第6話 新体制へ
「あ~ら、旭ちゃん。そんなところで寝てたの?」
おばちゃんの大きな声で目覚める。時計を見ると朝の五時。ちょうど草木の手入れをする時間なのか。
「おはよう、おばちゃん」
「おはよう。桜子さんも」
「そう言えば……」
おばちゃんも弁天に所属してたんだよな。桜子さんは白波の古株。ってことは、桜子さんのこと、知っているのか? その問いかけに、おばちゃんは笑ってうなずいた。
「当然よ。桜子さんにはお世話になったわ。ね!」
「菊子さんは優秀な人だったから、教えることがなくて返って苦労したの」
「へぇ」
「桜子さん、なんて言ってるの?」
桜子さんの言葉を伝えると、おばちゃんは嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえるなんて、嬉しいねぇ」
「桜子さん、人間の姿で過ごせばいいのに」
そう言うと、また首を振った。何か理由があるのか? やっぱり犬が本来の姿だから、楽だとか。
おばちゃんの家のドアが開く音がした。桜子さんはそちらへ目をやる。出てきたのはつみきちゃん。手にはお盆がある。
「旭くん、おはよ~! 今日は私がご飯作ったよ~」
「おいしそうだね」
出てきたのはご飯、ほうれん草の味噌汁、きんぴらごぼうに白菜の漬物。目玉焼きと納豆だ。
「桜子さんにもご飯ね!」
ワンッ! と声を上げる桜子さん。つみきちゃんがまた家に戻ると、桜子さんはつぶやいた。
「つみきさんのためにも、私はここでは人間の姿になりませんよ」
どういう意味なんだろう? やっぱり、年齢の近い女性同士が一緒に暮らすとなると、何かと面倒くさいのか? 男のオレにはよくわからないので、ともかく納豆ご飯を無言でかきこんだ。
「よう、旭。今日はいい顔してるな」
「一応動物失踪事件が解決したので。どんな形であれそれは嬉しいです。だけど、無茶苦茶ですよ。実際に動物を誘拐するなんて」
「それか。一応飼い主がいるやつには謝礼を持たせたし、野良には住む場所と餌を提供することで話はつけたと蓼丸が言ってたぞ」
あいつか。他の白波メンバーはともかく、蓼丸だけはなんだか特段胡散臭く感じるんだよなぁ。もとから苦手意識でもあるのか? それか話し方が気に食わないか。いつもならそんなに人のことを嫌ったり苦手に思ったりはしないのだが、なんとなくあいつだけはダメだ。
そういうところは直していかないといけないんだけどなぁ。
「ところで、仲村さんはどうなるんですか? オレの監視役ってだけで東雲署に来ていたんですよね?」
「私がどうかした?」
今日も変わらず、無表情な仲村さんに朝の挨拶をすると、バッグをデスクに置き、中から取り出した紙を見せた。
「『辞令 巡査長・仲村麻耶 本日付で東雲署交通課警部補の任を解き、警察庁刑事局捜査一課警部補に任命する』」
「え、仲村さん、昇進ですか!」
うしろからこっそりと盗み見ていた細井ちゃんが驚く。それもそうだ。つい数日前に降格して異動してきたのに、何の理由もなく元の場所に戻されるなんて。細井ちゃんは仲村さんがもともとキャリアだということを知らないから、びっくりするのはなおさらだろう。
「仲村さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なにかしら」
「ここではアレなので、廊下で」
仲村さんを連れて廊下に出ると、人がいないことを確認してから問いかけた。
「オレの思い違いだったらすみません。仲村さん、『白波』という組織は本当に、昇進はできないんじゃないですか?」
『白波のメンバーは、白波に所属する限り巡査部長以上の地位に就けない』。今まで散々みんなの嘘や演技に騙されてきたオレだけど、この話だけは本当のような気がする。
仲村さんは昇進して元の場所に戻れることになったけど、これは例外なんじゃないか?
仲村さんは鋭い視線をオレに向け、自分の髪を耳にかける。
「なぜそう思ったの?」
「なんとなくです」
それ以外の理由はない。仲村さんが元の地位に戻れる例外。それが、彼女が所属しているのが『玉島』だから。白波の他のチームは、どんな能力を持っている人間が所属しているかなんとなく知っている。が、玉島だけは別だ。それに警視正である滝沢さんも玉島。白波の『玉島以外』のチームメンバーは、巡査部長よりも上の地位につけない。そうすれば、超能力者が実権を握り、組織を暴走させることを押さえることができる。
今回、ずっと罠にハマりっぱなしだったけど、少しだけ白波という組織の実態を知った気がする。本当の白波。それは……。
「白波が『イカれた人間の隔離施設』なのは、本当なんじゃないですか?」
蓼丸の言葉にずっと引っかかっていた。自分でも認めたくないし、みんなもそれは同じだと思う。だけど――この表現が一番、白波には合っているんだ。
「実際その通りかどうかは、あなた自身で調べることね。私は玉島の人間よ。例えそれが本当だとしても……ハイそうです、なんて言えるわけがないでしょう?」
仲村さんの唇が弧を描いた。こんな表情は初めてだ。やっぱりオレの考えは間違っていない。
「おい、旭、仲村! そろそろ朝礼だぞ!」
高須警部がオレたちを呼ぶ。仲村さんはオレを見ると、あごをくいと動かした。
「ほら、行くわよ」
白波が組織された本当の理由。それと、玉島という謎のチーム。滝沢警視正の企み……新しくオレたちの所属する『青砥』。
これから何が起きるんだろう。不安になったが、オレは頬をパチンと軽く叩いた。将来が見えないだとか、怖いなんて言ってる場合じゃない。オレは――今日も自分ができることをやるだけだ。組織がどうとか、昇進や出世がどうとかは今考えるべきことじゃない。オレはまだまだ新人で、毎日が訓練と実践なんだ。迷ったり怖がっている暇なんかない。
「よしっ」
気合いを軽く入れると、朝礼に臨む。そこで仲村さんの栄転が告げられると、みんな不思議そうな顔で拍手をしていた。
「仲村さんとは短い間でしたけど、一緒にパトロールできたのはいい経験になりました!」
「あら、さっきの雰囲気とはだいぶ違うのね。私から詳細を聞こうとするのは諦めた?」
「そういうわけじゃないですよ。それはそれ。オレは今、目の前の仕事をきっちりこなすことのほうが大事なだけです!」
「模範解答ね。悪くはないわ」
仲村さんは最後の最後までこんな調子なんだな。これが彼女なのか。だけど、細井ちゃんに見せた優しさなんかも彼女は持っている。本当に悪い人間ではないと、オレは信じたい。
自転車に乗って、今まで誘拐されていた動物たちの家や住処を回る。黒部さんは……いた。
「北川巡査、久しぶり」
「黒部さん、身体に異常などはありませんか?」
「私はないが……父さんが今寝込んでる」
「え! ど、どうかしたんですか?」
「私が百万円持って帰ってきたことに驚いてな。かといって私もどうしてこんなことになっているのかわからずに困っているんだ」
ちらりと仲村さんを見ると、彼女も垣根の花から状況を聞いたらしく、黙って頭を振った。これがすべて警察の仕業だったなんて言えないよな。オレは黒部さんに頭を下げると、「お大事にとお伝えください」と言ってその場を去った。
汗だくでパトロールから戻ると、意外な人物がいておどろかされた。蓼丸だ。
「やっほー、お帰りぃ」
オレはこいつを見て腰を抜かしそうになった。昨日、確実に両腕を撃ったはずなのに、蓼丸の腕には傷ひとつない。ひらひらと手を動かし、にこっと笑う。
「ど、どうして……」
「もう、先輩! こんなかっこいい人と同じ高校出身なんて、初めて聞きましたよ。しかも警察官なんでしょ? もっと早く紹介してほしかったなぁ~」
細井ちゃんはそう言って、麦茶をオレと仲村さんに出す。高須警部はちょうど留守だったみたいだから、ふたりで話をしてたってことか。
「お前、どうしたんだよ!」
「今日は念のため休暇をもらったんだ。ケガしてたからね」
「そのケガがないだろう!」
蓼丸はグラスの麦茶を飲むと、オレに近づくように手を振る。細井ちゃんがいるから大声では話せないってことか。顔を近づけると、耳元でこそっと言った。
「白波の中には特殊医療班もいるんだって。ボクも初めて看てもらったけど、すごいよ、アレ」
蓼丸がいうには、昨日の夜のうちに警察病院へ運ばれ、超能力での治療を受けたらしい。それで傷ひとつないって……白波に所属する人間は、すさまじい力を持っていると改めて思う。
「で、何しに来たんだよ」
「同じ白波・赤星で高校も一緒なんだよ? しかも年齢だって。仲良くしようよ」
「……そういう話は勤務外でしてくれないか?」
「へぇ? ボクから逃げる気でしょ。そうはいかないよ。気に入っちゃったから」
「え?」
気に入ったって、オレのことを? 今まで一匹オオカミだったはずの、蓼丸が? にらみつけるとオレとは真逆にへらっとした気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「容赦なく暗殺用の銃で腕を撃ち抜かれたとき、やられたね。普段は優しい街のおまわりさんのキミとの温度差、サイコー」
その言葉にぞっとした。こいつってもしかして……サイコパス系の人間なんじゃ? オレがあとずさりすると、仲村さんが小声で言った。
「やっかいなのに好かれたわね。蓼丸巡査は相当扱いが大変だとは聞いていたけど」
「今度一緒に遊ぼうね~! それだけ伝えに来たんだ」
蓼丸は立ち上がると、細井ちゃんに向かって丁寧にお辞儀して、手を差し出す。細井ちゃんもまんざらではないようで、その手を掴むと、蓼丸はなんと彼女の手の甲にキスをした。
「じゃーね!」
なんてやつだ……。キザな人間はわりとどこにでもいるもんだと思ってたが、本当に女の子の手にキスするとか、あり得ないだろう。
「蓼丸さん、かっこい~。北川先輩とは大違いですね!」
「はは、それは悪かったね。オレはあんなフリ、到底できないよ」
平静を装って書類の記入を始める。細井ちゃんはああいうのが好きなのか。意外だな。ま、お嬢だし、夢見がちなのかもしれない。それならそれで、ずっと夢を見させてあげるのも先輩だよな。
「麦茶、おかわりは?」
「あ、ありがとうございます」
自分のを注いだついでに、オレのグラスにも麦茶を注いでくれる仲村さん。ちょうどそのとき、高須警部が帰って来た。
「ただいま。今夜はみんな、予定を空けとけよ! 仲村の送迎会だ!」
それを聞いたオレは、頭を抱えた。蘇る歓迎会の悪夢。……そこまで考えることはないか。みんな仲村さんの酒豪っぷりはわかってるし、仲村さんもこのメンバーとはかなり打ち解けたから、もう飲んで誤魔化すということはしないだろう。
そう思ったオレは、まだまだ甘かった。
「結局これか……」
店の前で座り込む高須警部と細井ちゃん。細井ちゃんは迎えを呼んだから、ついでに駅まで高須警部と仲村さんを送ってもらおうとオレは考えていた。
「ぐおー……ぐおー……」
「高須さんは爆睡かぁ」
「……彼には本当にお世話になったわ」
元・白波だった高須警部は、最初仲村さんが玉島の人間だとは知らなかったらしい。しかし、高須警部自身も仲村さんの異動に不信感を持った。それで調べると、滝沢警視正と繋がったというわけだ。
「仲村さぁん、行かないでくらさいよぉ~」
「細井さん……」
そっと細井ちゃんの頭をなでる仲村さん。まるで妹をかわいがるお姉さんみたいに優しい表情だ。
「そうだ、北川くん」
「なんでしょう?」
「細井さんのこと、しっかり指導してあげてね。実年齢はあなたのほうが若いけど……先輩なのは変わらないんだから。それに細井さんが本当にお弁当を作ってあげたい相手は、あなたなのよ」
「……は? な、なんでですか!」
「鈍いわね」
仲村さんはため息をつきながら髪をかきあげる。細井ちゃんがオレにって、そんな要素今までまったくなかったんだけど!
あわあわ慌てるオレを見て、仲村さんはあの日のお弁当の中身について説明する。
「まずは鳥のフライ。あなた、いつもマヨネーズをつけて食べるでしょう? だからベースがマヨネーズだった。ヨーグルトサラダはデザート。食後に食べてるわよね。ハンバーグも好物だったはず」
「あ、そう言えば……」
「あのあと、私の言ったことを全部メモしてたのよ」
そうだったんだ。細井ちゃんがわざわざそんなことを……。
「なんだか信じられないな」
「信じる信じないは任せるわ。あと、個人的なことだけど」
目元を軽く拭う仲村さん。一瞬ぐすっと鼻を鳴らすと、オレをまっすぐ見た。
「あなたと一緒に活動して、初心に帰れたわ。楽しかった。……ありがとう」
「仲村さん……」
「車が来たわね」
細井ちゃんのドライバーが車のドアを開けると、仲村さんは高須警部と細井ちゃんを車に詰める。
「北川巡査、これからも頑張るように」
「はいっ!」
オレは仲村さんに敬礼をする。それを確認して軽くうなずくと、仲村さんも車に乗った。
「おかえりなさ~い、旭くん!」
「ワンッ!」
マウンテンバイクで帰ると、つみきちゃんが桜子さんをなでながら待っていた。
「ただいま」
桜子さんが飛びついてくるのを抱き上げると、つみきちゃんもオレに近づく。
「つみきちゃん、もう部活には行けてるの?」
「うん! 人に憑いている顔はまだ見えるけど……みんながみんな悪いやつだってわけじゃないみたい。お母さんにも相談したんだ。そしたら……」
「そしたら?」
「『力はただの個性だ』って。だから怯えることはないよってさ。ああ、これが私の個性だって思っちゃえば、全部ひっくるめて怖くなくなったんだよね。不思議だけど」
おばちゃんらしいな。縁側に座ると、オレは空を見上げた。
オレの力も個性の一部。この星空と同じくらい、人や動物はいる。個性もだ。だから怯えることなんてない。オレはオレの個性で、みんなを助けられることを知った。この個性で、これからもみんなを守っていきたい。その気持ちは変わらない。白波に入ったときから。
つみきちゃんと桜子さんと夏の夜空を見つめる。夏の大三角形に、オレは誓う。どんなことが起きても、オレは自分の使命を全うし続けるってね――。
【了】
シラナミ 浅野エミイ @e31_asano
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