第3話 不安な森の陰

 村を出てから数日が経った。広がる大地を歩きながら、私は自分の心に湧き上がる不安を何度も押し込めていた。目指す「シェルカの遺跡」までの道のりは、まだまだ遠い。けれど、父の教えがある以上、怯むわけにはいかない。


 その日、私は古びた地図を頼りに近道を探していた。地図に記された森を通れば、予定よりも半日ほど早く目的地に近づけるはずだった。


 しかし、その森に足を踏み入れた瞬間、私は後悔し始めた。


「……暗い」


 昼間だというのに、森の中は異様なほど暗く、木々が生い茂り、日差しをほとんど遮っていた。冷たい風が頬を撫で、鳥の鳴き声すら聞こえない。足音がやけに響くたびに、背筋に寒気が走る。


 それでも私は進んだ。剣士としての誇りが、こんなところで怯えてはいけないと囁いている。


「……まずいな」


 気がつけば、道らしい道はなくなっていた。地図に載っていたルートは不正確だったのかもしれない。


 それでも戻る選択肢はなかった。どちらにせよ進むしかない――そう決めたその時、不意に耳に届いた音があった。


「カサ……カサカサ……」


 振り向くが、そこには誰もいない。だが、確かに何かがいる気配がする。


「誰かいるの?」


 剣の柄に手をかけながら声を上げる。返事はない。


「……気のせいか」


 自分にそう言い聞かせ、再び歩き始めた。だが、その瞬間、背後から鋭い殺気が襲いかかってきた。


 振り向くと同時に剣を抜く。その刹那、目の前に現れたのは黒い毛皮に覆われた獣――いや、魔物だった。


「こんなところに……!」


 牙をむき出しにして襲いかかってくるそれは、人間よりも大きく、異様な力を感じさせた。


 私はすぐに身構え、剣を構える。魔物の跳躍は速く、その巨体が迫るたびに息が詰まる。


「――来い!」


 叫びながら剣を振り抜く。剣先に纏わせたわずかな魔力が、魔物の鋭い爪を弾く。だが、その衝撃で体勢を崩してしまった。


「くっ……!」


 足元がふらつきながらも、間合いを取り直す。魔物は再び吠え声を上げ、私に襲いかかる。


 一撃一撃が重い。父との稽古を思い出しながら、魔物の動きを冷静に見極める。それでも、その巨体に押し切られそうになる。


「ここで負けるわけにはいかない……!」


 私は自分に言い聞かせ、剣を強く握り直した。魔物が次に跳びかかってくる瞬間を狙い、一気に斬りかかる。


「はあっ!」


 剣の一閃が魔物の首筋を捉えた。黒い血が飛び散り、魔物はその場に崩れ落ちた。


「はぁ……はぁ……」


 息を整えながら、倒れた魔物を見下ろす。その体から漏れ出る魔力が、空気を重くしている。


「……思ったより強いじゃないか」


 不意に背後から声が聞こえた。


 振り返ると、そこには黒いフードを深く被った人物が立っていた。手には長い杖を持ち、その先から微かな光が漏れている。


「あんた、誰?」


 私は警戒心を露わにして尋ねた。


「名乗るほどの者じゃない。ただ、この森で魔物を狩っているだけさ」


 その声はどこか落ち着いていて、敵意は感じられなかった。それでも、私は剣を構えたまま動かない。


「この森は危険だ。お前のような若い剣士が入るべきではない」


「私には通らなきゃならない理由がある」


 フードの男は一瞬だけ沈黙し、それから小さく笑った。


「目的地はどこだ?」


「……シェルカの遺跡」


 その言葉を聞いた途端、男の雰囲気が僅かに変わった気がした。


「ほう、あそこを目指しているのか。それなら忠告しておこう。遺跡に入るのは、魔物と戦う以上の覚悟が必要だぞ」


「覚悟ならある」


 私は毅然と言い放った。


 男はそれ以上何も言わず、ゆっくりと背を向けて森の奥へと消えていった。その背中が見えなくなった後も、私はしばらく立ち尽くしていた。


 この森での戦いは、私に剣士としての未熟さを痛感させた。だが、それ以上に心に残ったのは、あの男の言葉だった。


「覚悟はある……か」


 森の奥には何が待ち受けているのか。胸の中にわずかな不安を抱きながら、私は剣を握り直し、再び歩き出した。

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