第17章:狂乱のライブセッション

管理室の中央で点滅を繰り返すモニターたちが、まるで不気味な舞台照明のように三人を照らしていた。

宝生ルカは片膝を床につけたまま、息を荒らげている。

高坂宏太は肩口の傷を押さえ、そこから滲む血の痛みに顔をしかめた。

高麗杏奈は時計を横目で睨みながら、断続的にこみ上げてくる歌の衝動を必死に飲み込んでいる。

ここはもう完全に“戦場”の様相を呈していた。


 青木幸子が倒れたまま動かない。

やり場のない罪悪感と虚脱感が、三人の肌をじりじりと焼いている。

けれど、主催者が設定した“最後の一人”にならなければ外へ出られない。

血塗れの施設に残るのは自分たち、わずか三人だけ。

いつ裏切りが再燃してもおかしくない。そんな刺々しい空気が張りついていた。


 宝生ルカは震える声で、しかし鋭い視線を張り巡らせながら言う。


「……ここをどうにか制御できれば、この悪夢を終わらせられるのに。パスワードもわからないし……」 


彼女はナイフを手にしながら、キーボードのパスワード入力画面を睨みつける。

管理室にある機材が動けば、一連の監視システムや罠を止められるのではないか――そんな期待を捨てきれない。


 一方で高坂宏太は、その横で影を集中しようとしていた。

ほんの一秒だけ動かせる影。この管理室の装置に干渉できれば何かが変わるのではと、一縷の望みを抱いたのだ。

彼は痛む身体を無理やり起こしながら、床に伸びる自分の影に視線を落とす。


「頼む……一瞬だけ、パネルの奥に届いてくれ……」 


そう念じて影をうごめかせる。黒い影が細くねじれるように伸び、制御盤の隙間へと潜り込んだ。

だがレバーやスイッチを操作するほどの“力”はない。ただブラックボックスをかき回すだけの行為に過ぎず、機械の奥でカチリとも動かない。


 高麗杏奈は「……ラ……ラララ……」と喉を震わせながら、焦燥と戦っていた。

同じ時間に無意味な歌を歌い出してしまう能力が発動しようとしている。

先ほどまで何とか抑え込んでいたが、もう猶予はないらしい。


「……私、抑えられない……また、大声で歌が……!」 


叫ぶでもなく、うわ言のように息を切らす杏奈に、ルカが神経質に反応する。


「ちょっと待って……こんな密室で大声を上げられたら、私たちお互い何しでかすか分からないじゃない……!」 


足を引きずりながら後ずさるルカ。

もし真横で杏奈が絶叫すれば、自分のジャンプ音と混じってさらなる混乱を巻き起こすのは目に見えている。

想像するだけで耳が痛い。


 すると、宏太の影がとうとう床に戻り、虚しく形を取り戻す。


「だめだ……影じゃどうにもならない。ごめん、ルカ、杏奈さん……何もできなくて……」 


肩を落とす宏太に、ルカはかぶりを振りながら唇を噛んだ。

彼が無意味なわけではない。

少なくとも、さっきまで森下海人を食い止めていたのは宏太の影操作も大きい。

しかし、今この管理室の“核心”には届かない。


 苛立ちが張りつめた空気を生む中、高麗杏奈の時計の針が音もなく到達する。

その瞬間、彼女の喉から爆発的な歌声がほとばしった。


「ラララァッタッタ……ポケサラリィーラ……!」 


無意味な単語の連鎖が高音で弾け、管理室の薄暗い空間を頭痛のように締めつける。宝生ルカは耳を押さえ、高坂宏太はよろめき、装置にぶつかってしまう。

金属的な衝撃音が追い討ちをかけるようにこだまする。


 そのとき、モニターが軽くショートしたのか、パネルが火花を散らし、青い閃光が走った。

絶叫に近い杏奈の歌と、火花のノイズに動揺したルカは思わず跳んでしまう。

そして怒涛のようなサックスソロが管理室を席巻する。


「うるさいっ……!」 


ルカ自身が耐え切れずに叫ぶが、悲劇的なことにジャンプの着地音はさらに大音量のギター音まで混在させる。

まるでライブハウスにいるかのごとき大音響が殺し合いの跡地を狂気へと誘う。

声と音が混ざり合い、鼓膜を破壊しそうな衝撃波が管理室を揺らした。


 その波動で、誰かが感情の限界を超えた。

高坂宏太だった。

無力感と耳鳴り、痛みに苛まれ、「もうたくさんだ……!」と叫んでコンソールを手で殴りつける。


「こんな音ばかり鳴って……頭がおかしくなる……!」 


杏奈の歌も止めようがない。

ルカの足音も制御不能。

誰も彼を助けられないまま、宏太は乱れた呼吸で振り返り、激しく苛立った目を高麗杏奈に向けた。


「杏奈さん、その歌……やめてくれ……!」 


そう吐き捨てても、杏奈にはどうすることもできない。

彼女だって止めたくて止められない能力だ。

彼女は涙目のまま、しかし大声を発し続ける。

さながら狂乱のソロパートだ。


 宝生ルカが必死に耳をふさいでも、痛みがこみ上げるだけ。

火花を散らすモニターたちの不気味な照明と、飽和する音の洪水。

それが、宏太の心をさらに蝕んでいく。


「もう……もう黙れって言ってるんだ……!」 


背後に落ちていたナイフを手に取り、思わず杏奈に詰め寄る宏太。

ルカは止めようとするが、彼は影操作で一瞬だけ彼女の動きを遠ざけ、杏奈の足元へ一気に駆け寄った。

杏奈は大音声のうねりから抜け出せず、全身が震える。

そこに振り下ろされる刃――見ればルカが「やめて!」と叫んで跳んでくるが、咄嗟に奏でられるギターリフの衝撃に宏太は耐えてしまう。


 そして、ナイフが杏奈の脇腹を深く裂いた。

衝撃に歌が途切れ、張りつめた空気がドッと崩れ落ちる。

大声を詰まらせた杏奈はカクンと崩れ落ち、時計を握りしめたまま目を見開く。

血がじわりと服を染め、地面に滴り落ちる。


「しまった……」 


宏太の表情が一瞬恐怖で歪む。

衝動に任せた攻撃で、杏奈を深く刺してしまった。

静まり返った室内に響くのは、彼女が苦しげに噎せる音だけだ。 

駆け寄る宝生ルカも、何をどうすればいいのか分からない。

傷はあまりに深そうだった。

杏奈は口を開こうとするが、血の泡を吐きそうになりながら焦点が揺れている。

あの無意味な歌をずっと抱えていた彼女が、今度は声すら出せなくなるほど、致命的に負傷したのだ。


「ごめん……ごめん、そんなつもりじゃ……!」 


焦る宏太がそう言っても、遅い。

杏奈は息を切らし、ほとんど力が入らない手で時計を握りしめたまま、微かに唇を震わせる。


「……ああ……もう……歌わなくて……すむ、ね……」 


何とも皮肉な言葉が血の泡にまぎれて聞こえ、杏奈の瞳は最後に宙を映して閉じていった。

元々気ままに歌うのが好きな性格だったのか、それともこの能力がただの呪いだったのか――どちらにせよ、最後はこの管理室で儚く命を失った。


 高麗杏奈、脱落。

その身体が倒れ、もう動かない。

生き残るのは二人、宝生ルカと高坂宏太だけ。

耳を壊しそうな大音響は止まり、むしろ寒々しいほどの静寂が管理室を支配した。 宏太はナイフを取り落とし、愕然と息を飲む。

自分がやった。

耐えられない喧騒を止めたい一心が、ついに仲間を殺める凶行に走らせたのだ。

彼は泣き叫ぶような声で「違う……こんなはずじゃ……」と繰り返す。

ルカは、そんな宏太の姿に戦慄を覚えながら、血溜まりの中に沈む杏奈の亡骸を見下ろすしかなかった。


 高麗杏奈の死により、今や管理室に立つのは宝生ルカと高坂宏太の二人だけ。

死と絶望を回避したいと願いながらも、殺し合いのルールから逃れられず、痛ましい衝動が止められなかった結果がそこにある。 

無意味な歌声に縛られた少女が消え、無力な影と無意味な着地音を操る者たちが残る。

最後に生きるのはどちらなのか。あるいは二人ともが破滅へ落ちていくのか。

出口の見えない管理室で、モニターはまだ血塗れの場面を映し続けていた。

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