なんでも修理屋の奇妙な一日

時津彼方

前編

「帰ってくれ」


「でも、どうしてもこれを直して欲しいんです!」


「全く……」


 下町からさらに外れた、サビれた商店街の端にある薄暗い店内に入るや否や、無理難題をわめく少女が現れたのは、なんでもない日の朝七時だった。



*****



 数か月前、職場が倒産したかなんだかで特に何も持たされず無職になった俺は、気まぐれで祖父の営んでいた修理屋を継いだ。

 祖父はすごい人だった。ボケてホームのお世話になるまでは『ゴッドハンド』と呼ばれ、とにかく家電やらおもちゃやら、割れた花瓶まできれいさっぱり元の状態に戻してしまうものだから、昔は客足が後を絶たなかったそうだ。

 かくいう俺も、祖父に壊れたおもちゃを修理してもらっていた常連客の一人だった。うちの近くに友達を呼ぶ口実として紹介し、いい宣伝になると頭をわしゃわしゃされていたのは、もう数十年前の話だ。


「ゴッドハンドの再来たぁ嬉しいこった!」


「あんたのおじいさんに直してもらいたいものをため込んでたんだ。金は払うから直してくれないかい?」


「おじさんすごーい!」


 遺伝子が良かったのか幼い頃に絵を描いていたことが良かったのか、俺は祖父ほどではなかったものの人一倍器用だった。それに、今のご時世はネットがある。必要な道具や修理の方法は概ね調べたら手に入ったため、時間は少しかかるものの大体の物は修理することができた。流石に割れた花瓶は無理だが。

 祖父を知るシルバー世代の口コミの効果もあって、瞬く間にうちの存在は町中に知れ渡ることとなった。


「ありがとうね。おじいさんは多分、もうわからないだろうけど、助かるよ」


 祖母がにこやかにこの世を去るまでに、店の活気を昔に近付けることができたのはよかった。



*****



 そんなある日、俺は夜通しなかなか寝付くことができなかったため、普段は九時に空けている店を気まぐれに七時に開けてみることにした。何の告知もせずに開けたから客が来るはずはないと思っていたが、早起きは三文の徳ともいうし、何かしらいいことが起こることを願っていたのかもしれない。


「まあ、暇だな」


 うちの店は昔ながらの構造になっており、生活空間と店のカウンターがつながっている。古ぼけた和室の真ん中にちゃぶ台、壁際に異質な液晶テレビが置かれ、座布団に座りながら作業をする俺は時折、キッチンのあるスペースとは反対側の、吹き抜けの軒先に客が来ていないかを確認していた。この時間はみな朝ごはんを食べているだろうし、暇を持て余してここにやってくるのは、昼夜二食しか食べない俺ぐらいだろうと思っていた。


 しかし、珍客がやってきたのはその時だった。


「すみません」


「ん? あー、はいはい」


 朝の情報番組を見ながら、昨日持ってこられた首の取れたこけしをいじっていると、店の方から声が掛けられた。


「どうしました?」


「あの、直して欲しいものがあるんですけど」


 そうまっすぐな目でこちらを見ているのは、一回り程年下のように見える、今どき珍しいセーラー服のおさげの子だった。制服を見る限り、この近辺の中高には通っていないようだ。


「わかりました。ちょっと見せてください」


「……え?」


「ん?」


 修理してほしいものを見せるよう伝えたところ、なぜか少女は合点がいかない顔をしていた。


「あの……え?」


 困ったように首をかしげる少女より、俺の方が困惑していた。


「どうしました? もしかして大きいものですか? ここに持ってこられないほどの」


「いえいえ、違います。それより、本当に直してもらえるんですか?」


「いや、ものを見せてもらわないことには何とも……」


「……わかりました」


 なぜか不服そうに少女はポケットから一枚の封筒を取り出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 俺はそれを受け取り、糊付けされていない口を開ける。


「……ん?」


 中には紙幣が一枚入っていた。最近は新札が発行されたとかいう話があるが、うちの町にはまだ入ってきていないようで、今渡されたものも某大学教授の顔がだった。

 ただ、封筒の中の紙幣ものは、いくつにも切り刻まれているようだった。


「あの、これで代金を支払うとかではなくて……?」


「それを直して欲しいんです」


「……」


 朝から来た珍客の修理してほしいものは、なんと切り刻まれた紙幣だったのだ。

 この日本では通貨を意図的に壊すことは犯罪であるためさすがに偶然切れてしまったのだろう。大体想像がつく。時期も時期だし、きっとお年玉を開ける時にどうにかなってしまったのだろう。

 でも、紙幣に関しては銀行に持っていけば新しいものと交換してもらえるはずだ。少なくとも記番号はわかるようになっているし、紙幣の大半が今ここにある。


「お嬢さん、実は紙幣は銀行に持っていくと」


「新しいものと交換してもらえるんですよね」


「……そうですが、よくご存じで」


 少女は一切ブレない目線をこちらに向け続けている。確かに見た目は聡明そうだ。丸眼鏡の奥にある目の下には年不相応のくまがあるし、きっと勉強家なのだろう。

 ただ、ではなぜ少女はここに持ってきたのだろう。


「でしたら銀行に持っていってください。ここでは直せません」


「それは嫌です」


(なんでだ……)


「直してください! お願いします!」


 少女は頭を下げ、大きな声を出す。ふと目線を外すと奥の方で顔見知りの常連たちが怪訝そうな目でこちらを見ているのが見えた。


「ちょっとお嬢さん、朝早くからあまり大声を出さないでもらっていいですか」


「私は引きません!」


 困ったことに、少女はとんだ世間知らずものらしい。先ほどまでの真面目なイメージが、だんだん頑固者のそれに変わっていく。


「……帰ってくれ」


「え?」


 顔を上げた少女に対して、俺は改めて静かに物申す。


「帰ってくれ。うちではそれは直せない」


「でも、『なんでも修理屋』って看板に書いてるじゃないですか! なんでも直せるんですよね?」


「法に触れるものは、仮に修理できたとしてもしない」


「じゃあ、インチキってことですか?」


「なんだと!?」


 子ども相手に思わず声を荒げてしまったが、その奥に人だかりが出来つつあるのに気づき、俺は軽く咳ばらいをして一つ呼吸を取る。


「帰ってくれ。無理なものは無理なんだ」


「でも、どうしてもこれを直して欲しいんです!」


「全く……」


 そうは言われても、流石に祖父もこれは直せないだろう。いくら神の手を持っていても、法を侵せば罰せられるのが日本という国だ。


「じゃあこうしよう。私がそれを一旦預かり、君が学校に行っている間に」


「それはやめてください。記番号は既にメモしてあります。誤魔化したら訴えます」


「訴えるって……」


 あまりにも世間知らずすぎる少女に、俺は頭を抱えるほかなかった。たかが一万円のために訴える金があるなら、それを頼りにすればいいものを。


「……じゃあ。どうして欲しいんだ。修理と一口に言っても、色々方法がある」


「例えば?」


「例えばって、そりゃあ継ぎぎとかパーツ交換とか」


「じゃあ継ぎ接ぎで」


「だからそれは犯罪なんだって、全く……」


 もはや敬語がすっかり抜けてしまっていることに気づいたが、こんな珍客に敬いを持たなくてもいいだろう。


「はぁ……もうすぐ電車の時間になるんです。お母さんに無理言って、いつもより早い時間にお弁当を作ってもらったのに」


 目の前の相手にもっと無理なことを言っていることに気づいていないのだろうか。


「……これはお年玉?」


 作戦変更だ。話を聞いてあげて冷静になれば、きっと帰ってくれるだろう。


「そうですけど」


(そうなんだ……)


「開けるときに切っちゃって」


 あまりにも予想通りのシナリオ過ぎて、逆に面白くなってしまう。


「で、直してもらえますか?」


(図々しいな……)


 この手の人間と接するのは、それこそ会社で働いていた時以来だ。こういう時は、一度相手の要求をのむことが重要だったはず。


「……はい、検討してみます。では、こちらの書類にいくつか記入してもらいます」


「え、これ書かないといけないんですか?」


「代金は修理してからもらってますが、逃げられると厄介なことになってしまうので。特にお嬢さんはこの店に来るのは初ですよね?」


「そう……ですけど」


「うちの常連の人も、この紙は書いてもらっています」


「……わかりました」


 田舎娘は不服そうに書類を埋め、こちらに渡した。


「数日はかかりますが、修理の目途が立ったらまた連絡させてもらいます」


「わかりました。絶対に直してくださいね!」


 店を出る前も念押しに要求する少女がいなくなってから、俺はようやく大きなため息を吐いた。

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