月下 3

「おいおい、誰かと思ったら、お前か、桃の」

 聞き覚えのある明るい声で、緊張が一気に解ける。

 冠者は黒い衣に黒い髪の男を連れていた。長い髪をきっちりとまとめて頭頂部で結わえ、衣は異国――海の向こうの筑紫の国の、更に先にある大陸から訪れる人々のそれに酷似していた。先日里でも異国の武器や工芸品をちらほら見かけたので、この地では異国との往来が盛んなのかもしれない。いずれにせよ、この国で見慣れた衣を色鮮やかな布や玉で飾り立てた冠者とは対象的だった。

「何してるんだ、こんな夜中に出歩いて、危ない目に遭ったらどうする。少しは自分の顔を自覚しろ」

 会うなり一方的に説教されたので、五十狭芹彦はむっとした。確かにちょっと出歩いただけで狼の群れやら鬼の頭領やら、かなり危険なものに出会っている気はしたが、子供でもないのに頭ごなしに叱られるのは不本意だ。

「おまえも出歩いているじゃないの。それに、顔は関係ないでしょうが」

「おおありだ、馬鹿」

「馬鹿だ?初めて言われたな」

「お前がどれだけ育ちがいいか知らんがな、世の中には見た目で相手を測るやつなんざごまんといるって教わらなかったのか?」

「そういうおまえは何をしていたのだ?こんな夜中に。見た目の良い女にでも会いに行っていたのか?」

 言いながら、心にも無い言葉が口をついて流れ出ることに五十狭芹彦は戸惑っていた。我ながら何をむきになっているのかと。

「馬鹿。そんなわけあるか。俺はお前が――」

 冠者はそこで一旦言葉を切って、何故か五十狭芹彦から目を逸らしてごにょごにょと言い直した。

「お前が鬼を見たと言うから、あのあたりの山を調べてたら日が暮れちまっただけだ。そうだな?星藍」

「全くその通りだが、何を照れている、剛伽」

〈余計なことを言うな、馬鹿〉

 冠者が黒い鬼に何事か囁いたが、勿論五十狭芹彦には聞き取れなかった。

「で、はぐれたっていう弟は見つかったのか?」

「いいや」

 五十狭芹彦の中に、先程の葛藤が蘇る。

「……あのあたりの山の向こう側は、楽々森氏の領分だな」

 黒い鬼が言った。

「だが、楽々森に鬼がいるなど聞いたことはないが」

 冠者が首をひねる。

「玉爛の件もある。剛伽、お前は誰とでも友人扱いだがな、俺は疑うことも必要だと思うぞ?」

「わかったわかった」

 冠者が追い払うように手をひらひらと振ったので、星藍と呼ばれた鬼は溜息をついた。

「じゃあな、桃。なんか分かったら教えるよ」

 冠者はそう言って、ちらりと健を見た。

〈お前はあの時の狼遣いか。お姫さんをちゃんと送り届けてくれよ〉

〈……ああ〉

 冠者が鬼語で何事か話しかけ、健が短く答える。それから二人の鬼は連れ立って鬼ノ城へと帰っていった。

「わたしたちも帰ろう、健」

 道々健に、沢で溺れているところを冠者に助けられた経緯いきさつを聞く。健が冠者を警戒していなかった理由も、それで合点がいった。楽々森という土豪についても、健は教えてくれた。規模でいえば鬼ノ城には遠く及ばないらしい。楽々森氏は冠者が現れるまではこのあたり一帯で最も力のある土豪だったが、鬼ノ城と人里が和解してからはすっかり鳴りを潜めてしまったようだ。表面上は対等な立場だとされているが、

「このあたりじゃ鬼ノ城に正面からぶつかって勝てる者なんかおらん」

だそうだ。

「確かにわたしは、鬼に対する考えを改める必要があるな」

 西国の土豪が、悪鬼とたとえられているのではない。鬼そのものが土豪同然に力を持ち、この鬼火の里を、里の民を支配している――いや、民の心までも支配しているのだ。

 ――悪鬼すなわち、朝廷にまつろわぬこの地の土豪どものこと。これらの不届き者を成敗し土豪どもを取り込んで、拡大した領土を大王の血族に治めさせる――。

「わたしが成敗せねばならぬのは……冠者、お前なのだな」


   ***


 四方を山に囲まれた盆地に、都はあった。

 春、朝廷内は南の吉野の山より切り出してきた桜の枝で飾られる。小さな白い花が鞠のようにもりもりと咲き、ちらほらと覗く若葉が伸びゆく生命力を感じさせる。朝廷を訪れる貴族や役人たちも、冬の寒々しさから開放されて一気に活力が漲るような心持ちになっていた。

 そんな桜を眺めて、鬱々とした様子で溜息をつく者があった。倭の国を統べる大王おおきみその人である。

「晋の国も韓の三国も戦乱が絶えず、難民が押し寄せているとのこと」

 貴族らが眉を顰めて噂する。

「なんとも迷惑なことよのう」

 海の向こうには強大な国家があると、古くから知られていた。かつては朝廷からも朝貢品を送っていたが、かの国が分裂し遷都が相次いでからはそれも途絶えていた。晋という国号も、韓の三国経由で訪れる商人や難民から伝わっているのみで、正式な国交はない。その韓の三国ですら、いくつもの小国に分裂して戦乱が続いている。

 鬼は、その戦乱に乗じて湧き、海底を歩いて渡ってくるといわれていた。

「筑紫からの朝貢品が盗賊に遭ったと」

「それよ、賊は鬼だそうやないの」

「晋の国を脅かしているのも西方の鬼ときく」

「晋国の更に西とは、天竺やないの」

「天竺の鬼とはあな恐ろしや」

「朝貢品を奪っている賊の正体すらも曖昧なのか?あなおそろしやとゆうてる場合じゃなかろうが。そなたら、その鬼とやらがこの都を攻めてきたら如何とするつもりだ?」

 先程から臣下らの会話を聞いていた大王が、苛々と言った。

「西国へやった五十狭芹彦は何をしておる」

「はて、いまだ便りがございませぬ」

「五十狭芹殿が鬼を退治してくれたら、朝貢品の略奪などあっという間になくなりましょうに」

「鬼を退治する前に、どこぞで行き倒れておらぬとよろしいがの」

「きれいな顔だけが取り柄ではの」

「ほほ」

「あれ、大変大変。鬼に攫われてしまう」

 ほほほ……と笑い声がさざめく。

「慎め。吾の大叔父ぞ」

 大王が臣下らを睨みつけたので、すっと笑いが引いた。

「もうよい。西国へは援軍を用意し、数と出立できる日が分かり次第報告せよ。朝議はしまいだ。百十姫ももそひめを呼べ」

 大王はそう言って、奥へと下がった。

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