張飛ちゃんリトライ!

ぎあまん

張飛ちゃんリトライ!



 音が地面を擦っている。

 人々の声。

 悲鳴。

 怒号。

 命乞い。

 嘲笑。

 呼び声?


「姫様! 姫様ぁぁっ⁉︎」

「あん?」

「はっ、え? 姫様! ご無事なのですか?」

「姫様って? なに言ってんだ?」

「え?」


 地面を擦るように聞こえるのは、自身が地面に寝ていたからか。

 小石が突き刺さって体のあちこちが痛い。

 この程度が辛くなるか……歳を取るとやっぱりダメだなと思いながら、起き上がる。

 鼻をヒクつかせ、空気と臭気を取り入れる。

 音と臭いだけで状況がわかる。

 ここは戦場だ。


「んだ? いつの間に進軍したんだ?」


 そんなに深酒をしていたつもりはないんだが。

 とはいえ義兄の仇討ち戦に向かうのだ。

 気合いを入れねばと、配下を叱咤したところまでは覚えている。

 その後の記憶がないが、気合いを入れて酒を飲み過ぎてしまったか?


「酒で記憶をなくすとは、情けねぇ」


 落馬でもしたのか地面で寝ているし、周囲は大混乱だ。

 この雰囲気は負け戦か?

 は、情けねぇな。

 まぁだが、そんなもんだろう。

 このところ勝ち戦が続いて勘違いしている連中もいるが、そもそも自分たちはここ一番の戦には勝てないのだ。

 そういうもんだ。

 義兄の仇討ち戦だって負け戦で終わる。


「まったくらしい話じゃねぇか」


 ぐだぐだと落ち込む長兄を慰めるのが面倒なだけだ。


「あの、姫様」

「ああん。だから……誰のことだよ?」


 女が戸惑いながら話しかけてくる。

 そもそもなんでこんなところに女がいる?

 いやというか……なんだこいつ?

 赤い毛?

 顔立ちがなんか違うぞ?

 なんでこんなに肌が白い?

 そういえば、軍師の嫁が、こんな感じだったな。


「姫様? あの、大丈夫ですか?」

「お前、誰だ?」

「へ?」


 ん?

 声がなんかおかしいな。

 変に高いというか細いというか。


「なんで、俺のことを姫様なんて言う?」

「ひ、姫様?」

「なんかの悪口か? 笑えねえぞ」

「な、なにを言っておられるのですか? ああ、やはり頭を打たれたのですね。姫様おいたわしや」

「だから、俺は男だよ」

「こんな可憐な男性がいるものですか!」


 そう叫ぶと、女は俺に手鏡を突きつけた。

 戦場で手鏡を出してくるとは、この女もなかなか肝が据わっていると感心し……なんだこれ?

 鏡の中には長年見続けた顔がある……はずだった。

 妻を一目で落とした、美周郎なんざ相手にならないような美形だった姿はいまは昔。

 暴飲暴食に耐えられなくなった虎髭デブがそこにいるはずだったのだが。

 違う。


 そこにいるのは金の髪に青い瞳で、目の前にいる女よりもさらに白い肌の細っこい女……いや、小娘だった。


「あなたはバータレス王国の第一王女、ハルヒ・セファーナ・バータレス様なのですよ! 思い出してください!」

「は?」


 …………なんだそりゃ?






 バータレス王国は危機に瀕していた。

 周辺国家の戦乱に刺激されたのか、火山地帯を支配する大怪物『赤華帝マグラディア』が目覚めたことで連動噴火が起こり、流出したマグマに追い立てられる形で周辺の魔物による大暴走が発生した。

 火山地帯に近かったバータレス王国は、その被害を最も受けた。

 王都はマグマに呑まれ、王族さえも着のみ着のままで逃げ出さねばならなかったという有り様だ。

 護衛がいて、馬車に乗り込むことのできたハルヒ姫は、まだ幸運だったのだろう。

 だが、逃げ出す民の渋滞に飲まれて動けなくなったところに、魔物の襲撃を受けて大混乱に陥り、ハルヒ姫は馬車から放り出されることとなった。

 そうして、この女……お付きの侍女だというマイラに心配されていた、と。


「なるほどな」


 立ち上がって体のあちこちを動かしているうちに、マイラの話を聞き終えた。

 大きな怪我はない。

 体の動きにおかしなところはない。

 腕の細さからしたら貧弱な体のはずだが、妙に力があるように感じられるのだけは変だ。

 だが、見た目通りに箸すら持つのに苦労するような弱さである方が、俺にとっては最悪だ。

 それなら、力がある方がいいに決まっている。


 なんの因果か、劉玄徳の義弟であるこの張翼徳様が、見知らぬ人種の国の姫様だと?

 仙人の見せる夢にしたって碌なもんじゃない。

 まぁだが、夢だなんだと頭を抱えて動けなくなるのは俺の性じゃない。


「武器発見」


 馬車の下敷きになった護衛が持っていた剣と槍をもらう。

 んん、槍というよりは呂布の持ってた方天画戟みたいだ。


 ……ムカつくな。


 俺様の蛇矛はないのか?

 ないな。

 くそっ。


 まぁ、俺様の武器の方が扱いが難しいってことだな。

 余人には使いこなせんよ、余人にはなぁっ!


 と、イキったところで周囲には見ている者もいない。

 皆、逃げるのに必死な様子だ。

 倒れた馬車が壁になって、逃げる者たちの流れを遮っていなければ、俺たちもこんなところでのんびりとはしていられなかっただろう。


 ブヒヒヒヒヒヒイッ!


「この、妙に腹の立つ笑い声はなんだ?」

「オ、オークの吠え声です」

「オーク?」

「ああ、オークなどに捕まってしまっては大変なことになります。早く逃げなければ」


 マイラがオークとやらをえらく恐れている。

 魔物か。

 一体どんな連中なのかと思っていると、逃げる人々の列が割れて、それが見えた。

 豚頭の大男が群れをなしてこちらにやってくる。


 大男だとわかるのは、そいつらがなにも着ていないからだ。

 人の形を真似ているくせに、服を着る文化は真似ることができなかったらしい。

 無様な連中だ。


 ブヒヒヒヒヒヒイッ!


「ああっ⁉︎ うるせぇよ肉が!」


 豚どもは手に持った棒切れを武器のつもりで握っている。

 そこらの山賊の方が、まだマシな格好をしているというもんだ。

 そんな連中を恐れる理由も、躊躇する理由も欠片として存在しない。


「死ねや!」


 槍をかまえて前に出る。





 その時、ハルヒ姫の侍女マイラは信じられない光景を見た。

 バータレス王国の妖精姫と呼ばれ、その美しさとたおやかさを周辺諸国からも賞賛されたハルヒ姫が、路地裏のチンピラのような言葉を放って、しかも槍を持ってオークに向かっていった。


 それだけならば、ある意味で姫という型に押し込められて隠れていた一面が露出したとでも思うことができただろう。

 だが、その後のことはどう説明する?


 守ってもらうことが当たり前の王家の姫が、槍……斧槍ハルバードを振るい、しかもオークをまとめて薙ぎ払っている。

 血の風が舞い、悲鳴が渦を巻き、恐怖が放たれている。

 オークたちは明らかに動揺し、しかし後から押し寄せてくる同類たちによって逃げることもできずにいる。

 そんな魔物たちを、ハルヒ姫が次から次へと薙ぎ払っていく。

 縦に横にと切り分けていく。

 あの重そうな長い斧槍を片手で振り回し、掻い潜って近づいてきたゴブリンに対して、利き腕ではない左腕で剣を抜き、こちらも骨ごと断っていく。

 なにが起こっているのか、マイラにはなにもわからない。


 わからないけれど、それでもはっきりとしていることが一つある。

 とりあえず、今日のところは命を伸ばすことができた。

 それだけは、確かだ。





「あ、あの、本当に食べるんですか?」

「ああ? 豚なんだから食えるだろ」


 とりあえずの戦いは終わった。

 魔物の群れはまだどこかに向かって移動しているようだが、少なくとも俺がいる場所に襲いかかっていたものに関してはいなくなった。

 残っているのは死体だけだ。


 そして、いまの俺たちには食いものがない。

 だからオークの肉を食う。

 別におかしな話じゃない。


「これでも元は肉屋だ。捌くのは任せろ」

「バータレス王家は肉屋ではありません!」

「おっと、そうだったな。はっは!」


 腹を割いて臓物を落として肉を分けていく。

 壊れた馬車を砕いて作った薪に意識を向けて指を何度か鳴らすと、そこに火が生まれた。


「むう、妖術が使えるようになった」

「なにを言うのですか、それは魔法です!」

「魔法?」

「妖術などではありません!」


 ぷりぷりと怒るマイラだが、妖術と魔法の違いが俺にはわからない。

 なんとなく、できると思ったのだが、どういうことだろうか?


「姫様は王族なのですから、魔法も使えます! お願いですからそこは間違えないでください」

「お、おう」


 必死に願われては頷くしかない。

 そんなことより、火が落ち着いてきたので馬車の残骸で作った串に肉を刺し、火で炙る。

 国は違えど肉ならどんな虫が潜んでいるかわからない。

 よく焼いて食うべきだな。

 馬車の中に調味料などもあったので、それも使った。

 塩はわかったがそれ以外はよくわからん。

 だが、味見した限りでは毒ではないし、良い風味が付きそうだ。


 脂が滲み出して泡を吹くようになってくると、美味そうな豚の焼ける匂いになった。

 やはり豚だな。

 短剣で端を切り、中まで熱が入っているのを確認してそのまま口に入れる。

 噛む。

 美味い。

 豚よりはやや癖が強いか?

 だが、その強い癖がまた、良い。

 噛むほどに美味さが増すようだ。


「姫様、そのような食べ方……」

「ここでどんなお上品な食べ方ができるってんだ?」

「それは……」

「諦めて、食え」


 短剣を渡すと、マイラはしばし悩んだ末に俺の真似をして食べ始めた。

 最初は険しい顔付きだったけれど、その内、慣れないながら必死に食べ始めた。

 美味かったのだろうし、腹が減っていることにも気付けたのだろう。


 周りには誰もいない。

 一緒に逃げていた連中は、俺が魔物を殺している間に逃げていった。

 まぁそれでいい。

 弱い者がいつまでも戦場にいるもんじゃない。

 逃げられるだけ逃げろ。


「あの……あなたは、ハルヒ姫様、なのですよね?」


 串に刺した肉を食べ切ったところで、マイラがそう尋ねてきた。


「……知らん」

「では、あなたはどなたなのですか?」

「俺様は燕人張飛。字は翼徳。劉玄徳の義弟にして蜀の車騎将軍だ」

「は? え? は?」


 俺が言ったことを、マイラはまったく理解できなかった様子だ。


「知らんか? 漢の国だ。そこで戦が起きて、国が乱れて……いろいろあって兄者の蜀ができたんだが」


 そこまで言って、はたと気づいた。

 いや、思い出した……のか。

 もう一人の義兄、関雲長が呉との戦に敗れて首を晒し、その報復戦の準備をしていたのだった。

 苛立ちで酒が止められず、失敗をした配下を怒鳴り散らし、時には棒で打った。

 そうして酔って眠ってしまい、物音に目が覚めた時に見えたのは……部下の張達と范疆の姿だった。

 奴らは二人とも剣を振り翳し……。


「ああ、あれで死んだのか」


 まぁ、妥当な終わり方か。

 配下に優しくないことを、よく兄者に注意されていた。

 だが、止めなかった。

 酒だって止めていないのだ。

 それで徐州を失った。

 ならば自分の命を失うのだって、妥当なことだろう。


 呉との戦はどうなったのか?

 勝ったのか、負けたのか。

 まぁ、あの軍師ならどちらにしろ上手く立ち回ってくれるだろう。


 その後は……。

 もう、想像ができないな。


「まぁ、そんなわけだ」

「え、ええ……それではハルヒ姫は」

「この体の本来の持ち主か。それのことは、俺にはわからん」


 気付けばこうなっていたのだ。

 俺にわかるはずがない。


「姫様……」


 彼女が死んだと受け取ったのか、マイラは静かに嗚咽を漏らした。

 俺は次の肉を食い、この先のことを考える。

 張達と范疆のことはムカつく。

 いずれ地獄に落ちた時には、鬼どもを従えてあいつらをいたぶりに行くとしよう。

 だがいまは、生きている。

 ならば生きている先のことを考えればいい。


 だが、どうする?

 ただ生きるだけか?

 己という人間の因果をすでに知ってしまっている。

 同じような生き方をしていれば、いずれ同じような結末を迎えることになるだろう。

 それでいいのか?


 居場所の定まらない人生だった。

 国が乱れ、それを正すのだと劉備に付いて諸国を回った。

 平原の相に落ち着いたかと思えば、曹操の横暴を止めるために徐州へと向かい、そして徐州を失う。

 曹操との敵対が決定化し、袁紹や劉表を頼って北に南に流れた。

 その末でなんとか荊州と巴蜀、漢中を得て落ち着いたかと思ったが、結局のところ俺自身はなにかが変わったわけでもなく、昔と同じ失敗をして今度は命を失った。


 己の強さに絶対の自信があった。

 だが同時に、それが個の強さでしかないこともわかっていた。

 軍を率いる万人の将の強さではない。

 人をうまく扱えない。

 先頭を走って、その後に付いてこさせるだけで精一杯だ。

 だから、その苛立ちが配下を打擲することに繋がってしまった。


 万人の敵などと言われたところで、俺にできることは橋の番人程度のことだ。

 兄者だってそれがわかっていたから、俺を漢中の太守にしなかった。

 魏と接する要地を任せるには頼りない。

 いざという時に使えない人物。

 腕っ節が強いだけ。

 関雲長のように名を馳せるということもできない。

 劉玄徳のように人徳の心で民に慕われることもない。

 二人の後ろにいただけの男。

 それが張翼徳という男の全て。


 否定はできない。

 俺は、そういうことを繰り返してきたのだから。


「けっ」


 口に入った豚の骨を暗い感情ごと火の中に吐き捨てる。

 暗く考えるのはここまでだ。


 どうせ前に進まねばならんのなら、幽鬼のように進んでいても救いなどありはしない。

 どう悩んだところで、俺の手が握るのは槍でしかない。


「おい、暗くなっていてもしょうがねぇ。明日からどうするかを考えろ」

「……そうですね」

「うん?」


 意外に早くマイラが応じたことが意外だった。

 彼女は顔を上げてまっすぐに俺を見る。


「その体の中から姫様が消えたなんて、私は信じられません。必ず、姫様は戻ってきます。ですから、私はあなたに付いていきますので」

「……ああ、そうかい」


 やる気があるのはいいことだ。

 それに、俺だって女の体で生きていたいわけでもない。

 ハルヒ姫とやらが戻ってくるというなら、それはそれでいいだろう。

 それまでは、生き残ってやるさ。




 それから数日、俺たちは歩き続けた。

 襲ってきた魔物を倒して食らう日々でもあった。

 食い物がそれしかないのだから仕方がない。

 時々、逃げ遅れた連中の死体から、使えるものをもらうこともあったが、ほとんどが役立たずだった。

 無事な水筒があれば幸運というぐらいだ。


 魔物が溢れているから食い物には困らなかったが、飲み物は厳しかった。

 魔物の本隊は俺たちよりも先に進んでしまったようで、対処に困るほどの数に襲われることもなく三日ほど歩いた先で……。


 再び、混乱にでくわした。

 向かっていた隣国に入るには、この橋を使って川を越えねばならないのだが、そこが避難民で溢れかえっていたのだ。


「帰れ帰れ! ここから先に通すわけにはいかん!」


 民の怒号のような訴えを押し留めているのは、隣国の部隊を率いる騎士とかいう男たちだ。


「お前たちは我が国の民ではない。たすける理由はない!」


 騎士どもの言い分はまったくの正論ではある。

 だが、それでは民は救えない。


「失礼する、騎士殿!」


 俺は民を押し除けて前に出ると、拱手して騎士に話しかけた。


「な、なんだ小娘?」


 おっと、そうだ。

 俺は張飛じゃないのか。


「俺はハルヒ! 姫だ。我が国の民の窮状をなんとか救いたいと願いここに来た。どうか、願いを受け入れて、彼らを通していただきたい!」

「ひ、姫? ハルヒ姫?」

「え? 妖精姫?」

「…………」

「…………」

「ん?」

「「ふざけるな!」」

「貴様のような薄汚い格好の娘があの妖精姫な訳があるか⁉︎」

「しかもなんで槍なんか担いでいる? ありえんだろう!」

「魔物に襲われて気でも違ったか!」

「分を弁えろ、卑しい流民めが!」

「……ひでぇ言われようだな」


 確かに最初に着ていたドレスとかいう服は動きづらいだけだったので、適当に死体から剥ぎ取った物に着替えているし、ここ数日ずっと歩きっぱなしだったから土や埃で汚れているし、魔物の解体なんかもしているから血やらなんやらの汁もかかっているだろう。

 だが……。


 だから姫ではない?


「愚か者がぁぁぁぁっ!」


 俺が吠えると、目の前にいた騎士どもが揃って腰を抜かした。


「窮状にある者たちが身綺麗にする余裕などあるはずがなかろう。ないほどに飢えているからこそ救わねばならん! それこそが君子の徳、仁義の道だろうが! 貴様ら、そんな性根でよくも人の上に立つなどと言えたものだなっ!」

「「なっなっなっ!」」

「もはや貴様らなど当てにはせん。ただこの地を突き進むのみだ。行くぞ皆の者! 行くか死か、我らにはそれしか残されておらん!」


 最初は呆気に取られていた背後の民たちの気配が、ある瞬間から変化していくのを背中で感じた。

 取るものも取り合えずに逃げ出した者たちだ。

 進めなければ死ぬしかないのだ。

 ならば進むしかないだろう。


「ひ、姫様、無茶をなさらないでください!」

「無茶なものか」

「だけど」

「人の上に立つ者であれば、人の心を掴まねばならん。人のために身を捨てること。それができるからこそ、人の上に立つのだろう!」


 ああ。

 劉玄徳はまさしくそういう男だった。

 いまこそ自覚した。

 俺はただ、その背中を追いかけ続けた民の一人だっただけだ。

 あの時、兄者に出会っていなければ、頭に黄色い布を巻いてどこかでのたれ死んでいただけに違いない。

 そうならなかったというのに、言うことを聞けなかった。

 理解できなかった。

 その悔いが俺をここに置いているのかもしれない。


「さあ、行くぞ!」


 槍を振り上げて進軍を命じたその時……。


「魔物だぁぁぁぁっ!」


 後方から新たな悲鳴が聞こえた。


「魔物の大群が、こっちに来ているぞっ!」

「そんなまさか!」

「魔物の群れは要塞で引きつけているはずだ」

「まさか、要塞が抜かれたのか?」

「そんなはずが……」


 騎士たちが腰を抜かしたまま慌てふためいている。

 地理はわからないが、こいつらは要塞という場所で魔物の群れを抑えていたのか。

 それがこちらにやってきた。

 一部だけなのか、それとも要塞が落ちて全部が来たのか。


「ちっ」


 ざわつく民たち、狼狽する騎士ども。

 どちらにも舌打ちを浴びせて、俺は騎士の一人に近づいた。


「な、なんだ?」

「いい馬だ。よこせ」

「はっ、なっ!」


 反応の悪い騎士を斧槍で引っ掛けて落とし、馬に乗る。

 馬は少し不快そうにしたが、腹を締めると大人しくなった。

 主人と認めたらしい。

 乗り手に反して良い馬だ。


「負け犬にはもったいない。俺様が使ってやる」

「なっ!」

「聞けいっ!」


 今度こそ槍を振り上げ、全員に声を届ける。


「ここに俺がいる! この橋から先に魔物はいかせん! だから安心して進め!」


 そう叫び、魔物がやってくる側に戻っていく。

 ああ、長坂橋だ。

 まさかまたやることになるとはな。


 だが、それもまたいいだろう。

 万人の敵。

 橋の番がせいぜいの男だ。

 それぐらいがちょうどいい。


「姫様!」

「行けっ!」


 マイラに叫んだ時には、すでに魔物どもがすぐそこにまで迫っていた。


「バータレス王国のハルヒだ! かかって来い! 殺してやるぞ!」


 俺の声を浴びた魔物どもは一度だけ足を止めた後、興奮して迫ってきた。

 それから、俺は斧槍を振り回し続けた。

 魔物を切りに切った。

 突きに突いた。

 石突きで踏み潰し、馬蹄で踏み躙った。

 疲労は燃えるような気が体外に押し出していき、無限に動くことができた。

 魔物の死体が周囲に積まれて壁となり、血が川となって橋の下に落ちていく。

 蹴り落とされる死体によって川が埋まってしまうほどだった。


 だが、魔物は川を越えることを目的としなかった。

 奴らの目的はただ一つ。

 俺だ。

 俺だけとなっていた。

 俺を殺すことが、この場にいる魔物たちの本懐となっていた。

 

 体からなにかが溢れてくる。

 気だと思っていたが、違うのか?

 これが魔力か?

 魔法か?

 斧槍に雷が迸る。

 槍先が赤熱し、血脂を燃やす。

 この魔力が魔物たちを吸い寄せる。

 焚き火に寄せられる羽虫のようなものか。

 それとも美味いご馳走にでも見えているのか?

 どちらでもいい。

 結果は同じだ。

 炎に炙られる羽虫のように殺していくだけだ。

 いくらだって魔物の山を作ってやろう。

 死山で川が堰き止められるなら、お前たちの血河で足を阻んでやろう。

 お前たちが尽きるまで、民が無事となるまで、俺はここでお前たちの死となってやろう!

 腹が減れば魔物の肉を穂先の炎で炙ってくらい、喉が乾けばお前たちの血を啜ればいい。

 俺は無限に戦えるぞ!


 さあ、いくらでも。


「もういいのです!」


 突然に、そんな声が背中に刺さった。


「んあ?」


 マイラだった。

 逃げずにずっと後ろにいたのか?

 肝が据わっているな。

 たいしたもんだ。


「もう、民たちは皆逃げられました! ですから、姫様も!」

「……おお、そうか」


 しかし、マイラのその言葉は俺の興を削ぐものだった。

 とても気分良く戦っていたのにな。

 ああ、まったく残念だ。


 槍を振るのを止め、魔物たちを威圧しながらマイラのところまで下がると、槍の一閃を橋に当てた。

 石の橋はそれで半ばまで崩れる。


 魔物はそれなりに減った。

 これでしばらくは侵攻も止まるだろう。


「マイラ」

「はい」

「寝るぞ」

「え?」





 ハルヒ姫がそう言った途端、馬がその場で足を折って座り込んだ。

 馬はその姿勢で、上に姫様を乗せたまま眠ってしまっている。

 姫様もまた、馬の首に頭を押し付けて大いびきで眠り出した。

 だが、その手は斧槍から離れない。

 休息はしているが、戦いから抜け出していないことを示している。


「なんで、こんな……」


 マイラにはわからない。

 姫様がどうしてこんなことになってしまったのか。

 王族として膨大な魔力はあれど、魔物を倒すなんてとてもできそうにない方だったというのに、いまはその面影は微塵もない。

 本性を隠していたのか?

 いや、そんな生やさしい変化ではない。

 ではやはり、この方の言うとおりに魂そのものが変化してしまったのか?

 どことも知れぬショクという国の、将軍の魂と入れ替わってしまったのか?

 では、本物のハルヒ姫様の魂はどこに?


 ああ、だけど、だけど……。


 魔物の壁となって戦うその後ろ姿にマイラは惹きつけられていた。

 国に入ることを拒む騎士たちを相手に怒鳴りつけた時の態度に、心を打たれた。


「この方は、民のために身を捨てられるのね」


 美しい可憐な妖精姫の魂はもうないのかもしれない。

 だけど、新たに入ったその魂は、粗暴なだけでなく、民のために身を捨てることのできる王者の性質を宿しているのだ。

 そのことに、マイラはたまらない気持ちとなる。

 尊敬できる主人がそこにいることの喜び。

 だけどこのままでは、主人として愛した妖精姫が戻ってこないことを受け入れないといけない。


 その相反する感情にもみくちゃにされていると、人の気配が近づいてくるのを感じた。

 振り返れば、逃げたはずの民の一部が戻ってきていた。


「あなたたち……」

「ま、魔物は……?」

「姫様が抑えてくれました。いまはお休みの最中です」

「お、おお……」


 見れば、民たちの手には、木切れや石が握られていた。

 もしかして、戦うつもりだった?

 そんなもので?

 

「なんと、ありがたいことか」

「この方こそが、儂らの姫様じゃ」

「女王様だ」


 次々とそう呟き、手にしていた木切れを放すと、その場に膝を付いて、頭を下げた。

 ハルヒ姫様に向かって。


 その光景は、マイラの葛藤の片側に容赦のない錘を積み上げていく。

 この瞬間、ハルヒ姫様は見知らぬ国の将軍の魂を宿したまま、王となってしまったのだった。

 

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