夜に潜む者

第5話 忍び寄る影

執務室の窓から差し込む陽光が、エステルの金色の髪を優しく照らしている。机に向かう横顔は凛としており、リリアは部屋の片隅でその姿を見守っていた。


(か、可愛すぎる……!陽の光がエステル様を包み込み、まるで女神様が顕現されたかのようだ!)


「エステル様、お茶の時間です」


執務の合間を縫って、侍女が紅茶を運んできた。このところ執務が立て込んでおり、エステルは昼食さえ執務室で取ることが多かった。


「ありがとう」


エステルは優雅に紅茶を手に取る。香り高い蒸気が、書類の山が積まれた執務室に漂った。


(うっ……!その仕草、尊すぎます!でも、よく見ると少し疲れていらっしゃるような……)


そう思った瞬間、リリアの直感が警鐘を鳴らす。

何かが、違う。


侍女の仕草、紅茶を注ぐ手つき、差し出し方――全てが、どこか不自然だった。


「エステル様!」


咄嗟の判断だった。リリアは飛び出すように前に出て、エステルの手からカップを払い落とした。


「きゃっ!」


砕け散る茶器の音が、静寂を破る。


エステルは驚いた声を上げるが、すぐにその表情が引き締まった。床に散った紅茶の表面に、不自然な虹色の膜が浮かんでいたのだ。


「これは……毒かっ!」


リリアは即座に侍女の方を向いた。だが、そこにはもう誰もいない。扉が閉まる音が聞こえる。


「待て!」


リリアは廊下に飛び出すが、そこにも姿はなかった。館内の見取り図を頭に描きながら、逃走経路を推測する。しかし、どの道を取るにしても、すでに時間的な余裕はない。


それに今この場を離れてはエステルを一人にしてしまう。


戻った執務室では、エステルが静かに床を見つめていた。彼女の表情には、深い悲しみが浮かんでいる。


「申し訳ありません、犯人を取り逃がしてしまいました」

リリアは頭を下げる。


「いいえ、リリアさんのおかげで助かりました」

エステルは静かに首を振った。


その言葉の後、エステルは執務机の方に目を向けた。積み重なった書類の一番上には、後継者問題に関する報告書が置かれている。


「私が未熟なばかりに、周りの方々にも心配をおかけしてしまって……」


「とんでもありません」リリアは強く否定する。


「エステル様は立派に――」


そこで言葉を切った。エステルの瞳に浮かぶ悲しみの深さに気づいたからだ。実の兄弟でさえ疑わなければならない立場。それは王族として背負わねばならない宿命なのだろうか。


(こんな辛い想いをさせるなんて……絶対に許さない……!)


リリアの胸の内で、怒りが静かに燃え上がっていた。普段は隠している剣術の腕前も、エステルを守るためなら惜しみなく使うつもりだ。


「リリアさん?」


「あ、申し訳ありません。少し考え事をしておりました」

慌てて表情を取り繕う。


エステルは小さく笑みを浮かべた。その表情には、疲れと寂しさが見え隠れしていた。


(推しの笑顔が曇っているぞ……これは重大事態……!)


「今回の件については、私の方でも調査させていただけないでしょうか」


エステルが驚いた表情を向ける。


「いえ、それは危険です。それに、リリアさんには護衛としてここにいていただきたくて……」


「護衛として、あなたの安全を確保するためにも、黒幕を突き止める必要があります」


リリアは真摯な眼差しでエステルを見つめた。本当は「推しを狙った輩は地の底まで追いかける」という激しい怒りに突き動かされているのだが、そこは心の中にしまっておく。


「分かりました」エステルは小さくため息をつく。「でも、どうか無理はなさらないでください。リリアさんにまで何かあったら、私……」


その言葉に、リリアは内心で悶絶しながらも冷静な表情を保った。


(王女様の優しさが突き刺さる……!でも、今は冷静に……!)


「必ずや、犯人を突き止めてみせます」


リリアはそう誓った。エステルを守るため、そして何より、あの優しい笑顔を曇らせた者を決して許さないために――。

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