第4話 魔法の発音

 古木と賢者のもとを離れ、メイは森の奥へと足を進めていた。賢者から渡された杖を手に握りしめ、その振動を感じながら、自分の中に響く旋律を思い浮かべる。音を取り戻すという使命の重さを感じながらも、彼女の胸には希望の光が灯っていた。


 その時、彼女の耳に微かな「音」が聞こえた。振り返ると、風が葉を揺らしている――いや、風ではない。誰かの声だ。


 「ここまで来るとは、なかなかの度胸だな」


 茂みの中から現れたのは、背の高い青年だった。鋭い目つきに反して、彼の唇は柔らかく動き、言葉の一つ一つが不思議なリズムを帯びていた。


 「君が賢者から選ばれたという子か?」


 メイは頷き、杖を見せる。青年はそれを見て微かに笑った。

 「なるほど、君は『発音魔法』を学ぶ必要があるな」


 「発音魔法……?」

 メイは眉をひそめた。音が失われた世界で「発音」という言葉が持つ意味をまだ理解できていない。


 「そうだ。音はただの振動ではない。舌と唇、そして呼吸のリズムが紡ぐ生命の力だ。君はそれを学ばなければ、この杖を使いこなすことはできない」


 青年はそう言うと、足元の地面に杖を突き立てた。すると、大地に波紋が広がり、まるで見えない力が彼女を包み込むようだった。


 「まずは基本だ。舌と唇の動きを理解することがすべての始まりだ」



 発音魔法:基本の旋律


 唇を閉じて、内側に力を込める。

 舌を歯の裏にそっと当て、息を吐く。

 音の振動を感じながら、リズムを意識して「ムム」と発する。

 

 


 「やってみろ」

 青年の言葉に促され、メイは慎重に口を動かす。唇を閉じ、息を整える。そして、ゆっくりと  「ムム……」と声を出そうとした。


 その瞬間、彼女の胸の中で何かが弾けた。声にはならないものの、彼女の体から微かな振動が伝わるのを感じたのだ。


 「よし、悪くない」青年は満足そうに頷いた。

 「だが、まだ表面的だ。本当に音を操るには、もっと深く自分の内側にある旋律を掘り下げる必要がある」


 彼は地面に指で円を描き、そこに模様のようなものを刻み始めた。それは音符のようにも見えるし、不思議な文字のようでもあった。


 「この図を見ろ。これは音の流れを表したものだ。舌と唇、そして呼吸がどのように調和するかを示している」


 メイは青年の描いた図をじっと見つめた。その瞬間、彼女の頭の中にまた旋律が湧き上がった。それは彼女が幼いころに口ずさんでいた歌の一節だった。


 「ル・ラ・ル……」


 思わず口をついたその声は、小さな音波となって彼女の手に持つ杖を震わせた。杖の先端から微かな光が放たれ、周囲の空気を振動させた。


 「そうだ、それが君の音だ」

 青年は微笑んで言った。


 「君には特別な力がある。それを忘れるな。舌と唇、そして心の中の旋律。それが君を導く鍵だ」


 メイは頷きながら、再び声を出す練習を続けた。そのたびに杖が共鳴し、微かな光が周囲を照らした。音のない世界に、少しずつ希望の響きが戻り始めていた。




 こうして、メイは「発音魔法」の基本を学び、自分の中に眠る旋律を操る第一歩を踏み出した。彼女の冒険はまだ始まったばかりだが、その心には確かな手応えがあった。音を取り戻す旅路に向けて、彼女はさらに一歩前進したのだった。

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