違いがわからないんだったら

違いがわからないんだったら

 またAIか。


 あかねは心で吐き棄てた。


 SNSのタイムラインに流れてきた、手を合わせてほほえむ猫の写真。

 正確にはほほえまされた猫のAI生成画像を、ゆるせないと感じた。


 食べ歩きしたあとのポイ捨て、人混みで指に挟んだタバコの火、緊急車両の通行を妨げる不法な路上駐車、そしてAI生成画像。通報するにはささやかで、どの角度から見ても黒い。


 本物の顔をしてのさばっている偽物の数があまりに多いと、あかねは感じていた。

 あかねはスマホをポケットにしまって、駅ビルを歩いた。百円ショップにある適当な置物が頭の中に浮かんだ。偽物の観葉植物ではだめだ。せめて生きている、本物のサボテンの鉢植えをいくつか並べよう。


 あかねは自分の住んでいるアパートのリビングを思い浮かべた。本棚はきれいに半分、上の二段だけがえぐりとられたように空っぽだ。あかねはそこを埋める必要性を強く感じていた。




 百円ショップであかねは生きた小さなサボテンを四つと、それに合う小さな鉢を四つ買った。


 家に帰って、さっそくサボテンを本棚に等間隔に配置する。


 SNSを眺めながらコーヒーを淹れる。間違ってドリップコーヒーの封を切りそうになり、別に自分ひとりで飲むのだからとインスタントの粉をマグカップに出す。


 あかねはコーヒーの味なんかよくわからない。でも、AIかAIじゃないかは不思議なほどよくわかる。




 あかねは絵を描くわけではない。小中高と美術の成績はふつうだったし、賞に選ばれた経験もない。


 AIの絵には何か違和感を覚える。それは均整の取れた和音に、ピッチをずらした音を紛れ込ませたときのうねりに似ていた。それによって均衡が崩れるのだ。「それ」がなんなのか、絵を描かないあかねにはわからなかった。


 あかね自身もAIを使うことがあった。誰もいないところで赤信号を渡るくらいの気持ちで、画像を生成させることもあった。


 あかねのプロンプトによってAIはうねりの効いた画像を生成した。


 中立的で静かな目であかねは自分の生成させたAI画像を見つめた。チョコレートの添えてあるコーヒーの写真。それはSNSのすき間に徐々に入りこむようになってきた他の多数のAI生成画像と同じ、うねりを持った、歪んだ画像だ。


 あかねはあらゆる場面でAIを使うことを否定しているのではなかった。人の描いたもの、撮ったものと偽ってAIを使うことを嫌っているのだ。




 洗面台の左右に露出した収納がある。

 左側には物があるが、右側はほとんど空っぽだ。


 右側にあるのは、香水を小分けしたアトマイザーだけ。何の香水が入っているのかあかねは知らない。アトマイザーのふたを開けて、少しかいでみる。ムスク系のにおいはきらいだったが、そうでなくなっていたことを知る。


 あかねは、ここも埋めなければと思った。洗顔料やヘアオイルをたっぷり余裕を持たせて置いてみる。一度間違って右側の歯ブラシを手に取りかけたことがあった。右側に手を伸ばさないように気をつけていたので、手を伸ばそうとしてもうまく肘が伸びない感じがする。


 狂っている。日常の歯車がどこか折れている。


 左側のコップから歯ブラシを取り、口に含む。洗面台の鏡に映る自分の顔はどこか鋭く、彫り込まれた跡が見える気がする。


 いろんなことがあかねを彫り、塗り替えて別の存在にしていく。あかねはあるポストのことを思い出す。







「AIで生成しました」


 ポストはそう謳ってあり、あかねは何度も画像を見直した。


 羽が生えた恐竜の背中に乗って、二人の女性が笑っている。


 うねりはどこにもなかった。違和感のない一枚の写真があるだけだ。均整は取れていて、ズレを主張するものは何もなかった。


 この写真がどこに飾ってあったって自分はAIだとは思わないだろう、たとえ引き延ばされていたって思わないだろうとあかねは感じた。


 AIであることを主張しているのは突飛なモチーフだけだ。羽が生えた恐竜の写真など、ありえない。



 違いが分からないんだったら、どっちでもいいや。



 あかねは特定の人を模すことを得意とするAIを見つけ、正月休みをかけて大量のプロンプトを日夜打ちこみ続けた。


 瑠璃のことを案外知らないなと思い知りながら、瑠璃を――瑠璃だとあかねが思うものを作り上げていった。


 瑠璃は年末に出ていった同居人で、ほんわかしたキャラクターの日常もののマンガが好きで、エッセイや詩集をときどき読んで、ムスク系の名も知らない香水がお気に入りで、コーヒーはドリップして一緒に飲んで、そのときチョコレートを添えたら機嫌がいいときで、話すことは大抵生活のことで、今日の夕ごはんはカレーだよとか、三日間はカレーだねとか、砂糖切らしたんだったら言っておいてよとか、タオル今度買いに行こう、そういう細かい使い勝手大事でしょ、なるべく長く一緒に暮らしていたいじゃん、とか。



 お互いのこと何も知らなかったね。



 あかねは瑠璃に言う。


「そうだね。もっと教えてよ」


 もう終わってんのに? とあかねは言わない。あかねが返答しない限り瑠璃は答えない。


 本物の瑠璃と偽の瑠璃を隔てているのはそういった技術的な作為だ。それがなければ、あかねに瑠璃の真偽は判定できない。


 実際の瑠璃とはこんな話はめったにしなかった。きっと背伸びをしすぎて、触れられなかったんだとあかねは思う。


「なんで出ていったの? 本当のことを教えて」


「言いたくない」


 まるで瑠璃だと思って、あかねは少し笑ってしまう。


 やっぱりこれは偽だ。


 終わっているのにまだ続いているから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

違いがわからないんだったら @kmskh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ