後編
「にしたって、どうしたらいいんだ、これ」
俺は一瞬で元通りにすることができたこけしを、ちょうどあの後やってきた常連客に返した後、何時間も眺めでは腕組みをしていた。さっさと学校に行ってしまった少女も、今頃お昼ご飯を食べているのだろう。こんなもののために早い時間に弁当をこさえさせられた少女の母には同情するが、同時に羨ましくも思ってしまうのはこの年になってからだ。
「とりあえず、一旦店閉めるか」
早くから店を開けたのに、結局は辞めた時間と同じぐらい店を空けなければならないなんて。もう少し徳を積んでおくべきだった。
*****
「こんにちは。どうなさいましたか?」
俺は自転車を飛ばし、下町の中心にある駅の近くの銀行を訪れていた。昼時だったこともあり、待ち時間なしで受付に通してもらえたのはよかった。
「あの、この紙幣を直していただきたいのですが」
「かしこまりました。ではこちらにお願いします」
受付の人が差し出したトレーの上に、俺は封筒ごと紙幣を置いた。
「少々お待ちください」
そう奥の方に持っていった受付の人が返ってきたときには、トレーの上には新しい一万円札が乗せられていた。しかも、新紙幣の新札だった。
「全て確認できましたので、こちらに交換いたします」
仕事としては思っている何倍もスムーズに持ってきてもらえて助かるのだが、生憎今日の要求はそれではない。
「あ、あの、さっきの紙幣を直してもらいたいんですけど」
「はい。ですからここに……ん、直す?」
俺は自分の身分、今朝の少女の要求、そして無理を言っていることを伝えた。
「なるほど……」
「修理屋をやっている性分、無理難題なのはわかっているんですけど、どうにもそのお嬢さんが引いてくれなくて」
「……結論から申し上げると、基本的に切断されたり破損したりした紙幣はそのまま使うことはできません。そして記番号が同じ紙幣は、基本的にピンポイントに新しいものを入手することは不可能です」
「で、ですよね……」
役所口調での説明も、今は苛立ちを覚えることなくすっと耳に入ってきた。それはある意味同情に近いのかもしれない。
「その、どうしたら丸く収まりそうですかね。俺……私としても、新しいものに交換して渡してあげるのが一番丸いと思うんですけど」
「うーん……流石にそれ以外は考えにくいですね」
「ですよね……」
結局ここに来た意味もなかった。早起きの三文の徳はどこへ行ったのやら。
「すみません、ありがとうございます。流石にお年玉が切り刻まれてもどうにもならないというのが結論に変わりなかったです。お手数おかけしました」
そう言って離れようとした矢先、思わぬ人に遭遇することになった。
「……あの、もしかしてそれって、おさげの中学生が持ってきた物だったりしますか?」
「そうですけど……え、まさか」
「多分うちの娘です。申し訳ございません……」
赤みがかったウェーブのロングヘア―を前に垂らし、謝罪の言葉を述べる目の前の女性と今朝の田舎娘は似ても似つかないが、どうやら本当のようだった。
*****
銀行の方のご厚意で、一部屋を貸してもらって話をさせてもらえることになり、俺は奥の方に腰掛けて事情を説明した。なぜか出されたお茶を一口飲んで喉を潤していると、向かいに座った少女の母は再びつむじをこちらに見せた。
「それはそれは、大変申し訳ございませんでした」
「いえいえ、大丈夫ですよ。まだ子どもですので、そういうことはありますから。地域の子どもたちにも、それなりに失礼な扱いは受け慣れていますから」
「本当にすみません……」
こうやって頭を下げられ続けると、今朝の苛立ちは他の人の感情だったように感じる。しかし、こちらも一つの商売として、スペシャリストとしてやらなければならない話がある。
「まず結論から申し上げると、やはり元通りにして帰してあげることはほぼ不可能に近いです。ちなみに、娘さんはそのお金を使って何か買いたいものがあったりとか、何か用途が決まっていたりしますか?」
「それは……アクセサリーが欲しいとは言っていましたけど、お年玉で買うものではないですし、毎年基本的には貯蓄していましたから」
「まあ、そうですよね……」
何か他のものに引き換えて帰す方法はだめだ。となると……。
「病気で入院している私の母からのお年玉で、今年であげられるのも最後になるかもしれなくて、それを私が子どものいないところで話していたつもりだったんですけど、どうやら聞かれてしまっていたみたいで……」
「……そうですか。私もおばあちゃんっ子だったので、とても気持ちはわかります。」
どうやら少女は幼いながらも、少し大人に近づいているようだった。
自分が最後に祖父母にお年玉をもらえた時のことを思い出す。大人になってからもなぜか毎年二人別々で渡してくれていたが、特に何も考えずに使っていたように思われる。それは他でもない、祖父母の願いだったから。最後もきっとそうだろう。
―――修理屋は、無事に帰してあげる場所だよ。
ふと、幼いころの記憶を思い出す。
大切にしていたぬいぐるみを修理してもらっている時、偶然起こった地震で置いていた修理中のそれがタンスの下敷きになってしまったことがあった。開いていたこともあり、タンスの下から引っ張り出した時にはかなりグロテスクな有様になっていた。
当時母が、もう大丈夫です、と祖父をそれから引っぺがして全く同じぬいぐるみを新しく買おうとしていたところ、滅多に怒らない祖父が母を一喝した。
―――修理屋は病院と同じ。どんなものでも無事に家に帰してあげるのが仕事だ。新しいものを買ってしまえばそれでおしまい。君は同じ犬種なら愛犬じゃなくてもいいのか!
今考えてみれば、修理屋のアイデンティティを守るための言葉だったのではないかとも思うが、それでも守り続けたアイデンティティは地域の人々に愛されていた。
俺はそれを継ごうとしていた。その思いも元に、元通りに帰してあげることを仕事としているはずだった。そのスペシャリストのはずだった。
「……娘さんに、今日学校から帰ったら、うちに寄るよう伝えていただけますか」
「えっ?」
「私に考えがあります。任せてください」
俺は名刺を渡し、銀行の方々にお礼を述べてからある場所に自転車を飛ばした。
*****
「すみませーん」
「はいはい」
これまた昨日持ち込まれた、裾がほつれたセーターを縫い直していると、久しぶりに感じる声が聞こえた。
「あ、今朝はごめんなさい」
少し軽めの謝罪を最初に挟むあたり、どうやらこっぴどく叱られたようだ。
「いや、大丈夫ですよ」
「放課後に来るよう母に言われてきたのですが」
「うん、はい」
俺は少女に、一つの額縁を渡す。
「……これは?」
「これが、うちができる修理です」
額縁の中には、針でがところどころに刺さった、『紙幣の標本』が入っている。いろいろな店を駆け回り、必要なものを集めて一時間ほど前に完成させた。隣には小さな小窓があり、そこには後で少女の母に、祖母からの手紙を入れてもらうよう、少女に書いてもらった書類に記載されていた固定電話を通じて依頼している。
「君はこれを使うつもりはない。でも元通りのまま残しておきたい、そう思っていますよね。私は、君にこのお年玉を、一見無事に見える形で持って帰ってもらうべく、色々施しをしました」
「……」
少女はずっと驚いた様子で、隅々まで額縁を見ている。何も書かれていない裏のコルクボードまで見ていることから、よっぽど興味が湧いているようだった。
「どうですか?」
「……ありがとうございます」
少女は目に光るものを浮かべながら、カウンターの上に別の封筒を乗せた。
「え、まさか、またやったんですか?」
「……違います」
少女の返答とほぼ同時に封筒の中身を取り出すと、中にはきれいな一万円札が入っていた。
「今回のお題です」
「……お題は結構です」
「え?」
俺は封筒にそれを戻し、カウンター越しに返却する。
「あくまで今回は、修復したように見せかけただけです。うちなりの修理ではありますが、世間一般のそれではありません。ですから、今回はお題はいただかなくて結構です」
「それは困ります!」
「渡して帰ったとしても、書類にある住所に送り返しますよ?」
「ぐぬぬ…………わかりました」
少女は少し考え込む素振りを見せたが、結局諦めたようだった。
「ありがとうございました。また来ます」
俺は複雑な気持ちで少女を見送った。
実のところ、少女が書いた書類はその母に電話をした時点で既に処分してしまっている。今朝の強情が今も残っていれば、俺はなすすべがなかっただろう。
それだけ、この一日で彼女も成長したということのなのだろう。
「すみませーん。この本を修理していただきたくて」
落ち着こうと座布団に腰を下ろしたところ、若い男性の声が店の方から聞こえた。
「……はいはーい!」
うちはなんでも修理屋。
持ち込まれたものを無事に帰してあげる場所だ。
なんでも修理屋の奇妙な一日 時津彼方 @g2-kurupan
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