第2話-冒険譚の始まり(チュートリアル)①-

 暴れるグロムを宥めたあと、吾輩は「暇つぶし」の内容を彼に伝えた。


「——人間界へ行きたいと? それはどうしてですか?」


 グロムは首を傾げながら問いかけてきた。


「どうしてもだ! 吾輩は! どうしても! 人間界に行きたいのだ!」


 吾輩が駄々をこねるように言うと、グロムはため息をついて諭すように語りかけてきた。


「ヴァミリア様、貴方様はまだ幼き姫です。どうしてそこまで人間界に行きたいのかは分かりませんが、もし人間界で迷子になったり拐われたりすれば、魔界の者総出で貴方様を探す羽目になります」


「むぅ、グロムのケチ!」


「迷子ならまだ私の魔法でなんとかできます。しかし、拐われた場合は……」


 グロムは暗い表情を浮かべ、青ざめながら言葉を詰まらせた。


「さ、最悪……?」


 吾輩はその顔を見て、なぜかどこからともなく冷や汗が出てきた。そして、グロムはその詰まっていた言葉を続けた。


「人間界との戦争へと発展するやもしれません」


「戦……争、戦争……魔界と人間界の……」


 戦争。それは吾輩も味わったことのないものだ。しかし、それがどれだけ残酷で起こしてはならないものか、母から教えられていた。もし本当にそうなれば、母との約束が破られてしまう……。


 吾輩が最悪の未来を想像していると、グロムが再び語りかけてきた。


「それで、どうしてそこまで人間界に行きたいのですか? あそこはまだヴァミリア様にとって早い場所です」


「……母がだ。吾輩の母が父に黙って、初めて吾輩を外という世界に連れて行ってくれた場所が人間界なのだ。最近母は病で死んだが、だからこそ、母との思い出を振り返るために人間界に行きたいのだ」


「ヴァミリア様……それ、嘘ですよね?」


「ギクッ!」


グロムの鋭い眼光に、吾輩はつい反応してしまった。そして彼は、淡々と吾輩の嘘を指摘してきた。


「まず、貴方様の母上はご高齢にはなりましたが、まだご存命です。それに、ヴァミリア様が暇を持て余している理由は——」


「……!」


「とある日、人間界に一人でお使いに行った際、調子に乗って人間界の人々に迷惑をかけたせいですよね?」


 全てを見破られた吾輩は、大粒の涙を目尻から流しながら、さらに大きな駄々をこね始めた。それを見ていたグロムは深々とため息をつき、手を差し伸べて言った。


「本来はダメなことですが……魔界の者たちには内緒ですよ」


「ヤッタァ!! 大好きだぞ! グロムゥ!」

 

 差し伸べられたグロムの手を取ると、吾輩はあまりの嬉しさに思わず彼に抱きついた。


「グロムゥ! お前が吾輩の直属の部下とは、なんと素晴らしいことか!」


「ありがたいお言葉、光栄に思います」


「では、行くぞグロム! 人間界へ——」


 吾輩が意気揚々と扉を指さした瞬間、グロムの眼鏡がキラリと光る。そして、どこからか杖を取り出した。


「?」


「ヴァミリア様、人間界に行く前にいつものルーティンを消化しましょう」


「ルーティン? ……まさか!」


「これから武術、魔法、そして道徳の授業を行います」


「ガーンッ! 武術と魔法はまだしも、道徳!? 魔族に道徳を求める世の中なのか!?」


 吾輩が文句を言うと、グロムは鋭い眼光を向ける。


「これらはすべて魔王様、つまりお父上のご指示です。拒否されるなら……魔王様に——」


「やります! やりますとも!」


 そうして吾輩は授業を始める羽目になった——。

 

 そこから先の記憶はほとんど曖昧だ。ただ、妙に心に残っているのは道徳の授業で覚えた「思いやる心」などという言葉。吾輩、一応魔王の娘なのに、「思いやる心」だと? 一体なんの役に立つのだ!


 授業が終わる頃には、吾輩は全身がぐったりとして倒れそうになっていた。それを見たグロムが、優しく吾輩を抱きかかえる。


「お疲れ様でした、ヴァミリア様」


「ふん! 吾輩に不可能などないからな!」


 虚勢を張る吾輩の言葉に、グロムはふっと微笑む。そして、静かに言った。


「さて、参りましょうか。人間界へ」


「ヤッタァ! では、早く吾輩を連れて行け!」


「承知致しました——ですが、その前に一つだけ。今のままでは人々に怖がられてしまいますので、姿を少しだけ変えましょう」


 そう言うとグロムは杖を掲げ、吾輩と自身に変身の魔法をかけた。柔らかな光が吾輩の体を包み込み、みるみるうちに魔族特有の角が消えていく。一方、グロムの赤い瞳は静かな青へと変わった。


「角や赤い目は魔族の象徴です。これを隠しておけば、問題ありません」


「ほほう、なかなかやるではないか! では、行くぞ!」


「かしこまりました。では、どの国に行かれますか?」


「うーむ、では……一番楽しいところだ! 一番楽しい国に行こう!」


 吾輩の曖昧な指示にもかかわらず、グロムはすでに理解したかのように転移魔法の準備を始める。そして、魔法陣の中で手を差し出した。


「ヴァミリア様、お手をどうぞ」


「うむ! では参るぞ!」

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