第六話 - 真也の記憶
2024年2月22日
目が覚めると11時だった。昨夜の酒がまだ抜けねえ。
重たい体を引きずってシャワールームに向かった。熱い湯を浴びながら、頭の重さを振り払った。濃いめに作ったインスタントコーヒーの苦みに、ようやく意識が覚醒してきた。
ハーモニー食堂で昼飯を平らげた後、駅前の喫煙スペースで一服する。紫煙を吐き出すごとに、周りの空気がぼんやり霞む。身体に悪いことくらいわかっちゃいるが、ガツンとくるハードな煙草だけはやめられねえ。
一服を終えて、音楽好きに人気の老舗レコード店——俺が店長を務める、
商店街を歩きながら、両脇に並ぶ店舗を眺めた。商店街ってやつは、どこもドラッグストアが乱立してやがる。
あいつらの競争は苛烈だ。客の奪い合いも、価格競争も、もはや血で血を洗う抗争みてえだ。
まったく、薬局なのにおっかねえぜ。
「へっくしょい!」
ちょっと派手めなクシャミをかました。
自慢じゃねえが、俺は花粉症だ。この町はスギ花粉が多い。今日はまだマシな方だが、やつらが本気を出したときは、さすがの俺も戦々恐々とするってもんだ。
鼻をかみながら歩いてると、ようやく俺の店が見えてきた。造りは古いが、かなり派手めな店構えだ。
Vinyl Spin Music Storeは代々熱い魂を持った音楽野郎が店長を務めてきた。俺も10年前に先代からこの店を引き継いだ。重てえ責務をこの双肩に担ってるってわけだ。
腕時計に目をやると、針はちょうど13時を指してた。こう見えて、俺は時間には正確だ。遅刻するときはわざとやってる。
店に入ると、棚にびっしりと並んだレコードが俺を迎え入れてくれた。色とりどりのジャケットは、音楽の歴史そのものだよな。
あいつなりのよくわからん挨拶だ。俺はイカしたサムズアップで返す。
灰谷は俺のソウルメイトだ。学生時代からの古い付き合いで、一時期はバンドを組んでたこともある。
俺がベースで、あいつはドラム。俺たちの熱いリズムセクションが、バンドのサウンドを派手に色付けてたのは言うまでもねえ。
今この店に在籍してんのは俺と灰谷だけだ。売上がやべえから、バイトを雇う余裕もねえ。悲しいこったな。
裏の休憩所に荷物を置いた俺は、休憩に入る灰谷と交代でレジに立った。
灰谷は昨年、事故で右腕を負傷した。
あいつは俺と違って腕がよかった。スタジオミュージシャンとしてすっげえ活躍してたのにさ、怪我のせいで廃業しっちまったんだ。ドラム一筋だったあいつは、仕事に窮した。
だから、この店で働いてもらうことにしたんだ。おかげで今すげえ助かってる。
30分ほどぼんやりしてると、入口が開く音がした。っていっても、ドアの音じゃねえ。うちの店は常に音楽かかってるから、万引き対策でドアんとこに人感センサー付きのチャイムが付いてんだ。
入ってきたのは、タカさんだった。
タカさんは、Vinyl Spin Music Storeの三代目店長、つまり先代だな。俺にこの店を託した男だ。
「よう、まだこんなところで燻ってんのか、お前」
開口一番、これだ。またお説教か。
「タカさん……俺はほんと、今のままで十分幸せなんだよ」
「いつまでそんなこと言ってんだよ。年食ってから後悔したって遅えんだぞ?」
うんざりする。最近ずっとこうだ。
俺はThe Crimson Royalsのベーシスト、ルーカス・レッドに憧れてる。あいつと同じベースを手にして、バンドが生まれ育ったロンドンで、あいつみてえに生きてみんのが俺の夢だ。
Vinyl Spin Music Storeの売上は、ここ5年で下がり続けてる。
灰谷が入ってくれてからは、あいつの人気で持ち直してきた。それでも全盛期と比べたら、落ちぶれたと言われても何も返せねえ。要するに、俺には店長としての器がなかったと思われてんだ。
俺は店を辞めて、夢を追うべきだ。
タカさんの言いてえことは、要するにそういうことだ。
「俺も34だしさ、現実を見なきゃいけねえんだよ。夢追っかけるには、もう遅えんだ」
「バカヤロー!」タカさんが吠えた。
「まだ若かったお前に歴史ある店を任せっちまったのは俺の責任だと思ってるよ。マジで悪かった。でもよ、あの頃のお前は熱いスピリットに溢れてた! 今みてえに惰性と言い訳で生きてるだけのボロ雑巾じゃなかった!」
タカさんは顔を真っ赤にしながら続ける。
「俺はよ、あの頃のお前のギラギラした輝きをまた見てえんだよ! 憶えてるか? お前が必死に新しい音源を探しまわってよ、気に入った曲が見つかりゃ店中に響き渡るような大音量で流してた、あの頃を! 客が来ねえ日も、お前は店番すんのが楽しくてしょうがなかったんだ。あのときのお前はどこいったんだよ!」
ため息がこぼれ出た。
「……それさ、この間も聞いたよ。何度言われても、俺は変わらねえよ」
かつての情熱はどこにいったのかって? そんなの俺が知りてえよ。あの頃あったはずの日々の眩しさが、今の俺にはもう見えねえんだ。
こんな寂れた人間が、夢なんて追えるわけねえだろ。
つらいやり取りだ。こんなの客が聞いたらドン引きするだろうが、今この場には俺とタカさんしかいねえって事実がまたつれえ。
タカさんが帰った後も、俺はぼんやりとレジに立ち尽くしてた。俺は希望を見失ってるんだろうか。
人の夢はどこから生まれて、どこに消えてくんだろうな。
わかんねえ。俺は考えるのをやめた。
レジ裏の壁に飾られたScarlet Revolutionの限定版ジャケットが、無言で俺を見つめてやがる。ルーカス・レッドの愛想悪いにやけ面が、かつての俺のように輝いていた。
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