことになっとるだけだろうが!」
吾輩の抗議も空しく、グロムは次々と襲い来る輩を、杖と魔法で鮮やかに制圧していく。
「はっ! スッキリいたしました! お怪我はありませんか、ヴァミリア様!」
「グロム……吾輩は今、お前を直属の配下にしたことを後悔しておる……」
吾輩はグロムの意外な一面に絶句しつつ、深い溜息をついた。
その後、吾輩とグロムは転移魔法で賑わう場所へ戻り、魔界にはないアクセサリーや料理を見たり、魔導書や童話の本を読んだりと、ようやく吾輩も満喫できた。
「こういうのじゃ! こういうのがしたかったのだ! グロム!」
喜び勇んで振り返るが——
「……グロム?」
そこには誰もいない。
「……これって……おーい! グロムゥ!」
必死に名前を呼ぶが、応答はない。
「吾輩、迷子になっちゃったァ!?」
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