第5話 対決

「旭さんもケガなどしないでくださいね?」

「うん、大丈夫だよ」

 白い制服に着替えると、今日はお留守番の桜子さんが心配そうな顔をした。

 深夜零時を回ったところ。今日はバイクではなく覆面パトカーを借りている。逮捕したあと犯人たちを護送する車が必要だから。

 エンジン音がした。ようやく来たか。オレは桜子さんの頭をなでると、車が来たであろう方向に顔を向けた。運転席から出てきたのは――。

「な、仲村さん?」

 オレと同じ、白い制服を着た仲村さんは、車のキーを投げた。

「なんであなたが?」

「いまさらでしょう。私はあなたの監視役なの。最後まで見届けないと。それと」

 今度はオレに向かって手を差し出すと、いつも通りの口調で言った。

「あなたのバイクのキーを貸してくれる? 私はそっちで行くわ」

「一緒に車で行かないんですか?」

「あくまでも私はお目付け役。遠くから見ているだけだから」

 さすが仲村さんだな。きっちり線引きはしてるってことなのか。オレはふと軽く笑うと、バイクのキーを投げた。

「小屋のうしろに置いてあります。オレは先に行ってますよ」

 車に乗ると、頭に色んな事が浮かんだ。銭湯で、蓼丸がふとつぶやいていたこと。

『いいよねぇ。同じような能力なのに、キミは白波から声がかかった。ボクはきっと、素行が悪かったからなのかな。それとも……悪いほうに素質があったから?』

 それと、つみきちゃんが聞いた、オレに憑いている蓼丸の愛犬の言葉。

『尊は本当は優しくて、犬や猫を武器になんて使いたくない』。

 オレは今夜、あいつを逮捕する。あいつは何を考えているんだ? 自分を拾ってくれた人のために動くコマだと、自分のことを言っていた。だとしたら、あいつは誰のコマなんだ? 滝沢か、それか本田組や岩屋組の誰かなのか……。もしかして、あいつも巻き込まれているだけなんじゃ。

そんな考えがよぎったとき、オレは気合いを入れるために頬を叩いた。

 あいつがただ巻き込まれただけだとしても、動物たちをさらって人間を襲う兵器に仕立てていることに変わりはない。

 犬や猫の飼い主たちは、まだ今も帰らぬ家族を探し歩いている。動物たちだって、無意識のうちに、自分の家族を襲う訓練をさせられている。それをオレは許してはいけない。それに、本当に聞きたいことがあるなら、きちんと会って話をすればいい。

オレは蓼丸を逮捕しに行く。それとともに、蓼丸の本音を聞きに、話し合いに行く。オレのように能力がある男に、何があったのか――。オレだって白波にスカウトされて射なかったら、もしかしたら蓼丸のようになっていたのかもしれない。

「オレはただ単に、運がよかっただけなのかもしれない。だから……」

 あいつの気持ちが知りたい。本当の、心の奥底に隠した気持ちを。

 緑沢までの道のりに車はいない。オレはそれをいいことに、アクセルを力強く踏んだ。


 蓼丸がいるはずの工場は、相変らず静かだった。ここにみんなはいる。静かなのはきっと、あいつが今日、ここにオレが来ることを知っているから。滝沢だったら、遠まわしにオレが一日休暇を取って、今日から現場に戻る情報くらいたやすく手に入れられるはずだ。

 刀を手にし、辺りを見回す。がさっと音がした方向へ目を向けると、予想通り蓼丸が経っていた。

「復帰オメデトウ、北川クン。待ってた……ってほどではないけど、今日という日を楽しみにしていたよ」

「蓼丸、お前に聞きたいことがある」

「何かな?」

 この間対峙したときと同じ格好。黒いスーツに手袋をした蓼丸は、にやりと笑ってズボンのポケットに手を入れる。何か武器を持っているのか? こちらが腰の刀に手をやろうとすると、「ああ」と声を出した。

「ボクは武器を持たない主義なんだよ。だから安心して。ポケットも……ほら」

 手を出す瞬間ビクリとしたが、蓼丸の言う通り武器はないようだ。ポケットを裏にしても、中には何も入っていなかった。オレも刀から手を遠ざけると、蓼丸に質問をする。

「お前はなんで、本田組や岩屋組に手を貸してるんだ? お前を拾った人間が、そこにいるのか?」

「あー、いきなりその質問? ま、いっか。大体組のことまで調べてたら、隠しようもないもんね」

 頭をかくと、蓼丸はあっさりと答えた。

「ボクを拾ってくれたのは、組じゃない。滝沢さんだよ。ボクはあの人の意見に賛成してるんだ」

「あいつの……意見? それはなんだ? 答えろ!」

「それは……みんなを倒してからにしてくれる?」

 甘くはなかったか。蓼丸が手を挙げると、一斉に隠れていた動物たちが飛びかかって来る。オレは刀を抜くと、刃を自分のほうへ向ける。飛びかかってくる動物たちの足を、反りの部分で軽く打って、薙ぐ。オレができる防御はこれしかない。みんなに傷をつけるわけにはいかないし、かといってまともに食らったらまずい。

 しかし、薙いでも薙いでも動物たちはこちらに向かって牙をむく。

 同じように刀を構えたところで、オレはうろたえた。――黒部さんっ! 驚いたオレは、つい目をつぶった。やられる! 一匹に噛まれたら終わりだ。それをどうにか振り払おうとしても、次から次へと動物たちがオレの腕に、足に、背中に飛びかかってくる。このままでは立っていることも難しい。みんなを傷つけずに助けるには、どうすれば! 蓼丸の能力が効かないするにはどうすればいいんだ!

「まったく、やっぱりあなたは見ていられないわ。みんな、力を借りるわよ」

 今の声は仲村さん? それと同時にふわっと強い香りがオレの身体を包んだ。動物たちはその香りをかぐと、キュンキュン鳴きながら離れていく。そのまま遠くの草むらまで走っていく。

「え、何? みんな、どうしちゃったの?」

 オレよりもうろたえていたのが蓼丸だ。こいつの武器は動物たち。その動物たちがどういうわけか逃げていく。

この『武器』の強みは『生きている』ということだ。命を盾にして、こちらから手を出せないようにする。まぁ、心無い相手だったらどうなったかわからないが、少なくても動物と話すことのできるオレには有効だった。でも、一体何が起こったって言うんだ?

仲村さんを見ると、草花たちが彼女のほうへ顔を向けたように見えた。草は勝手に自らの身体を沈め、歩きやすいように道を作る。

「蓼丸尊。あなたの言う通りよ。『動物たちと話せるなんてキモい』」

 オレは思わず仲村さんをにらんだ。ここまできて、何が言いたいんだ。あなたまでオレのことを否定するのか? オレに視線を向けると、仲村さんは表情を変えずにはっきりと言い切った。

「私も同じよ。『植物と話すことができる能力』を持っているから、同じように気持ち悪がられていた」

 植物と話せる……? そうか。やっと合点がいった。もやもやしていた仲村さんの正体も、ようやくはっきりした。

 一緒にパトロールしてひったくりを捕まえたとき、彼女は草花に触れていた。あれは声を聞いていたんだ。だから的確に犯人が残した遺留品の場所や、逃げた方向がわかったんだ。それに今の攻撃だって。

「ハーブや柑橘系のにおい……動物は苦手みたいね。においを強めてもらったの。もう北川巡査に手は出せないわよ、蓼丸尊」

「……ハハッ、草花が相手かぁ。さすがにそれじゃ、ボクの能力でも太刀打ちできないね。動物たちの本能で嫌うようなものが相手だったら、相手にならない。お手上げだよ」

蓼丸はあっさりと両手を挙げる。動物たちはその場に伏せると、そのまま「待て」の状態になった。

「お姉さん、お名前は?」

「仲村麻耶巡査部長よ」

「ああ! あの仲村巡査部長か!」

 ぽんと手を叩く蓼丸。こいつ、彼女を知っているのか? 仲村さんも目を見開いている。もう武器である動物たちは使えないのに余裕の笑みを浮かべる蓼丸。こいつは何を考えているんだ? オレは刀を持ちかえる。動物さえいなければ、蓼丸を傷つけるくらい……。

「超能力のせいでキャリア組から落とされた上に降格なんて、ホント運がないよねぇ!」

「っ――……!」

 風も吹いていないというのに、ぶわっと草花が上に伸びあがる。これが仲村さんの力……いや、それよりもどういうことだ? 超能力のせいで降格って。彼女が東雲署の交通課に来たのは、もしかして……。

「あ、北川クンは知らないかもしれないけど、白波という組織には別の呼び名があるんだよ」

「……なんだ、それは」

「『イカれた人間の隔離施設』。つまり『白波』という組織自体、超能力を持った人間を封じ込める組織なんだよ」

 それってつまり――。オレはごくりと息を飲んだ。高校を辞めた引きこもりに来た、不自然な勧誘。オレは自分の力を国のために、正義のために使おうと思って警察に入った。しかしその実態はまさか

「『国の管理下の中で、超能力者を都合のいいように利用する』組織。そう言えばわかりやすい?」

 笑顔で続ける蓼丸。オレはこいつから目を逸らさず、仲村さんに聞く。

「仲村さん、説明してくれませんか?」

「……『白波のメンバーは、白波に所属する限り巡査部長以上の地位に就けない』。私は警部補だったけど、その間に能力に目覚め、上長にバレた。だから白波に配属され、そのまま降格に」

 悔しそうに語る仲村さんが、嘘を言っているようには見えない。

 オレは……オレはいつも正義を持って自分の能力を使ってきた。みんなを守るため。人間ももちろんだけど、町に住むすべてのものを悪から守るため。そのための力だと思っていたのに……白波という組織自体が隔離施設だって? それじゃあオレは、今までずっと騙されていたってことか? 組織にも、白波にも、上司である高須警部にも!

「ようやくネタばらししたのか? 尊」

「滝沢さん」

 滝沢! オレは声がしたほうをにらんだ。蓼丸の横に立っていたのは、髪をうしろに撫でつけた、小柄で上品そうな男だった。

こいつが滝沢大悟警視……。高須警部と柔道で競り合っていた組対三課。その姿からはあまり想像がつかない。こんな男が高須警部と互角にやりあえるとは思えない。しかも組対だなんて。

普通……と言ったら語弊があるかもしれないが、やはり組対三課に入るのは、ガタイがよく、いかつい顔の野郎が多い。それも当然。大きな組とやり合うのだから、それくらいの圧がないと勝ち目がない。それなのに、この滝沢には圧も何もない。どちらかというと、イギリスかぶれで紅茶をすする、貴族のような座椅子探偵。そんな風貌だ。こいつが組員とやり合って、ボコボコにできるかと言ったら逆。滝沢のほうが簡単にやられてしまいそうだ。

「北川旭巡査。君はあの粗雑な高須の部下らしいな。言われてみればその通りだ。捜査の仕方が確かに荒い。金倉の逮捕、近くで見学させてもらったよ」

 こいつ、あの場にいたのか。だからオレのことを……。刃先を滝沢に向けると、この胸糞悪い警視様は大げさに手を挙げた。

「おお、怖い。さすが白波。人間離れした能力と、人間離れした品性のなさ」

「能力はともかく、品性だとっ!」

「北川巡査、落ち着きなさい! あなたの使命を忘れないで」

 オレの使命。そうだ、オレの使命は、蓼丸とこの滝沢を逮捕することだ。蓼丸の能力は仲村さんの力で封じた。だったらあとは突撃あるのみ。そのタイミングを失わないことだ。

 足元の砂をコンクリートに押し付けると、ジャリッと音がした。刀は変わらず滝沢を狙っている。それでも滝沢は、オレのことなんて眼中にないみたいだ。辺りをきょろきょろ見回す。こいつは待っているんだ。宿敵を。

 しばらく膠着状態が続いていると、その固い空気を打ち砕くようにのんきな足音が聞こえた。白い煙。相手は煙草を吸っている。普段は子どもや奥さんがいるから吸わないと言っていたけど、ここ一番のときは気合いを入れるために一服すると言っていたな。オレは思わず笑った。

 正直、今の状況で笑える要素なんてひとつもない。自分の能力が『気持ち悪いもの』だと再確認させられ、警察にいても出世できないことも知った。自分が正義を振りかざしたところで、何の意味もないことまでわかった。その上、この人物にもオレは裏切られていたんだ。 

 元・白浪なのに、何も言ってくれなかった裏切り者。高須健介警部。裏切りを知った今でも、なぜかこの人を見ると安心してしまう。きっと、なんだかんだ言って、この人がずっとそばにいてくれたからだと思う。何も知らないで警察という組織に入った。白波としての仕事はともかく、警察官としてのいろはを教えてくれたのは彼だ。オレがまだ十八歳だと知っていても、白波……能力者だということを知っていても、態度を変えなかった。それは彼も白波だったからかもしれないが。

 騙されていたのに、この人がそばにいると力強く感じるって、矛盾してるよな。だけど同じ時間を過ごしたからこそ、わかることもある。高須健介。彼は――。

「よーう、滝沢。本当に来るとは思わなかったよ」

「さすがに積年の恨みをそろそろ晴らしたいと思ってね」

 滝沢はスーツを脱ぐと、ネクタイを解いて腕をまくった。高須警部も今日は私服だ、Tシャツにジーパン。

『俺がなんとかしてやるよ。まあ任せろ』。そう言った彼が提案したのは、滝沢との命をかけた勝負だ。ジーパンの尻ポケットからくしゃくしゃの紙封筒を取り出すと、それを滝沢へ渡す。封筒に書かれているのは二文字。『遺書』。

 高須警部のことを本当に恨むことができないのは、これが一番の理由だ。『自分の命と引き換えにしても、滝沢を逮捕してほしい』。信じられないだろう? 嫁さんも子どももいる、父親だ。それが家族を捨てて、自分の命も顧みず逮捕してほしいと願っている。

滝沢を逮捕できるのは、今の状態ではオレだけだ。高須警部はもう白波ではないから、特権行為である特殊逮捕状請求はできない。滝沢を逮捕できるのは、オレだけに認められた権利なのだ。

試合開始の合図もないのに、滝沢と高須警部は組み合った。高須警部は相手の襟もとを掴むと、投げようと試みる。しかし滝沢も踏ん張り、また動きが止まる。

「お前の柔道はいつもそうだ。ねちねちと相手が弱るのを待つ。蛇みたいでいけすかないな」

「それはこっちの台詞だ。お前はスピードだけしか能がない。ああ、あと言ってなかったが――」

 滝沢の次の言葉に、オレは硬直した。

「お前、無意識に『能力』を使っていたな?」

「なっ!」

 高須警部は顔色を変えた。警部が言っていたことを思い出す。白波では南郷――テレポーテーションなど移動する能力を使うチームにいたこと。それと、自分は試合ではそれを使っていないということ。それなのに、無意識に使っていたということは……。

「『能力』を使ってしか勝てないくせにっ!」

「俺は能力なんて使っていないっ!」

 ――決まった。一本。勝ったのは……滝沢だ。

「う、嘘だ」

「ようやく決着がついたな。やはりお前は『能力』がなければ勝つことのできない愚か者だ」

「くっ……!」

 高須警部は拳を何度も石の上に落とす。手は血が滲み、痛々しい傷ができている。それなのに。

「はは……ふはははっ! やはり能力を持ったものを入署させるなんて、バカのやることだ! 『一芸入署』なんてあり得ない!」

 高笑いをする滝沢。今まで拳を振るっていた高須警部は、しばらく黙ったあと、立ち上がった。

「そうか……そうだったのか」

「な、なんだ、高須」

 驚いたのは滝沢のほうだった。高須警部は目の辺りを腕で拭うと、にかっと笑った。

「滝沢、いい試合してくれて、ありがとな!」

「高須?」

「お前が白波を恨んでいた気持ち、よくわかった。そりゃ、不正な勝ち方された不愉快だよな」

「……何を……」

「ん?」

「何をいまさらっ!」

 滝沢は高須警部の首を絞める。これはまずい。オレと仲村さんが急いで駆け寄ろうとしたが、それを止めたのが蓼丸だ。

「悪いけど、滝沢さんを逮捕させないよ。この人はボクを救ってくれた人だからね」

「どういう意味なんだ、それは。お前もオレと同じ能力を持っていたんだよな? なのに白波からスカウトされなかった。そのこととも関係があるのか?」

 蓼丸はズボンの裾をめくると、足首に隠していたらしいナイフを二本取り出した。ポケットの中は空だったから油断した。そこに武器を隠していたなんて。

 仲村さんは黙って腕を組んだ。オレはそれを見て、珍しく毒を吐いた。

「同じ交番勤務の警察官がピンチなのに、傍観者ですか?」

「私のできることはやったわ。動物たちを動けなくさせた。それだけで十分でしょう。何度も言うけど、私はただの監視役なの」

 口をつぐんで、滝沢に向けていた刃を、今度は蓼丸に向ける。蓼丸は平気な顔でナイフをくるくる回す。

「滝沢さんは、白波に目をつけられたボクに忠告してくれたんだ。『あそこは隔離施設だ』とね。だからボクは、彼につくことにした」

「本田組や岩屋組はどうなんだ?」

 オレの質問に、蓼丸は少し考えてから笑顔で答えた。

「あそこ? 人を殺すとお金をくれるんだよね。ほら、お金がないと生活できないから。あの組を紹介してくれたのが、滝沢さんってわけ」

「人を……殺した?」

「うん、動物たちを使ってね。ボクは何もしていない。ただ、動物たちが『暴走して』相手を死に至らしめた」

「蓼丸、てめええっ!」

 オレは刀を投げた瞬間、ホルスターから拳銃を取り出し、蓼丸の両手を撃った。バン、バン! と連続して音が響き、硝煙が上がる。

「……ハハッ、やっと本当の武器を出したね?」

「知ってたんだな、蓼丸。今度はドタマを狙うぞ?」

 オレの武器。腰に下げた刀は『彩』という。大抵の敵は怖い顔でこれを抜くだけでひるむ。簡単に降伏もする。だけどこれはあくまでも『脅し』。相手をビビらせるだけのもの。本当の武器は刀ではなく、白い制服の下に隠したS&WMK22。自慢ではないが、オレの狙撃の腕は、警察学校一だった。だからオレはこれを本当の武器にした。

「通称・ハッシュパピーだっけ? ホントキミは怖いよね。刀が見せかけの武器で、本当の武器は暗殺用の拳銃。確実に相手を殺せるものだなんて」

 オレは黙ったまま、冷たく蓼丸を見やった。

生きたまま逮捕しようと思った。そうすることが組織のためだと思ったから。それなのに、オレがこの身を捧げた組織はただの隔離施設。オレを異端のものと決めつけて、利用しようとした。だったら知るか。白波? 警察? どうでもいい。オレはオレの正義のために、最強特権行為を使う。オレたちの持つ最強特権行為。それはつまり、『相手を殺害すること』だ。

 両腕をぶらんとさせ、血まみれになった蓼丸は、それでもにやにや笑っている。

 オレはこいつを許せない。人間よりも弱くて、話すことも意思を伝えることもできない動物たちを利用し、武器にしたことを。きっと武器にされた動物たちは、自分たちが何をしたのかもわからずに処分されたんだろう。それなのに、こいつはのうのうと同じことを繰り返して……。

 拳銃をすっとずらし、頭に照準を合わせる。確実に蓼丸を殺す――。そう心に決めたのに、邪魔が入った。仲村さんだ。

「……ふう。北川巡査、あなたは報告書通りの人間だったわね。通常は明るく、正義感に溢れ満点とも言えるくらいの警察官。だけどスイッチが入ると途端に冷徹になり、歯止めが効かなくなる」

「ホント、こんなやつ、本当に白波に必要なの? 仲村サン」

「だから試験を受けさせたんじゃない。蓼丸『巡査』」

「……え? 蓼丸……『巡査』?」

「もー、両腕撃たれちゃったけど、これ、すぐ治るかなぁ? 仕事に差し支えるんだけどー」

 仲村さんと蓼丸のやり取りに、オレはぽかんとする。そう言えば、滝沢と高須警部は? 振り向くと、ふたりはのんびりと座ってこちらを見ていた。

「まったく。ダメだな、旭は」

「高須、大丈夫なのか? 彼は」

「え、え? ど、どういうこと……」

「旭さん!」

混乱した中でさらに混乱させるような声が聞こえる。バイクに乗っていた仲村さんのリュックから顔を出したのは……。

「さ、桜子さん!」

 どういうことだ? 彼女は本当にケガをしていたし、動物たちだって本当に連れ去られたはずだ。何が起きているのかまったくわからない。そこでハッと思い出したことがあった。『尊は動物を武器になんて使いたくない』。オレに憑いている犬の霊の言葉が本当だったらこれは……。

「ドッキリ?」

「違うわ。適性検査よ」

「ま、ドッキリと言えなくはないけどな」

 あっさりと言って、蓼丸の腕の治療を始める仲村さんと、さっきまで首を絞められていたのにへらへらと笑っている高須警部。

 適性検査……もしかして、白波の? だとしたら、一体どこからだ? 頭の中がごちゃごちゃになっているところを、桜子さんが手を舐めてなんとか鎮めようとしてくれる。

「旭さん、落ち着いてください~!」

「桜子さん! キミ、本当にケガしてたよね! 動物たちだって誘拐されたし、警察に届けもあったし! ど、どこからが適性検査だったわけ!」

「あはは、変わってないなぁ、北川クンは」

「お前は黙ってろ!」

 つい蓼丸を怒鳴るが、びくっとしたのは桜子さんのほうだった。

「ご、ごめんなさい~……これは仕事だったので、仕方なかったんです!」

 ひゅんと風が桜子さんを包むと、身体がぐんぐん大きくなる。オレは目をこすった。う……嘘だろ? 桜子さんが……。

「人間?」

「今まで騙していてすみません。白波・弁天所属の一宮桜子巡査部長です」

「さ、桜子さんが……白波?」

 変身できるとは聞いていたけど、人間がケガした犬に化けるだなんて……。しかも本物の桜子さんは、黒いロングヘアーに着物姿の美女だ。こんな美人と一緒に生活してたのか。

「で、蓼丸は何なんだ? お前は」

「ボクもキミと同じだよ。ボクのほうが一年あとだったけどね。わかるでしょ~?」

 オレと同じってことは、高校中退して白波に? だったら本田組も岩屋組も……よく考えたら、その資料を持ってきたのは仲村さんだ。ミケさんと金倉の件はともかく、仲村さんが来てからおかしな事件が起こり始めた。すべての元凶は彼女?

「おい、仲村。ぽかんとしてるぞ」

「そうですね。では、改めて紹介しましょう。弁天所属の一宮巡査、元・白波、南郷の高須警部。あなたと同じ赤星の蓼丸くん。そして……『玉島』の滝沢警視正。ちなみに私も赤星ではなく玉島所属よ」

「どうも、滝沢です。実際の階級は警視正で、組対ではなく公安所属なんだ。君が初めて金倉の件で逮捕状を取ったことを知ってね。少し調べさせてもらったよ」

 滝沢警視正の話では、金倉を逮捕したとき、オレを遠くから見ていたらしい。取引していたのは当時白波の追っていた組。金倉と取引していた組は、そのあとすぐに滝沢警視正の率いていたチームが無事逮捕。そこまでは理解できた。

「でも、なんでオレの調査なんて?」

「あれ、気づいてないんだ? ボクの手をこんなにしたのに?」

「……もしかして、わざとオレを追い込んだ?」

「せいか~い! オレは普段、警備犬と仕事してるんだ」

 巻かれた包帯から血をにじませているのにも関わらず、にっこり笑う蓼丸。ここまでされて、よく笑ってられるな。他のメンバーもだ。オレが本当にこいつや滝沢警視正を殺していたら洒落にもならないのに。

「みんな、イカれてる」

 オレひとりに対してやりすぎだ。仲村さんを移動させ、動物を誘拐し、みんなで演技をするなんて。あまりのことに、へなへなとその場に座り込む。

一体何が目的なんだ。オレの適正? 蓼丸を撃ってしまったんだからアウトだろう。警察官はいつでも冷静な判断を下せなきゃ意味がない。ましてや白波は大きな特権を持っているんだから、その権利を振りかざす際はなおさらだ。

「オレ、白波……警察官クビですよね?」

「いや、合格だ。そうだよな、滝沢」

「ああ、高須。お前が育てただけはあるな」

 笑い合うおっさんふたり。合格って……いいわけがない。それは自分がよくわかっている。

「おふたりが合格と言ってくれても、オレはそう思いません。今回のことで、自分が白波のメンバーに向いていないと深く認識しました。警官の仕事も……」

「そんなことありませんっ!」

 みんなが注目するほど大声を出したのが桜子さんだった。桜子さんはオレを大きな黒い瞳で見つめると、うるうるさせながら訴える。

「旭さんは優しいですし、動物たちを思う気持ちはどんな人にも負けません! 今回、私たちの罠に見事にハマったのだって、正義感からでしょう? やりすぎたと思う部分は、これから直していけばいいんです! あなたはまだ、新人なんですから」

 新人だからって、判断するのは一度きりだ。そのたった一度の判断をミスった自分は、やっぱり無理だ。正義だって悪になる。今回のことで思い知ったんだ。だから。

「桜子さんにどんなに言われても、オレは……」

「それは無理だな。滝沢に目をつけられたら逃げられないぞ。何やら大きなことを企んでいるみたいだからな」

 高須警部は滝沢警視正に目を向ける。同じように見ると、大きくうなずかれた。

 企み? ここに集まっているのは、白波の各チームのメンバーだ。忠信所属の人間はいないけど、それ以外はそろっている。オレの考えが合っているなら、滝沢警視正は……。

「チームの垣根を超えた新しい超能力チームを結成しようとしている?」

「ええ、そうよ」

 仲村さんが肯定すると、みんながにこりと笑った。それでもオレは納得がいかない。自分が正義を振りかざすのが、怖くなってしまったのだ。悩んでいるオレを見て口を開いたのは、高須警部だった。

「旭の気持ちはわかるよ。お前の失敗も。だがな、『本当の正義』を持っていないと、ここまでは動けない。悪を追及する力……それがこのチームには必要なんだよ」

 桜子さんはオレの手に自分の手を重ねる。

「一緒に来てください、旭さん。私たちにはあなたが必要なんです」

 鈴を転がすような声でお願いされると、気持ち揺らぐ。蓼丸もにやにやしながら、オレを軽く脅す。

「ボクをここまで傷物にしたんだよ? 逃げたりしないで責任取ってよ?」

 こいつの場合、一癖も二癖もありそうだから怖い。しかも男が『傷物』って。確かに両腕を撃ち抜いたんだから間違ってはいない。こいつと一緒に仕事なんて、高校時代からしたら考えつかない。それほど蓼丸は独特の雰囲気をまとっていたし……それを言ったら、他の人も大概か。ここに集まっている全員が曲者だ。

 いいのか? 本当に。オレはこれからも警察官として働いて。オレができるのは、やっぱりみんなの声を聞くことだけだ。今後も警察官、地域のおまわりさんとして、市民を守っていきたい。オレの能力を最大限に発揮できるのが、警察という組織だから。

「北川旭巡査」

「はい!」

 滝沢警視正は一枚の紙を取り出すと、オレの前に突きつけた。

「辞令だ。本日八月二十五日付で、白波・特殊合同チーム『青砥』に所属するよう命ずる」

 オレはそれを受け取ると、頭を下げる。

「これからよろしく」

 手を差し伸べられると、オレは滝沢警視正と強く握手を交わした。


 小屋に帰って白い制服を脱ぐと、身体を拭きながらオレは今までのことを整理しようと外に出た。

 まずは金倉のこと。あれは実際にあった犯罪だ。だが、それがきっかけで大きな事件――正しくは『適正検査』だけど――を受けることになってしまった。あの逮捕を見た滝沢警視が事件を仕組み、監視役として仲村さんをわざわざ降格させて東雲署に派遣した。

 蓼丸は動物たちを誘拐して、オレに捜査するように仕向け、桜子さんもオレに接触し『何かが起きていること』を告げる。高須警部は滝沢警視正の存在をにおわせる。すべての材料がそろったのが今夜だ。

 動物たちは、今夜中に蓼丸の力でもとの家に帰された。夜勤の警察官に確認したが、次々と迷子の届け出をしていたが、戻ってきたと連絡があったようだ。これで『動物失踪事件』は見事解決。負傷者を出してしまったからハッピーエンドとまでは行かないが、これでひとまず安心。

「……はぁ」

 大きくため息をついて月を見ていると、ガサリと音がした。何かいるのか? もしかして、家に帰れなかった動物とか? 音がしたほうに行ってみると、そこにはちょこんと犬の姿の桜子さんがいた。

「桜子さん? なんで……あなた、自分の家あるでしょう? 本当は人間なんだし」

「えっと、実は……」

 桜子さんは言いよどむ。帰れない都合でも何かあるのか? 言いづらいことなのか、「う~……」と小さく口を震わせている。

「どうしたんですか?」

「やめてくださいっ! 敬語」

「は?」

「その、私は、『犬の桜子』として接してくれた旭さんが……。それに旭さん、誤解してますっ!」

「誤解って?」

「私……人間じゃないんです。犬の姿が本来の姿で。いわゆる『化け犬』ってやつなんです」

 化け猫ならぬ、化け犬と聞いて、オレは目を点にした。

 桜子さんの話によると、彼女は江戸時代から生きている犬で、飼い主にいじめられて一度は亡くなった。だが成仏することができず、そのまま現世にとどまっていたら化け犬となってしまったらしい。

「だから着物姿だったんだ」

「ええ。私は自分が持っている変身能力で、なんとかこの社会を生きてきました。そこで白波に勧誘されたんです」

 改めて白波という組織のすごさを認識する。超能力者の組織だというだけでも特異なものなのに、人間ではないメンバーもいたとは。

 桜子さんは昔からいる化け犬だから、白波としても初期からいる古いメンバーだということだ。

 縁側に座ると、桜子さんもオレの前にお座りする。こうして見ると、本当に普通の柴犬なんだけどな。思わず頭をなでてしまうと、桜子さんも嬉しそうに目を細める。

「よかったら、家まで送るけど」

「だから……私は化け犬だから、その……家はないんです」

「え?」

 耳を疑った。いくら犬でも白波のメンバーで警察官なんだよな。だとしたら警察の寮だってある。……オレはブッキングされて入れなかったけど。もしかして桜子さんも? 話をきいてみると、首を左右に振った。

「いえ、潜入捜査してることが多くて、腰を落ち着けることが少ないので。だから……ここにしばらく置いてもらえると嬉しいんですけど」

「えっ……」

 どうしよう。桜子さんが普通の犬なら問題はないんだけど、人間の姿だとかなりの美女だった。そんな女性と一緒に暮らすって……。

「ダメですか?」

「ダメじゃない……けど」

「本当ですか! やったぁ!」

 桜子さんは喜んで、オレに飛びついてきた。顔をぺろぺろ舐めてくるけど、これってキスじゃ……? いや、あまり深いことを考えちゃいけない。桜子さんは『人間の姿に変身できる犬』だ。本当の姿はあくまでも犬。だからセーフなはず。

「仕方ないなぁ」

「ありがとうございますっ!」

 尻尾をぶるんぶるん振る桜子さん。これから彼女と一緒に暮らすのかぁ。なんか照れくさいけど、犬と一緒に住むのって、よく考えたら初めてだ。

 動物は好きだったけど、昔住んでいたところはアパートだったから動物は禁止だったし、引きこもってから白波に入るまでは動物の声が怖かった。初めてのパートナーが桜子さんか。犬との生活か。今まではうらやましいと思ってたけど、こんな形で夢が叶うなんて。嬉しいような、複雑なような。

「ところで桜子さんは、明日から仕事はどうなるの?」

「しばらくは警視庁勤務になると思います。私はもともと警視庁の所属なので」

 警視庁で何をやっているんだろう? オレが黙ったのを察して、桜子さんが補足する。

「普段は閑職なんです。総務課の倉庫勤務で。私、ぱそこんとかにも疎いので、そういう仕事もできませんし……能力しかないから」

 桜子さんもオレと一緒なんだ。能力しかオレたちにはない。だから警察になった。

「桜子さん、今日はもう寝ようか? オレ、さすがに疲れたよ。色々ありすぎて」

「ふふっ、そうですね。明日からまた、お互い頑張りましょう?」

 こうしてオレは縁側にそのまま寝そべった。桜子さんも芝の上に丸まる。こんな風に適当に眠れるのは、多分夏だからだ。

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