闇に潜む者 Chapter2
「粗茶ですが……」
私はコトっと、卓上にコーヒーを置いた。依頼人らしき女性は「ど、どうも……」とコーヒーを受け取って啜る。
探偵は髪を振り乱した状態のまま、依頼人とは対面のソファに鎮座して私を睨んでいた。
「……なんでお前、まだいるんだよ?」
「え? だって、まともな精神状態には見えませんでしたし」
そう言ってやると、探偵は大きくため息を吐いていた。
「俺にもコーヒー淹れてくれ」
何だコイツ。雇い主でもない癖に。
まあ……私の悪戯心のせいで、この探偵事務所の評判を地に落としかけていたのも事実だ。
誤解を解いた今となっては
「粗茶でーす☆」
「カジュアルに言うな。高級豆だぞ」
ああ、そうかい。そこらの女子高生に豆の違いなんてわかんないよ。
ス○バの限定品ならプロレベルでテイスティング可能だ。企業案件が来ないのが不思議なレベルでな。
私はコーヒーを置き終えると、お盆を抱えて探偵の背後に控えた。
なんだかこうしてると、本当に探偵の助手みたいだな。
「……おい、依頼人がいるから出て行けよ」
「まだ日当もらってないでーす☆」
私はまだ、探偵からネッコをどけてやった分の日当をもらっていない。
きゃぴっとピースしながら言うと、探偵はジトーっとした目を浮かべていた。
「カジュアルに言うな……分かった、別室で待ってろ。依頼人と話がついたら払ってやるから」
コイツ、頭は固そうだが約束はちゃんと守りそうな男だな。
マジで四万くれそうな雰囲気だ。まあ、お金をくれるなら命令に従わないわけでもない。
いや~それにしても探偵の面接だけで四万円か。儲かっちゃった☆
別室へとスキップしながら移動していると……。
「あの……その子もここにいてもらっても構いませんよ」
依頼人の女性がそんなことを言い出した。探偵は依頼人のその言葉に目を丸くしていた。
「……この子はここで雇用しているわけではないんですよ。さっき説明したように、面接に来ただけで無関係ですから」
探偵がそう説明する。すると、依頼人は何だか影を落としたように見えた。
うーむ、なんだろう?
〝ここにいてもらっても構いません〟というよりかは、〝ここに居てほしい〟というニュアンスな気がするな。
何の技能も無さそうな女子高生をここに残したい、その理由は何なのだろうか?
私は別室の扉を開こうと腕を伸ばして、その動きを止めた。
うーむ、どうしようかなあ……まあ、猫だけで四万円ってのもアレかな。あの女性が何を考えているのかも気になるし……。
そう考えた私はくるりと振り返り、探偵の座るソファへと近づいていた。
「おい、話を聞いてたのか。さっさと別室へ……」
「サービスってことで」
「は?」
「日当分の働きはしますよ」
私がそう口にすると、探偵は呆れたようにため息を吐きながら自分の隣を指した。
私はニヤリと笑いながら、コーヒーメーカーの横に用意していた私分の〝粗茶〟を持って探偵の隣へと鎮座する。
「どっこいしょ」
「……おい、なに勝手にコーヒー淹れてやがる」
「粗茶ですが?」
「お前、ケンカ売ってんのか?」
「無事雇用されたんですから淹れてもいいでしょ。世界のグー○ルは社員食堂無料らしいですよ?」
「ここは探偵事務所だ」
「ケチくさいなあ……どうしてもって言うなら、四万の内から引いてあげてもいいですよ」
「……なあ、その件だけど、二万で勘弁してくれない?」
そんなやり取りを聞いていた女性の依頼人は、クスクスと笑い出した。
「ふふっ……何だかお二人、今日出会ったばかりとは思えませんね。息ぴったりですよ」
何だか微笑ましそうにしていた。
探偵は頭をガリガリと掻いて、何と言ったものか……という反応をしている。
「して、今回のご依頼は?」
私が依頼人に聞くと、探偵はその場でずっこけた。
「お前が仕切るなよ!」
「実は……」
探偵のツッコミが冴え渡る中、依頼人は話し始めた。
「幽霊って……信じますか?」
依頼人の開口一番はそれだった。
探偵の表情をチラリと窺えば、分かりやすく苦笑を浮かべていた。受取り手によっては、嘲笑と言ってもいいかもしれない。
それを見た依頼人は傷ついた表情を見せる。
あちゃあ……コイツ、開幕からやらかしてんな。こういう話ってのは大抵が前置きで、本題は別にあるのだ。それにお客様なんだから、過剰に反応をしてやればいいのに。
「私は信じますよ! 友達の中でも見たって子がいますから!」
テンション高めにフォローすると、女性は顔を輝かした。代わりに探偵には睨まれた。
「じ、実は……私、叔母が管理している古民家を借りて今生活しているんですが……」
依頼人、樋口ユカリ。二十才。大学二年生。彼氏無し。
先月実家から引っ越し、大学近くの知人の古民家を借りて、一人暮らしを始めたらしい。
古民家は豪勢なことに一軒家。
最初は口うるさい両親もいなく、気楽で良いと順風満帆な生活を送っていたらしいのだが……。
「その家……出るんです」
深夜になると、二階の至る所からギシギシと音がするらしいのだ。
最初は家が古いから軋んでいるだけだと思っていたらしいのだが……ある日、その音がただの軋みではないことが分かってしまった。
「一階で眠っていると……誰かが階段を降りる音がしたんです」
それは確かに人の足音だったらしい。あまりの恐怖にユカリさんは布団の中で硬直し、キツく目を瞑っていた。
どれだけ時間が過ぎ去っただろうか。音が消え、ゆっくりと目を明けると。
「磨りガラス越しに……大柄の男の人が立っていたんです。笑いながら、こっちを見ていました」
「こわッ!」
思わず私は叫んでいた。
友達から聞かされた話なら、話を盛ってるのかなとか思いながら聞くけど……こうやってお金を払ってどうにかしてくれと来た人の話ならば、本当なのだろうと思ってしまう。
対照的に探偵はポリポリと興味なさそうに頭を掻いていた。
「それで、どうなったんです?」
「それでふっと意識が遠のいて。気づいたら……朝でした」
ああ、そのパターンね。フッと意識が遠のいて、気づいたら朝。
あるある~……ていうかそのオチってさあ、いっつも思うけどさあ……。
「夢だったんじゃ……」
探偵が私の気持ちを代弁するようにそう口にすると、ユカリさんは携帯を取り出し、見えやすいように画面を向けてきた。
「二階には上がってないんですけど……見てください」
そこには分かりやすく足跡が残っていた。
物的証拠があるんかい。それなら話は別だ。
探偵もそれを見て、顔をしかめていた。
「ふむ……見た感じ成人男性の足跡っぽいですね。空き巣の線は?」
「鍵が開けられた形式はありませんでした。それに、物も盗られていませんでしたし……」
「合鍵を持っていた不法侵入者の可能性もあります。警察に行ったほうがいい」
ぐう正論だ。確かにこれは探偵でなく、即座に警察に相談する案件だろう。
だが、それを聞いたユカリさんは極端に影を落とした。
「警察には……行けないんです」
「……何故ですか?」
「古民家は……無理言って私が叔母から借りたものですから。警察沙汰にして迷惑をかけたくないんです」
「何か事件が起こった時のほうが迷惑をかけると思いますけど?」
「幽霊のほうが……私にとって都合がいいんです」
「は?」
「幽霊なら、私が怖いってだけで済みますから」
私と探偵は顔を見合わせた。
表情から察するに、どうやら彼は私と同じ気持ちのようだ。
「まあ仮に幽霊だとして、アナタは何でウチに依頼しに来たんです?」
そう、それだ。幽霊なら幽霊で構わないが、何故それを探偵事務所に話しを持って来たのか?
暫く間を空けた依頼者は、ポツリと行った風に口を開いた。
「霊能力者……」
「ん?」
「腕の良い霊能力者を探し出して欲しいんです。実際に成果をあげていて、口コミも良い、本物っぽい……霊能力者を」
その言葉には、私も探偵も呆気にとられていた。
「……どういう理由で?」
「知り合いの紹介する霊能力者は全員詐欺っぽい人たちばかりなんです。私知ってるんです……だから」
良く分からないが、何だか彼女は正常な判断が出来ないくらいには相当参ってしまってる様子だった。
それを見た探偵は、思案に耽るように腕組みをしている。
「とりあえず、その古民家ってのに行ってみません?」
私が提案すると、探偵とユカリさん双方から視線を浴びた。
「ほら、『事件は探偵事務所で起きるんじゃなくて、現場で起きる』って有名な——」
「だから、お前が仕切るなっての」
探偵はそんな愚痴を吐きながら立ち上がっていた。
その様子に私とユカリさんが目を丸くしていると——。
「何やってるんだ。ホラ、行くぞ」
探偵は車のキーを見せながらそう口にした。なんだ、結局行くのかい。
どうやらこの男はツンをワンクッション挟まなければ会話不能のようだ。
探偵事務所のあるビルから徒歩五分。
「この車です。どうぞ」
探偵の車は……なんだか、セダン系の凄い古い車だった。
男が好きそうな外観で、全く萌えない、キュートさの欠片もない車だ。
探偵は依頼人のために後部座席を開けていた。
「どっこらせい」
私が助手席に乗り込むと、運転席の探偵は目を丸くしていた。
「お前は本当に……いつまでついてくるんだ?」
「え? 日当分って言ったじゃないすか」
「だから、それはいつまでだよ?」
「何言ってんの? 日当四万だから、四日間でしょ」
「四日もお前みたいのにまとわりつかれるのかよ……」
「まあ、今回で四日分の働きをすれば、〝お咎めなし〟ですよね」
「日本語間違ってるぞ」
そんな会話をしながら車を発進する。その間、ユカリさんはクスクスと笑っていた。
本来、ユカリさんはこんな感じで笑う人なのだろう。
だが、探偵事務所にやってきたばかりの時は、張り詰めたような暗い印象だった。
彼女の、本来の笑顔を取り戻してあげたい……そんな主人公的思想を発露させていると。
「あっ」
探偵が間抜けな声を上げると同時に、車がエンストした。
「ここです……」
車を走らせること数十分。古民家は意外と探偵事務の近くに位置していた。
「わあ、素敵ですねえ」
外観はまさに古民家って感じだ。住むには申し分ないだろう。
駐車場はないので路肩に車を停め、早速家にお邪魔することに。
「あっ……ちょっと待ってください」
玄関に入るなり、ユカリさんは抱えていた外出用のハンドバッグから、スリッパを取り出してきた。
バッグからスリッパ……?
良く確認してみれば、それはちょっと良いお店で出されるような使い捨ての紙スリッパだった。
視線を靴棚に向ければ、他に来客用のスリッパが沢山棚に並べてある。
「なにしてる?」
探偵はさして、気にも留めていないようだった。
「いえ、別に」
まあ、身内以外を家に入れるときは普段使いのスリッパを使われるのは嫌なのかもしれない。
とりあえずユカリさんに誘導されて中へと足を踏み入れた。
玄関を入ると、まず目につくのは二階へと続く階段だ。その横には廊下が広がっており、各部屋へと通じていた。
「寝ている時、男から視線を受けたのはどの部屋です?」
探偵が聞くと、ユカリさんは若干緊張したように客間とキッチンダイニングに挟まれた部屋、リビング兼寝室へと案内してくれた。
リビング兼寝室に入ると、ぶわっと女の子らしい匂いがして、クラクラとしてしまった。
内装も凝っていて、各所にぬいぐるみが設置されてあり、かわいらしくリノベーションしてあった。
私の部屋とは大違いだ。以前、友人を招き入れた時は「おばあちゃんの家の匂いがする」と言われ、愕然としたものだ。
「このベッドで寝ているとき、磨りガラスに大男の影が……」
言われ、件の磨りガラスの引き戸を見てみた。
確かに夜中に目が覚めて、ここに人影が映っていたら怖いだろうな。
「どれくらいの身長ですか?」
探偵は実際に磨りガラス越しに立ってみる。
ユカリさんはじーっとそれを眺めた後……。
「……もっと、背が大きかったです」
ひえ……この探偵でさえ身長百八十はありそうなのに……もっとデカイ?
私が人知れず恐れをなしている中、何だかユカリさんがもじもじしているのに気がついた。
なんだ、催したのだろうか?
「トイレなら気にせず行ってきていいですよ?」
小声で耳打ちすると、ユカリさんは顔を赤くさせた。
「い、いえ……違うんです」
「え? 本当に?」
「は、はい」
どうやら、本当に違うようだ。じゃあ、なんでもじもじしているのだろうか?
それを考えていると——ピキーンッと私の脳内にとある閃きがもたらされた。
……なるほど、これらをつなぎあわせると、何だか結論が見えてきたかもしれない。
「他の部屋を見てもいいですか?」
探偵の言葉で我に返る。見れば、ユカリさんは「はい」と頷いていた。
探偵が白手袋をつける。捜査とかで使うやつだ。不覚にも手袋をつける様子はサマになっていて、ちょっとグッときてしまった。
「私の分あります?」
聞くと、無視された。多分、無いのだろうな。
私達はそれからリビングダイニングや部屋干しに使っている客間、お風呂にトイレを人通り見てまわった。
特に変わった様子は無かった。探偵はガサゴソ物色した後に、
「二階に上がっても?」
そう口にした。
「はい……二階は普段使ってないし、何もありませんが……見ていただけるなら」
どうやら今から二階を見て回るようだ。
アクションを起こすならば、今しかタイミングは無いか。
「うぐ!」
私はあからさまにお腹を抑えた。探偵は呆れ顔で私を見やる。
「……どうした?」
「お、お腹が痛い! 多分、探偵事務所で飲んだ粗茶が原因だ!」
私がそう口にすると、ユカリさんはあわあわしていた。
「と、トイレ使っていいので」
「いいんですか!」
「え、ええ。構いませんよ」
「本当にいいんですか!?」
「うるせえな! 早く行け!」
探偵にせかされ、私はトイレへと駆け込む。暫くすると、二人が二階にあがっていく気配がした。
その隙に私はトイレからこっそり抜け出て、お風呂場の脱衣所を漁ってみる。
私の考えが正しければ……ここに〝アレ〟があるはずだ。
ふと、戸棚を開けた時、使用した形跡のある〝薬品〟を発見し、私はとある仮説を導き出していた。
「そうか……なるほど」
一人納得していると、階段から人が降りてくる気配があった。
え、もう二階を見てまわった? 早すぎない?
私は急いでトイレに戻り、水を流した音をさせる。
「ふいー……ヘブンズゲートが開いたナリ」
何食わぬ顔でトイレから出てくると、神妙な顔を浮かべた探偵が私を呼びに来た。
「……帰るぞ」
「え? 私はまだ二階を見てませんよ?」
「何もなかった」
「いやいや……」
私がごねようとした時。探偵にもの凄い強い力で腕を掴まれた。
「早くしろ」
「はい」
凄い迫力だった。アイアンハートのマコトと呼ばれる私が、ちょっとビビってしまった程だ。
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