第4話 威厳と呪縛
「何が昭和で、何が平成なのか?」
ということは正直分からなかった。
しかし、高校時代になって、ドラマなどを見始めると、その頃は、結構、
「昭和の時代」
というものを懐かしむかのようなドラマがあり、それが、
「育んできた歴史」
を感じさせるということで、
「いろいろな世代で楽しめるドラマ」
という政策方針が、当時にはあったのかも知れない。
それを考えると、
「昭和と平成の違いとは何か?」
ということがテーマであり、ドラマ以外のバラエティ番組でも、
「昭和の時代」
ということで、
「懐かしいCM」
「懐かしいドラマ」
というものが紹介され、さらに、
「古い昭和時代のエピソードなどが語られるようになった」
というものであった。
よく出てきたのが、昭和でも、
「もはや戦後ではない」
と言われた時代であった。
ちょうど、東京タワーの建設時代ということもあり、
「住宅の建設ラッシュ」
であった時代である。
この時代は、ちょうど、昭和30年代ということで、
「ちょうど、坂口が育っている時代の、半世紀前」
という時代であった。
その時代では、まだ、道路も舗装されておらず、車も、三輪があった時代でもあった。
そもそも、道路や鉄道などが、整備され発展してきた時代というのは、さらに先の時代だったので、その時代は、
「自家用車などはほとんどない」
という時代だっただろう。
「新三種の神器」
と呼ばれた時代に、やっと、
「カラーテレビ」
「クーラー」
「自家用車」
というものが、一般家庭に普及し始めたということで、その時代が、いわゆる、
「いざなぎ景気」
と言われる、昭和40年代に入ってのことであったのだ。
それ以前というと、トイレも、
「水洗トイレではない」
という時代であり、マンションというのもほとんどない時代だっただろう。
それを考えると、昔の時代には、
「地震、カミナリ、火事、親父」
という言葉があり、
「世の中の怖いもの」
というもののたとえとして、使われている。
これは、
「日本が、地震大国」
と呼ばれているところからも分かるというもので、その次の、
「カミナリ」
というのも、江戸時代などでは、
「落雷による被害」
というものが、火事の一番の原因と言われていたことから、来るものである。
そもそも、
「火事と喧嘩は江戸の華」
というような皮肉めいた言葉があるくらい、火事が多かった。
江戸城に天守がないのも、火事によって、燃え落ちたことが原因であり、さらに、
「火消しのプロ」
ということで、
「町火消し」
ということで、
「いろは48組」
というものがあったというではないか。
それだけ、火事というものも、恐ろしいものとされてきた、
その、
「三大恐怖」
というものに引っ掛ける形で、
「親父」
というものが引っかかっているといえるだろう。
これは、いろいろな謂れがあるようだが、その一番としては、
「昔からの家父長制度」
というものからきているといってもいいだろう。
「家の長を、大黒柱」
といい、
「表に出て稼いでくれる人が一番、家の中ではえらい」
ということになり、その父親のいうことには逆らってはいけないということで、
「親父が一番」
ということになったのだ。
それを、
「父親の威厳」
ということになるのであり、それは、昔から言われてきたことだったのだろう。
「地震カミナリ火事親父」
という言葉は江戸時代から言われているというが、まさに、
「封建制度」
というものからきているものに違いない。
そもそも、
「封建制度」
というものがどういうものなのかということであるが、
「ご恩と奉公」
という言葉で言い表せるだろう。
そもそもの封建制度というのは、鎌倉時代から始まっていて、
「武家政治」
という時代が、そのまま封建制度に当てはまるといってもいいだろう。
つまりは、
「武士というものを知れば、封建制度が分かる」
といってもいい。
武士というと、元々は、荘園を守るために、寺社や貴族が用心棒として雇ったっものだった。
つまりは、土地を守るということから起こったことで、武士の時代に入ってくると、
「戦などでの褒美」
というのは、
「新たな土地を与える」
ということになり、その元々は、
「自分の土地を保証してくれる幕府というものに対して、何かあった時は真っ先に駆け付けご恩に報いる」
ということであった。
つまり、
「いざ鎌倉」
という言葉に代表されるように、
「真っ先に駆け付ける」
ということが、封建制度というものであった。
だから、鎌倉幕府の滅亡も、
「土地を保証できなかった幕府に見切りをつけた」
ということで起こったものだったのだ。
そんな封建主義の家庭が、昭和の好景気と不況を繰り返していた時代には存在した。そして、その時代を引きずっているのが、坂口の父親だった。
そんな父親に育てられた坂口は、中学時代の悪夢の記憶を抱いたことで、
「父親への憎しみ」
というものは、決定的なものになった。
しかし、自分の中で、大人になってくるにつれて、
「もう一人の自分」
というものがいるような気がしていた。
中学時代に友達から聞かされた、
「ジキルとハイド」
の話。
そして、高校時代に見たドラマの中に出てきた。
「二重人格をテーマにした物語」
の主人公。
普段は、おとなしいのに、好きな人ができると、ストーカーになってしまうというような話であった。
今の時代では、ストーカーなど珍しいわけでもないし、二重人格の人も少なくはない。
というよりも、実際に、世間では、
「精神疾患の人が多い」
ということが分かってくると、
「二重人格というのは、精神疾患の一種なのではないか?」
と思うようになった。
しかし、自分の中に、
「もう一人の自分がいる」
ということを感じると、
「俺も精神疾患なのか?」
と感じるようになった。
その根拠はどこにもないが、それを、
「父親の教育が影響しているのではないか?」
と思うと、
「無理もないことか」
ということで、余計に父親を憎むようになっていた。
しかし、だからと言って、
「自分が精神疾患だ」
という思いを受け止めることはできなかった。
それを認めるということは、
「自分も父親と同じではないか?」
と考えるようになり、さらに、
「父親も二重人格なのではないか?」
とまで考えるようになった。
「父親が二重人格だ」
ということになると、
「二重人格というのは、遺伝するのか?」
と思えてきた。
いや、
「遺伝する」
と思ったから、父親も二重人格ではないか考えたのかも知れない。
それが、本当に父親に対しての反発心から出たものだとすると、
「俺が二重人格なのは、遺伝によるものか、教育という環境によるものかに絞られてくるのではないか?」
と考えるが、それは、
「必ずどちらかということだとは限らない」
と思った。
「それぞれが微妙に影響し、つまりは、遺伝として備わったものに、環境がプラスされて、さらにひどくなった」
と考えると、却って、いや、余計に、憎しみが湧いてくるというものだ。
それくらいなら、
「遺伝か環境のどちらか」
という方が救いようがあるのではないかと思えた。
どちらにしても、
「父親の影響によるもの」
と考えただけで、胸糞悪くなってくる。
もちろん、こんな意識を持っているなど、家族はもちろん、まわりの人にいえるわけもない。
ただ、
「この発想こそが、父親の影響だ」
と思っていなかったというのは、
「まだ自分が子供だったから」
といってもいいかも知れない。
中学生というと、確かに成長期で、思春期という時代であるが、それも個人差というものがあり、自分が、
「まわりに比べて遅いものだ」
と感じたのは、無理もないことだった。
これは、
「勘」
というものかも知れない。
しかし、同じ勘というものでも、
「ヤマ勘」
ではない。
どちらかというと、
「本能に近いものではないか?」
と感じるのだ。
本能というのは、意識からくるものではなく、
「持って生まれたもの」
すなわち、
「生まれた時から備わっているものだ」
ということであれば、
「遺伝によるもの」
ともいえるだろう。
そうなると、
「これも父親からの?」
と思うと、またしても不思議な気がする。
とにかく、父親からの遺伝というものは、
「自分にとって、呪縛でしかないんだ」
と思うようになったのだ。
そんな呪縛というのが、自分の中で憎らしいものであると感じるようになると、そのたびに父親に対しての憎しみがこみあげてくる自分が今度は憎らしいのであった。
ただ、その思いも、大学に入った頃に少し変わっていった。
高校時代までは、どうしても、
「大学入試」
というものがあったことで、毎日が、
「受験勉強一色」
ということで、毎日が楽しいというわけにはいかなかった。
ただ、一つのことに集中することで、
「余計なことを考えないで済む」
とも考えられたのだ。
つまりは、
「自分の中にもう一人いて、それが、父親と同じ性格」
ということであった。
それが、
「ハイド氏のような悪魔ではないか?」
と思うと、自分が悪魔であることに、どう対応すればいいのかを考えないで済むのが、ある意味よかったと感じるのであった。
しかし、大学に入ると、
「入試が終わった解放感から、しばらくは、自分が二重人格かも知れないという思いは封印する」
という感覚になれた。
それだけ、受験勉強というものが、辛いもので、その解放感は、子供の頃の悩みとは違うものを自分の中で宿らせているように感じたのだ。
それが、
「大学生になったんだから、大人なんだ」
ということで、
「子供の頃の悩みは、子供の頃に置いてきた」
と感じたのだ。
それは、
「受験に成功した」
という達成感と満足感は一緒に生まれるもので、しかも、解放感は、
「家族から離れられる」
という思いからであった。
特に、自分では、
「解放感」
というものが表に出ているということで、いろいろな思いが頭をよぎった挙句、最後には、
「家族から離れられる」
ということを一番嬉しいことだとして受け止められたのであろう。
そう考えたことで、頭の中から、家族のことが消えていたのであった。
一年生の頃は、ほとんど忘れていた。
「大学生活をエンジョイするんだ」
という気持ちが強く、仲良くなった友達にくっついていくのが楽しかったのだ。
しかし、二年生になってくると、少し気分が変わってきた、
「友達にくっついていて、楽しいのか?」
と思えてきたのだ。
元々、自分から正面に出ることは、
「自分の性格ではない」
と思っていた。
何か面白い話題を触れるわけではない。かといって。
「他人の話に合わせ、さらに面白いことが言えるわけでもない」
あとからおっかぶせる人間は、さらに面白いことを言わなければいけないということになるだろう。
それを思えば、
「自分には、輪の中心にいるということは無理なんだ」
と思うのだった。
だが、だからと言って、いつも誰かと一緒にいて、その人の意志に元にいるだけでいいのだろうか?
それを感じるようになると、誰か一人を頭の中で想像し、想像することが嫌な気分にさせられるのであった。
それは、
「自分の母親」
というものであって。
中学時代のあの時を思い出さざるを得なかったのだ。
「友達の家に泊ってくる」
といって電話を掛けたあの時である。
父親が電話に出ようともせず、母親が、
「帰ってきなさい」
と説得していた。
その時に、坂口に言った言葉は、
「お父さんに叱られる」
と言ったのだったが、それは、てっきり、坂口が叱られることだと思っていたが、今から考えれば、そうではなく、
「母親自身、自分が叱られるということを恐れていたのではないか?」
と思ったのだ。
だから、あの時、
「なんで俺が帰らなければいけないのか?」
ということを惨めに感じ、
「情けなくならなければいけないのか?」
と思ったかということである。
「自分に対して叱られるといったのではなく、子供より、いや、説得しようとしている相手よりも、保身を考えてしまった相手の気持ちが、なんとなくではあるが分かったからではないだろうか?」
それを思うと、
「どうして、そんな保身に走っている人のために、自分が、犠牲にならなければいけないのか?」
ということである。
もちろん、子供だったということから感じたことであり、大人になってからでは、感じ方も違うだろう。
それを思えば、母親に対しての怒りが、今になってこみあげてくるのだった。
もちろん、その感覚にさせた元凶は、
「父親の威厳」
という名の、押し付けだと思っている。
しかし、そのために、いつもびくびくしている母親を、
「見るに堪えない」
と思うようになると、
「なんで結婚したんだ?」
と考えたりもする。
「結婚なんかしなければ、苦しむこともないのに」
と思うのだが、それを思うというのは、大いなる矛盾というものを抱えることになるということであった。
何といっても、
「両親が結婚しなければ、自分は生まれない」
というわけで、
「一番考えてはいけない」
ということになるだろう。
それこそ、
「パラドックス」
というもので。
「タブー」
ということになるだろう。
それでも、感じてしまったというのは、無理もないことなのだろうが、
「パラドックス」
というものを感じると、
「中学時代のあの時、あれこそが、パラドックスだったのかも知れない」
と感じた。
パラドックスを感じたからこそ、情けないという思いがあり、あんなにも惨めな思いで、家に帰らなければいけない自分を演出したのだろう。
そう思うと、
「あの時に、父親のみならず、母親の本性というものを、同時に感じたのだろうな」
と思うのだった。
しかし、その怒りや憎しみは、すべて父親に向けられた。
それだけ、
「父親からの呪縛」
というものが大きかったということになるのだろうが、果たしてそうだろうか?
子供だったからこそ、一点に集中してしまうと、他のことが目に入ってこなかったということになるのではないか?
と思うと、
「大学生になってから、母親のイメージが、シルエットか、ベールに包まれていたものが、徐々に見えてくる」
ということが分かってきたように思えたのだ。
「大学生になったから。大人になった」
というのは、年齢的なものであったり、解放感から感じたことであり、それが、本当に大人になったという証なのかどうか、自分でもよく分かっていないのであった。
年齢的には、
「まだ子供」
という意識があったことで、本当に、
「大人になった」
と感じたのは、
「成人式の時」
であった。
その後から、
「残りの単位を取っておかないと、四年生になってからの就活に困る」
と考えたからだった。
そういう意味で。
「まだ子供だった」
と後から感じるその時に、
「母親の影が自分にのしかかってきた」
というのは、
「ひょっとすると、もう一人の自分というのは、父親ではなく、母親が影響しているのではないか?」
と感じたからなのかも知れない。
「自分は、輪の中心にいられるような人間ではない」
というのは、
「父親とは違う」
という意識から、
「遺伝であってほしくない」
ということと、
「父親の血を引いている自分が、父親の真似をしても、反発心が大きいので、父親のようになれるわけはない」
と思っていたのだろう。
ということで、
「父親のようになれないのであれば、まったく違う性格でいくしかない」
と思った時、浮かんできたのが、母親だったのだろう。
その時にはすでに、
「友達の影に隠れて、くっついている」
ということであった。
「これが自分には似合っている」
ということを感じ、
「この性格が楽だ」
とすら思うようになっていたのだ。
「楽な道を進む」
というのも、人生を歩んでいくうえで大切なことだとも思っていた。
それは、
「父親の威厳」
というものを圧力のようなものだと考えることで、自分の中での、
「恐怖心」
を払拭できないことで、
「とにかく逃げ出したい」
と、その呪縛に対して感じたことであった。
呪縛というものが、父親にしかないと思っていたが、それが大きな間違いだった。
それは、
「呪縛というものと、威厳というものを一緒に考えていたからではないか?」
と思っていたからで、
「威厳の裏返しが、呪縛だ」
とも考えていた。
これは、それぞれに影響を与え合ったことで生まれてくるものであるのに、それを、
「自分の中にあるもう一人の自分」
ということで、一緒に考えてしまったことから来た、
「勘違い」
というものであろうか。
勘違い」
というよりも、
「思い込みというものが引き起こした錯覚ではないか?」
と感じると、
「両親が一緒にいて、時々その威厳に苦しめられながらも、離れようとしない」
というのは、
「威厳というものを感じながらも、そこに、呪縛というものを感じていたとしても、それは、別物だと考えているからではないか?」
と思った。
それは、
「長年寄り添ってきた」
という時間的な感覚なのか、
「出会ったことから、しっくりきたという、歯車のかみ合わせのようなものなのか?」
ということを、
「息子である自分なら分かるかも知れない」
と考えたが、それは、
「ここまで考えるのが、一つの限界であり、これ以上は、大きな結界が存在することで、見ることはできない」
と思えてきたのだった。
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