第3話 目撃 

「この街に勤めるようになってから8年近く経った」

 ということを感じたのは、数日前に、三十歳という誕生日を迎えたからだった。

 彼の名前は、

「坂口俊太郎」

 と言った。

 坂口は、大学を卒業してから、都心部で就職した。

 高校時代までは、地元にいたのだが、

「一人暮らしをしたい」

 という理由と建前として、

「どうしても、大学生活を都心部で過ごしたい」

 と思っていた。

 そもそも、都心部にこだわることはなかった。

「一人暮らしができればそれでいい」

 と思っていたのであって、その本当の理由は、

「親と暮らしたくない」

 というものだったからだ。

 さすがに、それが理由だということになれば、許してはくれないだろう。

 まだ高校を卒業してすぐであれば、当時としては、未成年である。

 ということになれば、法律的に、

「いろいろな契約は、親権者の同意がなければいけない」

 ということになるのだ。

 つまりは、

「親が、子供の契約を代理する」

 ということで、親はこの場合は、

「法定代理人」

 ということになる。

 だから、

「親が反対している」

 ということであれば、

「一人暮らしをしたい」

 といっても、部屋を借りることもできないというわけである。

 それを考えると、

「高校生というのが、どれだけ力がないか」

 ということになる。

 これは法律的にいえば、

「子供を守る」

 ということで、社会が決めたルールということになるのだろうが、実際にそういう理屈ではないだろう。

 いくら、大学に合格しても、親に逆らってしまうと、何もできないということになり、「大学生は、まだまだ子供」

 ということになるのだった。

 ただ、当時の法律は、

「未成年の場合は、刑法でも、少年法というものが適用される」

 ということであったが、今は、成人年齢が、

「飲酒喫煙以外は、18歳」

 ということになった。

 これは、ありがたいということでもあるが、実際には、

「犯罪の低年齢化によって、少年法だけでは補えない社会になった」

 という皮肉な結果ともいえるだろう。

 もっとも、本当の、

「成人年齢の引き下げ」

 という理由は、別のところにあり、

「選挙権を下げる」

 ということにあったのではないだろうか?

 18歳から」

 ということにすれば、有権者が増えて、投票数も増えるだろうという考えである。

 ただ。これは、

「投票率が増える」

 というわけではない。

「選挙権を得たとしても、選挙に行くとは限らない」

 からだ。

 特に、今の時代のように、

「今度こそまともなソーリ」

 と思って期待して就任したソーリが、

「どんどん亡国に導いていく」

 ということであれば、

「誰がなっても同じ」

 ということであり、

「じゃあ、野党に入れて、政権交代させれば」

 ということになるのだろうが、それこそ、一気に滅亡を意味するというくらいにひどい状態なので、

「投票する政党がない」

 ということになり、結局、

「いってもしょうがない」

 ということになるだろう。

「行ったとしても、結局は、白紙で出すしかない」

 ということであれば、

「いっても同じ」

 ということだ。

 それを思えば、

「選挙権の引き下げ」

 というのが理由というのもおかしなものである。

 というのも、

「選挙における投票率というものが、下がれば下がるほど、与党に有利だ」

 と言われている。

 というのは、

「選挙において、投票率が下がるということは、基本的に、有権者数にほとんど変わりはないということである」

 そして、前提として、

「与党には、一定数の組織票がある」

 ということである。

 もちろん、野党と言われるところにも一定数の支持団体があるので、一定数の組織票は存在するだろうが、実際には、

「与党の足元にも及ばない」

 ということになる。

 特にアンケートにおける支持政党としては、

「野党第一党」

 というものであっても、

「一桁しかない」

 ということで、

「確かに、野党の政党の数が増えすぎて、割れてしまった」

 ということもあるだろうが、ここまで低いと、本当に、

「どこに入れていいのか分からない」

 ということになる。

 与党はといえば、確かにそれなりに政治手腕はあるだろう。しかし、金と権力におぼれて、国民のことをまったく考えていないというところである、

 逆に野党というと、

「与党を攻撃するだけ攻撃するが、それも口だけということで、実際に、じゃあ、どうすればいいのかという代替え案を出すことをしない。こちらも、与党を潰すというところまでは考えているかも知れないが、その後の政権を取ってからのことまでまったく考えていないということになるだろう」

 というのが、今の政治であった。

 そうなると、結局、

「組織票だけの数」

 というものと、それ以外に、一部の投票者の比率が、少々野党に有利だったとしても、もちろんそんなことはあるわけもないので、結局は、

「与党の圧倒的な勝利」

 ということで終わってしまう。

 であれば、

「与党をけん制する」

 という役目を野党が負ってくれているのであれば、それでいいのだろうが、そうではないということで、政治がどれほどひどいというものかと考えると、

「結局は、亡国へとまっしぐら」

 ということになるであろう。

 確かに、昔から、今の与党は、

「金と権力にまみれることで、いろいろな事件を引き起こしてきた」

 とも言われるが、まだ今よりもかなりマシだったといってもいいだろう。

 大日本帝国時代の、政府や軍であっても、

「国を憂う気持ち」

 ということで、

「愛国心から生まれた戦争」

 ということで、今の政府よりも、

「政府としてはいい時代だった」

 といえるだろう。

 あの時代は、今のような、

「占領国に押し付けられた民主国家」

 というものではなく、

「日本国が自らの興亡を掛けて作り上げてきた立憲君主の国」

 という違いだったことで、

「戦争から、国土の焦土化や、民族滅亡の危機に見舞われた」

 ということであるが、

「その時代には、その時代のルールであったり、モラルというものがあったことであろう」

 もちろん、

「それがよかったのか悪かったのか?」

 ということは、

「歴史が答えを出してくれる」

 ということになるかも知れないが、問題は、

「その出してくれた歴史の答えを、我々人間が、歴史が出した答えが何であるかを理解できるか?」

 ということに掛かっているのだろう。

 確かに、

「歴史というものは、人間が作る」

 ということであるが、

「どこまで、人間の作った歴史」

 というものが正しいのかどうか、それを人間が分からないというのは、何とも皮肉なことだといえるのではないだろうか?

 そもそも、

「人間というのは、確かに頭がよくて、高等な動物であろう」

 と言えるが、逆に、

「本能的なものには、疎い」

 と言われるのではないだろうか?

 それを考えると、

「歴史の答えがどこにあるのか?」

 それを、見つけられないことが、それを証明しているといってもいいだろう。

「過去の歴史というものをいかに解釈するか」

 ということが、

「未来につながる歴史」

 というものを作っていくことになるのだが、そのことを理解できているのか、

「歴史を毛嫌いする人もいる」

 特に、

「政治経済というものを勉強しないといけない」

 といっている人の中に、歴史をあまり研究しない人がいる。

「それこそ片手落ちなのではないか?」

 と思えるのだった。

 坂口が都心部の大学に合格した時、両親は、すんなりと、素直に、合格を喜んでくれた。

 だから、最初こそ、

「親は、大学に合格しても、一人暮らしはさせてくれないのではないか?」

 という懸念を抱いていたが、それは、思い過ごしだったのだ。

 というのも、

「普通に考えて、合格しても行かせてくれないのであれば、最初から都心部の大学受験に賛成してくれるはずもない」

 というわけである。

 都心部への受験にしても、

「受験する」

 と言った時、少しでも怪訝な顔をしたわけでもなく、ただ、

「そうか、頑張れ」

 と、口数少なくいっただけだった。

 正直坂口とすれば、父親の、

「口数の少なさ」

 というものに、嫌悪を感じていた。

 というのも、

「面倒くさそうに言っているだけ」

 としか思っていなかった。

 ただ、それが、

「昭和の時代の男だからだ」

 ということに気づいていなかったからであるが、そのことに気づいてしまうと、今度は、

「その物言いが怖く感じられる」

 というものであった。

 特に、小学生時代の高学年から、ずっと、父親から、

「俊太郎。ちょっといいか?」

 と言われた時、ゾッとするものを感じていた。

「恐怖でしかない」

 というその感覚を味わった時、言われることは、小言であろうが、下手に逆らうと、こぶしが飛んでくるという意識しかなかった。

 あれは、中学時代のことであったが、

 その頃、

「正月になると、友達の家で、友達同士が集まる」

 ということがあった。

 遊びに行く時は何も言われなかったので、皆で集まってゲームなどをして楽しんでいたのだが、そのうちに、

「皆泊まっていけよ。夜通し遊ぼうぜ」

 ということになったのだ。

 それを聴いた皆も、

「そうだそうだ。それがいい」

 ということになった。

 そして、友達の母親から、

「じゃあ、皆泊まるということをおうちに話しておいてね」

 ということで、電話を借りて家に連絡をしたのだった。

 中には携帯電話で連絡をする人もいたが、まだまだ中学生で携帯電話を持っている人も少なかった時代なので、友達の家から連絡するということになったのだ。

 皆、一人一人、親から許可を得ていた。

 坂口は最後だったので、皆と同じように、

「今日は友達の家で遊ぶので、泊めてもらうね」

 と言った時、母親から、返ってきた言葉が信じられないものだった。

 最初は、

「お父さんに聞いてみる」

 というものであった。

 しばらくしてから、あった返事には、

「お父さんが早く帰ってきなさいといっているわ」

 ということであった。

「いやいや、皆泊まるということになったのに」

 というと、

「何言ってるの。お父さんが帰ってきなさいといっているんだから、それに従わないと、お母さん知らないわよ」

 ということであった。

 理不尽にも、こちらのいうことよりも、父親のいうことをただ伝えるだけで、

「お父さんが言っているから」

 の一点張りで、しかも、一切の自分の意見も言わず、挙句の果てに、

「お父さんのいうことを聴かないと知らない」

 などと、すべての責任を、自分と父親に向けようとする考えは、

「さすがに、子供とはいえ、納得のいくものではない」

 ということであった。

 もちろん、何よりも理由も言わずに、しかも、自分が電話口に出るわけでもなく、すべてを母親に言わせるというのは、卑怯であった。

 もっとも、父親としては、

「自分が言って、喧嘩になるよりも、母親がなだめる方が説得力がある」

 とでも思ったのか、どちらにしても、子供としては、

「そんな理不尽なことに従えない」

 ということであった。

 ここまでくると、相手の親も、

「私が話しましょうか?」

 といってくれたので、

「お任せします」

 ということでバトンを渡したが、坂口自身の中では、

「五分五分かな?」

 と思っていた。

「さすがに、頑固な親でも、相手の親が出てくれば説得に応じるだろう」

 という思いと、

「いやいや、うちの親はそんな簡単に引き下がるものではない」

 という思いであった。

 そもそも、相手の親が出てきたくらいで引き下がるようであれば、最初から、皆が泊るという状態において、

「自分だけに帰ってこいとは言わないだろう」

 と思ったからだ。

 その時に感じたのは、

「子供には子供の世界があって、それなりのルールがある」

 ということだった。

 だから、

「家族のルール」

 というのもあるであろうが、子供が、これからかかわっていくのは、

「親というよりも、友達の方が比率的には増えてくる」

 と考えると、

「親が、子供のルールにかかわるのはいけないことだ」

 と思ったのだ。

 つまり、

「親は、家族のルールが最優先で、まわりの人とのかかわりは、二の次だ」

 ということを、宣言しているようなものだということであった。

 この時に、それまでにもいくつもあった、

「親に対しても矛盾」

 というものであったが、それ以上の矛盾というものが、初めて感じられたといってもいいだろう。

 結局急いで家に帰らされた。

 その時、父親は、

「ふてくされて寝ていた」

 母親も疲れ果てている。

 どうやら、父親の理不尽な意見を聞かされたのか、それとも、電話の頃からか、いやそれ以前から険悪な関係にあったのか、

「まさか、俺の電話が、それに拍車をかけてしまった?」

 とも思ったが、やはり、

「理由というものはハッキリあった」

 ということであった。

 それは、結局、

「家族のルール優先」

 ということで、それ以上に、友達は二の次ということではなく、

「向こうの家庭の事情が一番大切だ」

 ということからきているのであり、そのことに、坂口自身は、気が付いていなかったということであった。

 次の日は、

「何事もなかったかのように接している親同士」

 だったが、

「坂口は昨日のわだかまりがある」

 ということで、

「気を遣っている」

 というよりも、

「変な状況になっている」

 と思えて仕方がなかった。

 確かにわだかまりというのはあったが、それよりも、目を合わせるのが怖かった。目を合わせることで、

「せっかく今は落ち着いているのに、いまさら昨日の怒りを思いだされてしまえば、取り返しがつかない」

 というくらいに感じていたのだった。

「どうして、子供が親に気を遣わなければいけないのか?」

 というのを考えてみた。

 その頃の友達というと、

「結構、反抗期になっている」

 という話を聞かされた気がしていた。

 まだ、中学一年生くらいだったのと、

「自分は晩生だ」

 と思っていたこともあって、

「反抗期というものがあっても、まだまだ先だ」

 と思っていたのだ。

「どうして自分が晩生だ?」

 と感じたのかというと、

「身体の成長が遅れている」

 ということを、身体検査であったり、悪友からささやかれたりしていたからだった。

 そういう悪友のいうことに対しても、何でも信じてしまうという性格だったこともあって、

「人のいうことには逆らえない」

 という性格がしみついてしまっていた。

 しかも、

「父親の威厳というものを持った教育方針」

 というものに、

「逆らうことは許されない」

 と感じさせられたのであった。

「父親の威厳」

 というものは、

「平成の時代には、なくなってしまった」

 と言われていた。

 坂口の家では、

「食事を皆でしなければいけない」

「食事の最中に、テレビを見てはいけない」

 などというルールが決まっていた。

 それを、

「当たり前のことだ」

 とばかりに感じ、小学生の時代までは育ってきた。

 母親も逆らうことをせずに、今から思えば、

「昭和の母親」

 というもの、そのままではなかった。

 それは、

「父親が、昭和であるということよりも、母親の方が、余計に、昭和だった」

 といってもいいだろう。


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