闇に潜む者 Chapter3
その後、私達三人は探偵事務所に戻ってきていた。
ユカリさんは困惑しっぱなしだった。古民家を全部見終わるなり、探偵がせかせかと「さあ、事務所に戻りましょう」と言い出したからだ。
てっきりユカリさんは部屋を見た後、また後日改めてお話という形になると思っていたらしい。
私も困惑したが、探偵は事務所に帰る前に、
「……腹減ってるか?」
テイクアウトの中華を奢ってくれるというので、素直に従った。
探偵事務所の机に広がるのは本格中華のテイクアウトセットだ。
お腹が空いていたのもあり、私は手を合わせるなり包装を剥がしてガツガツと天津飯を貪っていた。
探偵はそれを見て、呆れた表情だった。
「……お前にそっくりな動物を知ってるよ」
「え? なんですか?」
「野良犬」
野良は余計だろう、野良は。
対照的にユカリさんは浮かない顔だった。
「この餃子めっちゃ美味しいですよ?」
「うん……」
食事も進んでいない様子だ。
私はユカリさんの緊張をほぐすため、得意の〝餃子三個同時食い〟を披露した。
「マジで犬みたいだな……」
尚も飽きずに皮肉を言ってくる探偵に対し、私は「アオーン」と遠吠えしておいた。
因みに、それにはユカリさんもドン引きしていた。やり過ぎたか。
それから数十分後。
机上に並べられた料理も空になり、まったりとした雰囲気が流れていた。
「コーヒー要ります?」
私は爪楊枝を口に咥えながら食後のコーヒーを淹れていた。
「あ、探偵さんとユカリさんもコーヒー要ります?」
「お前は……少しは遠慮というものを知れよ」
失礼な。母方のおばあちゃんが住む田舎に行ったときには、村中の人から「慎ましいねマコトちゃんは」と言われたモノだ。
私が不満げな顔で探偵とユカリさんの前にコーヒーを置いていると、
「そういや……お前、あの家で何か気づいたってツラしてたな」
探偵がシリアスな顔で私に尋ねてきた。
ほう……流石探偵。やはり、職業柄か色々と鋭いようだ。
「まあ、そうですね」
「話してみろ」
「ええ~本職を前に、恥ずかしいですよ」
「そんなキャラじゃねえだろうが」
この短期間でどういうキャラ認定されたのかが気になる所ではあったが、私は咳払いを一つ。
ユカリさんの家で発見した成果を発表することにした。
「ユカリさん」
「は、はい……」
「ズバリ、アナタは水虫ですね!」
ズビシッと指さしながら言った。それはもう、「真実はいつも○○!」ばりの勢いで。
時が止まったかと思えた。探偵はコーヒーを吐き出し、ユカリさんはガーンッとショックを受けたように固まっていた。
探偵はすくっと立ち上がり、ツカツカと私に近寄ってきて、
「いだあっ!?」
あろうことか、キレイな形と評判の私の頭にゲンコツをいれてきやがった。
「なんで殴ったの!?」
「唐突に訳分からんこと言い出すからだ。それに失礼——」
「そ、その通りです!」
ユカリさんは顔を真っ赤にしながら声を張り上げた。
「わ、私、実は重度の水虫で……」
ユカリさんの告白に、探偵は呆然としたように私の顔を見た。その瞳の光彩に映るは私のドヤ顔だ。
「えぇ、探偵のくせにそんなことも分からなかったんですかあ?」
「……おい」
「なんです?」
「どういうことだ。なんで家をちょっと見て回ったくらいでそんなことが分かった?」
ヒントは他にも沢山あったとは思うけど……まあいいや。
仕方ない、解説してやるか。
「最初に違和感を持ったのは紙製スリッパですよ」
「……スリッパ?」
そう。紙製スリッパだ。他にも来客用スリッパがあったのにも関わらず、それを私達に出したことを不思議に思っていたのだ。
他にスリッパがあるのに、紙製を使うってことはよっぽど衛生対策に気を遣ってるってことが考えられる。
だが、彼女は所作からして別段潔癖症である素振りも見せていなかった。
紙製スリッパを使う理由としては、主に三つ存在する。
一つ目、他にスリッパが無いから。これは棚にスリッパが置いてあった時点で却下される。
二つ目、他人にスリッパを利用されたくないから。これも来客用スリッパが棚に置いてあった時点で却下だ。
三つ目、衛生対策。一般家庭でこれを行うとなると……水虫対策ってことほかならない。
私が淡々と説明していると、探偵は首をかしげていた。
「なんか色々ツッコミどころがありそうな気がするが……水虫ってアスリート・フットのことだろ? 来客がそれを持ち込んだら嫌だから紙のスリッパで対策していたってことか?」
なんだ、アスリート・フットって……しかも鼻につくネイティブ発音。
「逆ですよ」
「逆?」
「ユカリさんは水虫に羅漢している。つまり、水虫菌を家の床に散布しているということです。ということは?」
探偵は途端にハッとした顔つきになった。
「俺たちに水虫をうつしたくなかったから?」
「そうなんです! 普通はそこまでしません、ユカリさんは他人を気遣える素晴らしい人なんですよ!」
私が賞賛する中、ユカリさんは両手で顔を覆って恥ずかしがっていた。
「……それで?」
「他にも根拠があります。ユカリさんは部屋に着くなり、もじもじしはじめました。人間、自分の部屋につくと安心していつもの習慣が出てしまうものです」
「つまり?」
「ユカリさんは部屋でいつものように痒い足をかきむしりたかったんですよ! ですが、私達がいたからそれが出来なかった。だからもじもじしていたんです!」
「ああ、なるほど!」
探偵はポンと手のひらを叩いたかと思えば、
「じゃねえよ!」
「いてぇっ!?」
探偵はノリツッコミついでに、二度もげんこつを落としてきやがった。
「そんな、依頼人のセンシティブなことを掘り起こして、何がしたいんだお前は!」
「だ、だから……」
「だからなんだ!」
「ユカリさんに〝あの家で〟水虫をうつした人がいるってことですよ!」
それを聞いた探偵は分かりやすく顔をしかめた。
「別に……あの家でとは限らねえだろ?」
ユカリさんは今日、湿気を好む水虫を意識してか、風通りの良いシューズを履いていた。
対して、家にあったのは新品の履いた形跡のないブーツばかり。
古民家を借りたのは最近。つまり、最近羅漢したと考えるのが妥当だ。
それと洗面所を漁った時、最近発行された診療所の診察結果と一緒に、水虫の薬を発見したのだ。
「じゃあ、その時点で水虫は確定じゃねーか! スリッパだとか無駄なQEDして依頼人を辱めるんじゃねえよ!」
「重要じゃないですか!」
「何がだよ!」
「問題なのは、水虫のユカリさんではありません!
その言葉を聞いた探偵は、途端に神妙な面持ちを浮かべた。どうやら、問題の本質にようやく気付いたようだ。
探偵はユカリさんへと向き直った。
「ツッコミどころはかなり多いが……まあ、いい。ユカリさん、最近水虫にかかったのは事実ですか?」
「……はい」
「感染経路はほかに覚えがあります?」
「いえ……普段、別の場所で靴を脱ぐこともないし出不精なので……どうやって水虫に感染したか分からなかったんです」
真実に辿り着きそうになるにつれ、ユカリさんは顔を青くしていた。
私はユカリさんに近寄り、肩に手を置いた。
「ユカリさん、落ち着いて聞いてください。あの家にいるのは、幽霊なんかじゃありません」
ユカリさんは呼吸を荒くし始めた。
「実は……気づいていたんでしょ?」
私が聞けば、ユカリさんは大きな声で泣き始めた。
彼女はこの事務所に初めてやって来た時、探偵と二人きりになりたくないような言動を見せていた。
ということは……ユカリさんは最初から事の真相になんとなく辿り着いていたのだ。
だが、見て見ぬふりをした。そんな筈はない、それはあり得ない、と。
ユカリさんは静かに嗚咽を開始した。
「……グスっ……じ、じつは、本当は気づいていたんです。で、でも……信じたくなかった。そんなことがあるなんて……」
探偵はそれを見て、
「どういうことだ?」
首をかしげていた。
「……え? アナタも気づいていたんじゃないんですか?」
「侵入者のことか?」
侵入者、だと。いやいや、
「違いますよ! あの家には侵入者などいなかったんです」
「は?」
「だから、いたんですよ! ユカリさんが古民家にやってきた時から!」
闇に潜み、ユカリさんを陰から見つめていた男が……。
「なるほどな。最初から家のどこかに男が潜んでいて、深夜に動き出していた。それがお前の推論か」
「そうですよ! だから私も二階を見たかったのに!」
私が強い剣幕でそう口にすると、探偵はソファに深く沈み込み、考え込むような仕草をしていた。
「まあ、それはともかく。痕跡からして謎の人物があの家にいたことは事実だ」
探偵は懐から何やら大仰な電子機器を取り出した。
「なんです、ソレ?」
「盗聴器発見器だ。古民家にいるとき、反応を探っていたがかなり強い反応が出ていた」
「は?」
そんな代物を持ち込んでいたのか。ていうか何故先にそれを話さない。
「とにかく、俺たちが家に踏み込んだことはその謎の人物に知られた可能性が高い。今はかなり警戒しているだろうな」
探偵は震えるユカリさんに近づくと、優しくポンと肩に手を置いた。
「今夜は家に戻らないほうがいい。ホテルかどこか安心できる宿にお泊まりになってください」
「……今、持ち合わせが無いんです」
「お金は家ですか? それなら……」
「今回の依頼料も、何とか工面してきた状態なので……もう余分に使えるお金が無いんです」
それを聞いた探偵は、大きくため息を吐いた。
「じゃあ暫く、この事務所で待っていてくださいますか?」
「……え?」
「アナタの依頼料は〝研修場所の提供〟ということで処理しますから」
研修場所? 何を言っているんだコイツは。
「おい行くぞ〝助手候補〟」
探偵は背広を羽織ると、事務所の入り口まで歩いていく。
「え? どこ行くんです?」
「決まってるだろう」
探偵は振り返らずに答えた。
「
多分、あの古民家に乗り込むのだろう。そう解釈した私は黙って探偵の後をついていく。
「あの女は相当、精神的に参っている」
例のオンボロセダン車に乗り込むなり、探偵はそんなことを口にした。
それに対し、私は呆れ顔だった。
「いやあ……そんなの、一目瞭然でしょ?」
探偵はチラリと私の顔を窺ったあと、衝撃的な発言をした。
「盗聴器の件な、アレは嘘だ」
うそ、ウソ、鷽……て、え? 嘘?
「……嘘?」
「ああ。職業柄、机に出した盗聴器探知機は本物だ。だが、あの家で反応は示して無かったよ」
「え……どういうことですか?」
探偵はエンジンをかけ、車を発車させた。直ぐさま車両は公道へと進出する。
「お前、二階に上がらなかったよな」
「は、はい」
「上がらなくて正解だ」
「正解って……何で?」
「あの家の二階な……実際、何があったと思う?」
勿体ぶるように話す探偵を見て、私の心はざわめいていた。
「……何があったんですか?」
「男がいた」
「は?」
「といっても、
「え?」
話を聞いてみれば、探偵がユカリさんと二階に上がった時、とてつもない死臭とともに、奥の部屋で遺体となった大男を発見したそうだ。
探偵が驚いてユカリさんに「この男はどうしたのか?」
と、尋ねると。
「え? 怖いこと言わないでくださいよ。この部屋には誰もいないじゃないですか」
との返答が返ってきたそうだ。
「え、え、こわい……どういうこと?」
意味が分からず恐怖していると、探偵は平然としたように続けた。
「知らん。ただ言えるとことは……あの女は頭のイカれた殺人者かもしれんということだ。今まで泳がしていたのは、妙な刺激を与えないためだ。覚えておけ、あの手の人間は話を合わせている間は妙に大人しいんだ」
「……そんな人を事務所に一人、残してきたんですか?」
私が聞くと、探偵は顎で車窓を指した。
意識を窓の外へと向けると……気づけば車は、事務所ビルに面接する道路を走っていた。
そして、辺りはパトカーと、警官だらけだった。赤色灯が所狭しとひしめき、目をチカチカさせる中。一人の交通整理をする警官が近づいてくる。
探偵はパワーウィンドウを下ろして対応していた。
「すみません、迂回してもらえます? 今ここは……」
「通報した深見です。そこの探偵事務所は自分の所有です」
「分かりました……確認しますので、車をそこに停めて待っていてもらえます」
交通整理の警官が離れていく。その隙に、私は探偵へ話しかけていた。
「通報していたんですか?」
「中華のテイクアウトついでにな。これから面倒な取り調べだ。今のうちに家族に遅くなると連絡しておけ。帰りは……不本意だが、送ってやるよ」
「……自転車に乗ってきたんですけど?」
「自転車くらい、後部座席に積めるよ」
探偵は車を停車させると、ポケットから紙タバコを取り出していた。
「俺の仕事はほとんどが浮気調査の依頼だ。俺も実際、そっち方面の技能しか無い」
「え?」
「お前、探偵をシャーロックホームズの真似事をする職業だと思ってねえか?」
……はっきり言って図星だ。今回も、推理できるのかと思ってわくわくしていた。
赤色灯でチカチカする横顔の探偵は、そんな私を少し軽蔑するような視線を向けていた。
「探偵ってのはな。本当は人間のえげつない側面を飽きもせず観察する悪趣味なお仕事だ。今回はまあ……俺もびっくらこくぐらいの特殊な案件だったがな」
探偵がタバコに火をつけた。それと同時に、空いていた左手で車の灰皿を開放させる。灰皿は空だった。
「タバコ吸うんですね」
かろうじて絞り出した言葉が、それだった。探偵は私に視線を向けずに、
「三つ目の不採用の理由を教えてやる」
そういえば……私が不採用の理由が三つあると言っていたな。
一つは、〝無駄な努力に時間を費やす人間だということ〟
二つ目は、〝通っている高校が絵に描いたようなBランクなこと〟
三つ目は途中で猫が乱入し、まだ聞いていなかった。
探偵は、私の目を射貫くようにしながら、
「ガキだから」
外が一層騒がしくなったと思えば。ビルの階段から、手錠をされたユカリさんが警官に抱えられ、パトカーへと連行されていた。
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