第四話
団体客が入ってきて、カフェはまた賑わい始めた。真桜が接客に駆け回る。オーナーはコーヒーを淹れながら料理を作り、夫人は主にレジを担当していた。
料理を待つ間、涼介は茉莉花と談話していた。茉莉花は寡黙で表情の変化が少ない性格だが、これまで個人事業を営んできた涼介は、様々なタイプの人間との会話に慣れていた。
窓の外からは、商店街を行き交う人々の賑やかな喧騒が聞こえた。日常的な平日の昼下がりだ。
「にゃー」
それまで大人しくしていたジョシュが声を上げた。彼は事務所の外では普通のネコを演じている。
「なんだ? 腹減ってんのか、お前」
そう言ったのは、先程まで真桜と話し込んでいた男性客だった。どうやら、洗面所に寄った帰りらしい。
突然見知らぬ人間に話しかけられ、茉莉花は眉をひそめた。
一方、人懐っこいジョシュは男性の足元に擦り寄り、好奇心たっぷりの眼差しで彼を見上げた。
男性は一瞬戸惑ったが、すぐに優しい声で応じた。
「なんだよ、可愛いヤツだな、お前」
痩せた男だった。色褪せた金髪が鋭く天を指している。首元には南京錠が垂れ下がり、手首には刺々しい腕輪が巻かれていた。ダメージ加工された彼の服からは、濃い煙草のにおいがした。
涼介は彼の尖った装飾品を見て、少し身体を仰け反らせた。
「ネコって何食べんだ?」
男はぶっきらぼうな口調で涼介に訊ねた。
「俺、ネコ飼ったことないからわからないっす……」
涼介が申し訳なさそうに答えると、一同の視線が茉莉花に集まった。彼女は淡々と答えた。
「こいつ何でも食べるよ」
「にゃっ!?」ジョシュは目を丸くし、ひげを震わせた。
「お前、雑食なのか!」と、男が愉快そうに笑う。
ジョシュは反論したかった。自分は雑食なのではない、ただ好き嫌いがないだけなのだと。
しかし、今は普通のネコのふりをしなければならない。 ジョシュは歯を食いしばり、必死に不満を隠そうとした。
男には、そんなジョシュの内なる葛藤など知る由もない。彼は「なんか人間臭いヤツだな、お前」と愉快そうに笑い、ジョシュの頭をぐしゃっと撫でた。
和やかな雰囲気のテーブルに、真桜が料理を運んでくる。
涼介はカレーライス、茉莉花とジョシュはサンドイッチを注文していた。このお店のフードメニューには、カレーとサンドイッチしかない。
男は涼介の前で湯気を立てるカレーを見て、にやりと片頬を上げた。
「ここのカレーうめえよな。俺は週3で必ず食いに来てんだ」
「マジっすか! 大ファンじゃないっすか!」
涼介が驚くと、男はふっと息を吐き、真桜の背中をちらりと見た。そして、「まあな」と呟いた。
男の頬に微細な熱が走った瞬間を、涼介は見逃さなかった。彼の情熱の矛先は、オーナーの手作りカレーだけに向いているわけではないようだ。
複雑なスパイスの香りが鼻腔を刺激し、涼介の意識をカレーに引き戻した。温かな香りが食欲を誘う。
彼は絶妙な配分でカレーとライスをスプーンに乗せた。ゆっくりと、口へと運ぶ。
香ばしいクミン、ほんのりと甘いシナモン、爽やかなカルダモンをミックスしたガラムマサラに、不思議な隠し味が巧妙に絡み合い、一口ごとに新たな風味が感じられる。
多彩なスパイスから生まれる深みある味わいが、幾重にも重なって味蕾の上で豊かに広がる。カレーのピリリとした辛味をライスがふんわり包み込む。
まさに絶品だ。涼介は思わず舌鼓を打った。
ふと、はるりが作ってくれた家庭的なカレーを思い出す。彼女は料理上手だった。オーナーのカレーとは異なる類の美味しさがあった。その懐かしい温かみを、涼介は恋しく思う。
ジョシュは早くもサンドイッチを平らげていた。早食いしたせいか、具材が喉に詰まって呻いている。
一方、茉莉花は黙々とサンドイッチを頬張っていた。
彼女の冷淡な視線を感じ取った男は、「邪魔したな」と言って、自分の席に戻ろうとした。
「おっと、すまねえ」
男はジョシュのために水を持ってきてくれた真桜とぶつかりそうになった。愛らしさが凝縮された大きな瞳に、男の気恥ずかしそうな顔が映り込む。他の常連客がわざとらしく咳払いをした。
「あ、えっと、そういえば、さっきの話だけどさ……」
男がしどろもどろに何かを言いかけると、真桜は彼の言葉を遮るような大きな声を上げた。
「あ、そうだ!」
「な、なんだ?」
「あの事件の話ね、茉莉花ちゃんたちに相談してみたらどうかな?」
まるで名案を思いついたかのように、真桜は両手を叩いて、目を輝かせた。
「茉莉花ちゃんたちはね、どんな事件も解決する凄腕の名探偵なんだよ!」
「こいつらが名探偵……?」男は訝しげな表情を浮かべた。だが、期待に輝く真桜の笑顔を見て、すぐにそれを改めた。
「そうだな。悪いけど、メシ食ったら俺の相談に乗ってくれ」
男の声には、これまでとは違う、何か重たい響きがあった。
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