概要
自己愛を狭義の意味で悪しきものとみなす。真の自己愛は宇宙と連動している
すなわち生きながらの眠りの世界である。これ又、ピュロンにおいては馬耳東風にすぎない。心頭滅却すれば火もまた涼し、である。言葉は使用法でいかようにも変化させうる。
ピュロンと同時代に生きた人物でディオゲネス(前四四四 ~ 三二三)を対置させると痛快である。彼は女々しさを一切拒否する。「人は理性をもたねばならぬ、でなければ首つりひもをもたねばならぬ。」と。
眠りという平安を説く「徳」の賢者に対して二ーチェはかく言う。
「彼の知恵は、目覚めていることを、よく眠るための手だてにせよ、ということである。そしてまことに、生になんの意味もなく、私が無意味を選ばねばならぬとしたら、私にも彼等のこの知恵は、最も選ぶに値する無意味であろう。」(ツァラトゥストラ、手塚富夫訳)と。
非常に明快である。さらに歩を
ピュロンと同時代に生きた人物でディオゲネス(前四四四 ~ 三二三)を対置させると痛快である。彼は女々しさを一切拒否する。「人は理性をもたねばならぬ、でなければ首つりひもをもたねばならぬ。」と。
眠りという平安を説く「徳」の賢者に対して二ーチェはかく言う。
「彼の知恵は、目覚めていることを、よく眠るための手だてにせよ、ということである。そしてまことに、生になんの意味もなく、私が無意味を選ばねばならぬとしたら、私にも彼等のこの知恵は、最も選ぶに値する無意味であろう。」(ツァラトゥストラ、手塚富夫訳)と。
非常に明快である。さらに歩を
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